第7章 有為転変は世の習い

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(どうしよう…、嫌われたかな?図々しい奴とか思われたかな?) ここは冗談って事にしておいた方が良いかな?って思った時 『………葵…』 ぽつりと先輩の声が耳に届いた。 神様、俺…今なら天国へ行ける気がします。 照れ臭そうに呟かれた声が、少し掠れていてドギマギしてしまう。 すると 『…も、俺を翔って呼ばないとだよね』 と、先輩に切り返された。 「え!」 『だって、同じ家に住んで『秋月先輩』は可笑しいだろう?』 報復とばかりに言われてしまい、俺はさすがに呼び捨ては無理って心の中でダラダラと汗をかいている気分になる。 「えっと…いや、それは…」 もごもごと反論の言葉を探していると 『3、2、1、はい』 と、カウントダウンされてしまった。 「兄さん!」 咄嗟に叫んだ言葉に、俺は心の中でガッツポーズした。そうだよ!俺は弟だから呼び捨てされて良いけど、さすがに弟が兄貴を呼び捨てにするのはまずい。そう!宜しくないよね! 俺は自分の咄嗟の判断に頷いていた。 すると先輩はプっと吹き出して 『ずるいな~、そう来たか~』 そう言って笑っている。 その声は緊張の糸が切れたようで、素の笑い声だった。 「あのさ…。俺、別にカッコイイ兄貴とか要らないから」 先輩の笑い声を聞きながら、俺はポツリと呟く。 『え?』 驚いた声の先輩に 「翔さんが無理しないで、そのままで居てくれたら俺は幸せだから」 心を込めて伝える。 『…………』 受話器の向こうが再び沈黙になる。 「あれ?俺、又変な事言いました?」 沈黙が長くて 「もしもし?先輩?寝ちゃいました?」 寝てる訳無いのを知ってて、ふざけた口調で問いかける。 すると受話器の向こうで、今日、幾度となく聞いた先輩の深い溜息が聞こえた。 『いや、起きてるよ。電話で良かったよ。…ったく、人の気も知らないで…』 と、後半部分は一人言のように呟いた。 「え?」 『え?』 先輩の言葉に反応すると、先輩も思わず漏れたのであろう言葉に気付いたらしい。 『あ…いや、何でも無い。電話ってダメだな…。つい、余計な事を話しちゃうよ…』 苦笑いして言う先輩に 「俺はもっと話を聞きたいです」 そう真剣に答えた。 「だから…これっきりにしないで下さい。」 思わず必死に食らい付いた。 「明日は、俺から掛けます」 『え?』 「一緒に暮らすまで、交互に電話しませんか?その…迷惑じゃなければ…ですけど…」 後半、声が小さくなっていく。 言った言葉にジワジワと恥ずかしくなっていると、先輩が息を呑んだ後に 『良いのか?』 って予想外の返事を返して来た。 「もちろんです!」 食い気味に返事をした俺にクスっと笑って 『分かった。時間は…今くらいの時間が良いんだよね?』 と先輩に聞かれた。 「はい。この時間なら、俺、いつも部屋に居ます。あ!でも、先輩は平気ですか?」 って先輩に聞き返すと、小さく笑いながら 『俺はいつでも大丈夫だよ』 と返されて、俺はフワフワした気持ちになった。 これから毎日、先輩と電話出来るんだ。 嬉しくてジタバタしていると 『じゃあ、今日はこの辺にするな。長電話してごめん』 と、先輩に言われる。 見えないのは分かってるけど首を横に振って 「そんな!…電話、ありがとうございました」 そう返事をした。 すると先輩は電話の向こうで笑いながら 『あ…最後に俺からもお願い』 と言うと 『明日から俺に敬語禁止ね』 そう言われてしまった。 「あ!」 思わず叫ぶと、先輩はクスクス笑って 『無理はしなくて良いけど…。いつか蒼介と話しているように、俺にも自然に話しかけてくれると嬉しいかな』 って言うと 『じゃあ、今日はもう遅いから…』 と先輩が続けた。 「あ…はい。おやすみなさい」 俺が最後にそう言うと…、先輩が小さく笑う。 『おやすみなさい…か。蒼介の家で初めて言われたけど…みんな言うんだな…』 ぽつりと呟かれた言葉に、俺は母さんの言葉の意味を知った。 『ありがとう。おやすみなさい』 先輩はそう言うと電話を切った。 無機質な電話の音を聞きながら、俺は悲しくなった。先輩は今まで、誰かに「おやすみなさい」を言われずに過ごしていたんだ…。 それはきっと…凄く寂しい事だと思う。 先輩にとって、言われない生活が当たり前なのかもしれない。 でも…、それだけ先輩は一人の夜を過ごして来たんだと思うと悲しくなった。 そして俺は心に誓ったんだ。 これからは、俺がずっとずっと先輩に「おやすみなさい」を言ってあげるんだって…。
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