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仕事帰りにカードに書かれた住所に行った。
マンションと部屋番号はわかっても、入ることはできない。
いるのか、いないのか。
エントランス前に立って途方に暮れていると、側を通る住人にじろじろと見られた。
いつ通報されてもおかしくない。
偶然に会えることはなかった。せめてもと足を運び、遠くから眺める。
だんだん疲労がたまっていく。
それでも、真木さんに会えるかもしれないと思うと足が向かった。
上司から言われて、一人で営業先を回った帰り道。
真木さんがいるマンションに近い。
少しだけ見て帰ろう。
⋯⋯マンションの入り口から出てきた人がいた。
白いパーカー、細身のデニム。空を眺める茶色の頭。
手には、俺の渡した傘があった。
気が付いたら、駆け出していた。
柔らかい髪が頬に触れた。
ほっそりした体が腕の中にある。
真木さんがむせて咳込むまで、自分がどれほど彼を強く抱きしめていたのか気づかなかった。
「足、すっかり良くなったんですね」
「うん。もう、なんともないよ」
電車のシートに座って、にこりと笑う。
家まで送っていくと言うと怪訝な顔をされた。
「⋯⋯仕事は?」
「直帰にしました」
明日のことは明日考える。上司に怒鳴られたっていい。
少しでも一緒にいたいんです、とつぶやくと、真木さんは真っ赤になってうつむいた。
「半月たってる!」
真木さんが熱気の籠った部屋に入って叫ぶ。
「あちこち開けてくるから待ってて!」
エアコンを付けながら、真木さんが部屋じゅうの窓や扉を開けていく。
部屋の中に、ゆるやかに風が通っていく。
前は4人で住んでいたというだけあって、家族用のマンションだった。
ここに一人で住んでいたのか。
リビングに通され、ソファに座る。
住人の居ない広々とした部屋は、なんとなく寂しい気持ちになる。
大型のTVの前に1枚の写真があった。
真木さんによく似ている。
淡い茶色の髪、栗色の瞳。花のように笑う人。
「それ、姉なんだ。⋯⋯雨に濡れるのが好きだった」
ペットボトルとグラスを二つ持って、真木さんが汗をかきながらリビングに入ってくる。
「真木さんに似てる」
「よく言われる。7歳違いだから、母親が二人いるみたいだったよ。何でも面倒見てもらってたんだ」
ずぶ濡れになっていた真木さん。
「開けてないお茶があってよかった」
氷の入ったグラスに緑茶が注がれる。カラン、と氷がグラスに触れる音がした。
真木さんが美味しそうにお茶を飲む。細い首が、ゆっくりと動いていく。
その仕草を息を詰めて見つめた。
「ねえ、真木さん。俺、ずっと言いたかったことがあるんです」
「ん?」
グラスを置いた細い手を、腕を伸ばして握りしめる。あの日のように離したりしない。
「あなたが、好きです」
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