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11.玄
繋いだ手が熱い。
その熱さが嬉しい。
真木さんが言う。
「玄。⋯⋯恥ずかしいよ。手、離して」
嫌だ。
聞いてやらない。
俺は、真木さんのことを何も知らなかった。
浮かれきっていたんだと思う。
LINEも電話もつながらない。住所さえ知らない。
連絡が取れなくなって初めて、呆然とした。
◇◆
いつでも会えると思っていた。
渡したアドレスに連絡をもらえるまで、あんなに時間がかかったのに。
駅前に立ってみても、彼の姿はない。
どうやったら、もう一度会えるのだろう。
その店に入ったのは、ほんの偶然だった。
仕事と自分の馬鹿さ加減に疲れ切って、ふらふらと裏路地に入った。
どこでもいい。一杯飲もうと、目の前にあった洒落たバーの扉を開けた。
薄暗く静かなバーの中は5、6席のカウンターと、ゆとりのあるソファ席が3つ。
ソファは満席で、男たちが談笑している。
磨き抜かれたカウンターには誰もいなかった。
カウンターの高いスツールに座った俺に、奥から出てきた男が目を見張る。
知らない男だった。
ウエイターに一言告げて、男は俺の隣に座る。
大きな瞳に、ほっそりした体。白いゆったりしたシャツに黒のスラックスを品よく着こなしている。柔らかな物腰には女性めいた艶があった。
「きみ、半月前に稲村ケ崎にいた?」
「え?なんで、それ⋯⋯」
男がバーテンに飲み物を注文する。
「やっぱり。ぼくもあの時、近くにいたんだよ。駐車場からきみたちのこと見てたんだ。栄にはひどい目に遭った!」
「⋯⋯さかえ?」
真木の男だ、と言ったあいつの名を、彼は確かに呼んだ。
さかえ、と。
「近くにいた?」
「そうだよ。栄と久々に湘南デートだと思ってたら、人の話は全然聞かないし、砂浜から変なの拾ってくるし!こっちは放り出されてサヨウナラ。車で海辺に来たのに、いきなりおひとり様だよ」
置かれたばかりのモヒートを、ごくごくと飲む。
あの時、あいつには連れがいたのか。
「仕方ないから駅まで歩いて行ったら、きみがいたんだよ。こっちもいきなり声かけるわけにもいかないから」
真木さんたちと別れた後、たしかにしばらく駅のベンチで座り込んでいた。
「きみ、あの子の友達?恋人?」
「真木さん?真木さんのこと知ってんですか?」
「⋯⋯いや、よく知らないけど。たぶん、栄のマンションにいるってことしか」
「あいつのマンション?」
「うん。栄に文句言いたくて電話かけたら、一緒にいるのが聞こえた」
思い出したくもないのだろう。柳眉が跳ね上がる。
俺は男に言った。
「教えてください、そのマンション。ずっと、彼を探してるんです」
男はちらりとこちらを見て、面白そうに口角を上げた。
重厚な木目のカウンターに、ハイボールが置かれた。
男とは思えない美しい指が「はい」と、グラスを俺の前にスライドさせる。
「それ、ぼくのおごり」
「え?なんで⋯⋯!?」
栄に一泡吹かせてきて。そう言って、男が意地の悪い笑みを浮かべる。
「奪ってきなよ。きみのオヒメサマ」
男は、店名の書かれたカードを1枚とって、裏にさらさらと住所を書いた。
「これが栄のマンション。あの子、ここにいると思う」
俺は、何度もその住所を見返した。
「それから⋯⋯。君、ノンケでしょ?ここ、もう来ない方がいいよ」
こっそりと、耳元で囁かれて辺りを見回す。
「知らなかったんだと思うけど、この席、パートナーを探す席だからさ」
ちらちらと、こちらを見る視線。囁き交わす男たち。
頭の中で様々な符号が合致する。
俺は、目の前のハイボールを一気にあおった。
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