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第8話 まるでアナタは闇を切り裂く火種のようにー2
「今日は散々な目に遭ったわ……」
ラビィが猫屋敷の玄関前でぼやく。
俺とラビィは猫屋敷に帰って来た。
試験の後、俺はシンクと別れ、疲れ切った足取りでここまで辿り着いた。
早くベッ
ドに寝転がって休みたい。
「……って、アレ? ドアが開かない。鍵でも掛かっているのか?」
「おーい、ルミナ~。私たちが帰って来たわよ~。開けてちょうだーい」
ラビィが呼びかけるが返事はない。
ルミナは外出中なのかしれない。
「そう言えば、昨日の夕方に来てから女将さんの姿を見ていないな。あの人は何しているんだろ?」
「知らないわよ~。……ん? ツヅリ、勝手口が開いたわ」
宿の側面に回り込んだラビィは勝手口の鍵が壊れており、簡単に開くことに気づいた。
「じゃあ、そっちから入るか。ルミナには後でちゃんと説明しておけばいいだろ」
俺はラビィに続いて勝手口からキッチンに侵入する。
「すみませーん。誰かいませんかー」
電気の消えたキッチンの中、俺は試しにルミナか女将さんのどちらかがいないか呼びかけてみる。
もちろん、最初から返事が来るという気持ちで言ってはいない。
「…………ッ!」
しかし、誰もいないはずのキッチンから俺でもラビィでもない声が聞こえてくる。
「ハッ! ラビィ、今の声聞こえたか!?」
「えっ? 声って……いえ、聞こえるわね」
耳を澄ませたラビィも呻き声のようなものが聞こえたらしい。
「まさか幽霊とかではないよな?」
「この世界なら幽霊だっていてもおかしくはないわよ」
ラビィの言う通り、ここはファンタジー世界。
魔物、ドラゴン、妖精などがいるのだから幽霊やゾンビがいても不思議じゃない。
「声……あそこの戸棚から聞こえたよな?」
「気になるなら確かめてみたら?」
俺は恐る恐る戸棚に手を掛ける。
正直、ホラー系は好きではないのだが、気になるものは仕方がない。
夜眠る際も幽霊屋敷なのか気になったままだと眼が冴えてしまいそうだ。
出来ればネズミとかでありますように、と俺は心の中で唱え、戸棚を開ける。
「……ッ! ……ッッ!」
だが、戸棚の中にいたのは幽霊でもネズミでもなく、宿屋の女将さんだった。
「女将さん!?」
「はあ!? ちょっとアンタどうして縛られているのよ!」
俺とラビィは目を丸くする。
戸棚に隠れていた女将さんは身体を縄で縛られ、口に猿ぐつわを噛ませられていた。
俺は慌てて女将さんの猿ぐつわを外す。
「……ぷはあっ。あなたたち、早くここから逃げるのよ!」
女将さんは猿ぐつわを外されるなり、突然そのようなことを言い出した。
「えっ? いや、まずは状況の説明を――」
「――ああ、気づいてしまったんですね」
俺の背後からルミナの声がした。
しかし、その声を聞いた瞬間、身体中におぞましい寒気を感じた。
振り返ると、ルミナはラビィの首を左腕で拘束して、俺にぱっくりと瞳孔が開いた眼を向けていた。
「……ルミナ? 何をやっているんだ?」
「ひぐうっ……ツヅリ、苦しい……この女は……危険よ」
ラビィが首を絞められ、かすれた声で俺に言う。
対してルミナは他人の首を絞めているにも関わらず、微笑みを浮かべていた。
「気づかなければ、死ぬまで幸せでいられたのに……」
「俺たちを騙していたのか?」
俺の問いかけにルミナは首を横に振る。
「騙してなどいません。私はただ、ツヅリ先輩に喜んで欲しかったんです。宿の見つからない先輩のために私は宿を用意したんですよ? 私、偉くないですか?」
「……あのルミナって子、昨日あなたたちが出ていった後、突然ここに現れて、『可哀そうな私の先輩が泊まる宿を貸して欲しい』とか言い出したら、私を縛り上げて閉じ込めたのよ」
俺は双方の話を聞いてその意味を咀嚼する。
一見矛盾しているようにも思える二人の証言には共通した部分があった。
「じゃあ、ルミナは全部俺のためにこんなことをしたと言うんだな?」
「うふっ、うふふふっ! あははははははははっ!」
ルミナの笑い声は高笑いへと変わっていった。
「先輩♡ 先輩♡ ツヅリせんぱぁい♡♡♡ やっぱり先輩と私は同じ眼をしていますね♡」
訳の分からないことを言うルミナは頬を上気させて恍惚した様子を見せる。
彼女と眼を合わせていた俺の脳裏で欠けていたピースの一つがカチリと嵌る。
「その眼……その眼だったのか……」
俺は前世の記憶を取り戻すきっかけとなるものを理解した。
「一週間前、写真に写ったお前の眼を見た瞬間、俺は記憶を取り戻した。その眼こそがトリガーだったんだ」
新たに思い出した前世の記憶を手繰り寄せる。
「ようやく分かったよ、お前の名前。――お前は愛璃瑠未那。前世で俺の後輩だったはずの女の子だ」
ルミナが日本人のような顔立ちの理由、何度も自らの正体を俺に尋ねてきた理由、異世界に存在しないカレーライスのレシピを知っていた理由、全てが繋がっていく。
だが、違和感はまだ残っていた。
「…………」
そして、ルミナはぽろぽろと涙を流していた。
「お、おい、どうして泣くんだ!?」
「だって……だって……ツヅリ先輩が私の名前を思い出してくれたから嬉しくてつい……」
いきなり、普通の女の子ように泣き出したルミナに俺は不覚にもときめいてしまった。
けれど、彼女の左腕はまだラビィの首を絞めたままであり、彼女の全体像は非常にカオスなものとなっていた。
「ツヅリ……早く私を助けて……」
ゴーレムの時とは比べ物にならない危機を訴えるラビィの声で俺は我に返る。
「ラビィを解放しろ」
「分かりました♡」
ルミナは俺の言葉を聞き入れると、人質だったラビィをすんなりと解放した。
「けほっ、けほっ……」
「ねえ、先輩、お願いを一つだけ聞いてくれますか?」
床に倒れて咽ているラビィをよそにルミナは俺に尋ねてくる。
「どんなお願いだ?」
「えっと、それは――」
ルミナがモジモジと両手をすり合わせて口元を綻ばせる。
「せ、せんぱいっ! どうか私と付き合ってください!」
「…………えっ?」
俺は一瞬彼女が何を言っているのか分からなかった。
しかし、理解した途端に凍てつきそうな恐怖を覚える。
この女の子はこの状況でこの台詞を言ったというのか?
ルミナの表情は決してからかっているという雰囲気のものではなく、緊張と期待が入り混じったまさしく恋する乙女のものだった。
シーンだけを切り取れば何も変なところはない。
古典的で王道な甘酸っぱい愛の告白。
ただ、どうにもこのタイミングでそれをしてしまうのはいかがなものだろうか?
例えるなら、山のてっぺんに咲く一輪の美しい花を見て感動するが、直後に花を咲かせている栄養が千人の死体が積み上がった山から吸い上げられたものだと気づくような感覚。
ルミナは異常だ。
「申し訳ないけど、お前とは付き合えない」
俺はきっぱりと彼女にそう言った。
「……………………どうしてですか?」
ルミナは長い間をおいて真顔で首を傾げる。
「俺にはもう好きな人がいるんだ。その人のために俺は元の世界に帰りたいと思っている。だから、お前とは付き合えない」
俺はそう言いながら、右手を背中に回し、戸棚に掛けられていた出刃包丁を手に取る。
最悪、これを振り回してルミナが怯んでいる隙に彼女を抑え込んでしまおう。
幸いなことにルミナは武器の類を身に着けていない。
「あはっ、なんだそんな理由だったんですか♡ 先輩ったらピュアで可愛い♡」
ルミナはまるで呪いから解き放たれたかのように天真爛漫な笑顔を俺に見せる。
彼女の声色もなんだかこっちの世界で出会った当初のお淑やかな時よりもやや明るくなっている気がする。
「でも心配いりません! 椎名さんなら、私が殺してきたので、これで先輩が向こうの世界に帰る必要はなくなりましたね☆」
「へっ?」
俺はその瞬間、手の力が抜けて、握っていた包丁を床に落とす。
包丁はカランという音を立ててルミナの足元に転がる。
「もしかして、その包丁で私を殺そうとしてくれたんですか? 嬉しい♡」
最早俺はルミナの言葉が全て嘘だと思わなければ正気を保てないだろう。
支離滅裂な彼女の言葉は聞いているだけで気が狂いそうになる。
「私、先輩に殺されてみたかったんです。前世の私は先輩の死に絶望して自殺しちゃいましたから。私が先輩を殺すことはしませんけど、先輩は私を殺していいんです。そうしたら、私は先輩に殺されるたった一人の特別な存在になれるでしょう? 日本では二人以上の殺人は死刑になってしまう可能性が高いですので、先輩は自分が死にたくなかったら、私だけしか殺しちゃいけないんです。だけど、もしも、先輩が一緒に死んで欲しいと言ってくれるなら、私はこの世界で得た力を使って先輩を介錯させていただきますね」
ルミナが落ちた包丁を拾い上げて左手で俺に柄を向けて包丁を手渡そうとする。
『何故なら、私はツヅリ先輩のことが大好きですから♡』
ルミナの右手が蒼い炎に包まれる。
「――お前も告白魔法の使い手なのか」
「先輩はこの包丁をただ握っていてくれているだけでいいんです。私が包丁の刃に飛び込んでアナタを強く抱きしめてあげます。死にたくなったら私が炎で燃やしてあげます」
「でも、俺がお前を今殺しても少年法でギリギリ死刑にはならないかもしれない」
「ええ、だとしたら、一年後とかどうですか? なんだか二人の将来設計みたいでドキドキしますね」
「……そもそもだけどさ」
俺はルミナと熱い視線を交わし合って、浮かんだ言葉をそのまま口に出す。
「ここは日本じゃないから、お前の殺されたい願望はきっと叶わないだろうな」
俺たちは今、異世界にいる。
元の世界とはルールが異なるこの世界で俺たちは生まれ直して再会した。
告白しよう、今ここに。
俺がルミナと紡いだ罪の顛末を――。
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