都の露店街にて

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都の露店街にて

大陸の中央にある都は、東西の交易の中心地でもあり、朝からにぎわっていた。露店がひしめき、大路には珍しい民族衣装を着た者たちが行き交っている。 今年十一になった明凛(めいりん)は、大路から離れるように露店街のはずれのはずれへと向かった。そこは大路と違って場所代がかからない。明凛のような子供でも、好きに露店を張ることができた。 そのかわり割り振られる区画は狭く、場所取りも早い者勝ち。質の悪いものも出回るため、寄り付く客の数も大路には劣る。 「ここ、空いてますか?」 黒髪に白髪が多く入った男に声をかける。見た感じ悪い人ではなさそうだし、男の隣にはまだ誰もいない。一日中一緒にいるならこの男でいいだろう。 「ああ、空いてるからお入り」 「ありがとうございます。今日一日よろしくお願いします」 こちらこそ、と笑う男の目じりには深いしわが刻まれていた。白髪やしわがあるわりに、体つきはがっしりして見えた。 家から持ってきたわずかばかりの着物を並べながら、明凛は男の前に並んでいる鍋や、つると注ぎ口のついた湯沸かしの瓶が気になった。それらは皆、真っ黒だった。 「こんな黒いもの、初めて見ました。土……ですか?」 「これは鉄器と言ってね。少々重いが、長く使える良いものだ。東の国の伝統工芸品だが、今では西にも質の良いものが広まっているよ。――ここにはよく来るのかい?」 「いえ、時々です。……そんなに売る物がないですから」 「一人で?」 「はい。母は家の仕事があるし、父は……ひと月ほど前に亡くなったので」 「……そうか。大変だな」 父が逝ってから、明凛はふさぎ込む日々が続いていた。幼い弟妹たちは父の死を理解できなかったからまだいい。しかし多感な時期にさしかかっていた明凛には、死の意味も、父が二度と帰ってこないということも、理解できてしまった。 正直に言えば、こんなにぎやかな場所へはまだ来る気になれない。それでも家族が食べていくために、たとえわずかでも稼がなくてはならない。 父はもう、いないのだから―― 「――亡くなった者は、人混みにまぎれてこっそり現れると聞いたことがある」 え、と傍らの男を見上げる。 「人から聞いた話だ。生きている者のふりをして、こんなふうに人が多いところへ時々現れるらしい」 「……何しに現れるの?」 「さて。家族にでも会いに来るのかな」 「そんなこと、あるのかなあ……」 と言いつつ、目は人混みへ向いた。 「そんなこと、……あったらいいなあ」 父と似た背格好の者を目で追う。 「私も、時々父が現れてくれたらと思うよ」 「おじさんも、お父さんいないの?」 「とっくの昔にね」 「もしおじさんのお父さんが現れたら、なんて言うの?」 「……申し訳なかったと。それから――ありがとう、残りの人生、できる限り頑張るよ、と」 「伝えたいことがたくさんあるのね」 「おじさんくらい長く生きると、いろいろあるよ。お前さんは、なんて伝えたいんだい?」 うーん、とうなり、明凛はしばし黙った。 「……まだわかんないや」 明凛の着物も男の鉄器も、ほとんど売れないうちに日が高くなる。その間明凛は、人混みへ目を向けることが多くなった。 父によく似た者を何度か見つけたが、結局は気のせいで終わる。しかし不思議と、悲しくはなかった。 「おじさん、私ね。さっきおじさんが教えてくれたお話のおかげで、なんだかワクワクしてきたの」 「そうか。こんな老いぼれでも少しは役に立てたようで嬉しいよ」 「ううん、少しじゃないよ。おかげで私――」 明凛の口から、言葉が途絶えた。 男は気長に次の言葉を待っていたが、さすがに静かすぎると思ったのか、様子を伺う。 「――うん、大丈夫。私もう、元気になれそうだから」 再び明凛が語り始めた。 返事をしようと男は口を開きかけたが、明凛が真っすぐにどこかを見つめていることに気がついて、その視線をたどる。 「おじさんも、応援しているよ」 男はそっと、語りかけた。 視線の先には相変わらず大勢の人の流れがあるだけだったが、明凛はそれを、輝きと笑みをたたえた表情で見つめていた。   * 「さあて、今日は客が来ないから店じまいにするかな」 明凛の視線が人混みから外れた頃合いで、男が伸びをしながら言った。 「お前さんも終いにしないか?」 「え、でも……」 稼ぎがないまま帰るわけにはいかない――と思っていると、男が鉄器をひとつ、差し出した。 「そこの着物を一枚、この鉄瓶で売ってくれないか。これで湯を沸かすと、いい味になるんだ」 この鉄瓶の価値がどれほどかわからないから、はたして着物一枚で釣り合うのだろうかと悩みつつ、明凛は男物の着物を手に取った。 「いいや、それじゃない。そっちの子供用のをくれないか。知り合いの子に買ってやりたいんだ」 「でもそれじゃ、おじさんの方が損するんじゃ……」 「いいんだよ。子供用のを一枚でいい」 「……はい、ありがとうございます」 男はきっと気を利かせてくれたに違いない。断った男物の着物は、亡き父のものだった。 「この鉄瓶、大事に使いますね」 「いや、それはお前さんが持って帰るには重いだろう。今から大路に行って、商人にでも売ってしまいなさい」 「でも……」 「安く値をつけるやつは無視していい。その鉄瓶の良さがわかる者が、大路には必ずいるはずだから。ここは世界で一番の都だからね」 早めに店じまいをした明凛は男と別れ、大路へと向かう。言われたとおり商人へ鉄瓶を見せると、感嘆の息を漏らしながらじっくりと眺め、明凛が思っていたよりはるかに多くの金銭をくれた。 「おじさん、重いから売れって言ったけど……。もらったお金の方が重いよ」 ずしりと地面に足が沈みそうなほど重みがあるその金銭は、明凛の家族がしばらく食べていくのに、じゅうぶんすぎる額だった。
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