第8章 雨降って地固まる

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挨拶当日。 神崎の祖父母は終始落ち着いていた。 「京子さん。あなたは、絶対に抱けないと思っていた織人の子供を私達に抱かせてくれた。私達はね、それだけであなたに感謝の気持ちしかないの」 そう言って、婆ちゃんは母さんの手を取ると 「今まで本当にありがとう」 と母さんの手に額を当てて呟いた。 「お義母様…」 その時、母さんの目からは涙が溢れていた。 すると、秋月先輩のお父さんは座布団から退いて 「京子さんと葵君を、必ず幸せに致します」 そう言って、畳に頭をこすりつけるように頭を下げていた。 すると、終始黙って聞いていた秋治伯父さんが 「信じられないな…」 と、ポツリと呟いた。 「お前の性格は、俺が良く知っている。京子さんの再婚相手がお前になる位なら、さっさと俺がもらっておけばよかった」 苦々しい顔をして吐き出した。 先輩のお父さんは、その言葉を黙って受け止めている。 「秋治さん、失礼な事を言わないの」 婆ちゃんが諫めると、秋治伯父さんはツカツカと秋月先輩のお父さんに近付くと、襟首を掴み 「万が一…彼女と葵が泣くような真似をしてみろ!今度こそ、俺がさらっていく!」 そう吐き捨てて、伯父さんが部屋から出て行こうとする。 「秋治さん!」 婆ちゃんが呼び止めようとすると 「すみません。仕事がありますので、失礼致します」 振り向きもせず、秋治伯父さんは吐き捨てるように言い捨てて部屋を出て行ってしまった。 婆ちゃんは困った顔をすると 「ごめんなさいね。後で、私からきつく言っておきますので、許してあげて頂戴」 そう言った。 俺は居ても立っても居られなくて 「ごめん!ちょっと伯父さんの所に行ってくる!」 そう叫んで部屋を飛び出す。 純和風の神崎家は、平屋の立派な日本建築になっている。廊下に出ると、庭園の美しい景色が広がっている。 俺は秋治伯父さんの後を追いかけて、玄関へと向かう廊下を走ると、伯父さんが父さんの部屋の少し手前で壁にもたれて立っていた。 後姿だったけど、泣いていたんだと思う。 その背中からは、伯父さんの悲しそうな思いが伝わって来て何も言えなくなる。 しばらく伯父さんの背中を見ていると 「葵?」 ゆっくりと伯父さんが俺に振り向いた。 「ごめん…」 思わず謝った俺に、伯父さんは小さく微笑んだ。 その顔は、いつもの伯父さんの顔だった。 「何でお前が謝るんだ?」 俺の頭をくしゃりと撫でると、伯父さんは俺の顔を見つめて 「大きくなったな…。そうしていると、織人を思い出すよ」 と呟いた。 「親父を?」 「あぁ、高校時代の織人にそっくりだ」 優しく目を細めて笑う伯父さんに 「でも、会う人は母さんにそっくりって言われるよ」 って、苦笑いして答えた。 「あぁ…、二人は似てたからな…。並んでいると、兄妹のようだった」 思い出すように伯父さんは呟いた。 「葵、お前はこれからどうするんだ?」 ぽつりと聞かれて、俺は一瞬躊躇いながら 「秋月の家に養子に入ろうと思う」 そう答えた。 「母さんもそれを望んでいるし、俺も…その方が良いと思うんだ」 意を決して答えると、伯父さんは小さく微笑み 「そうか…」 と言うと、深い溜息を吐いた。 「まぁ…その気になったら戸籍なんてどうとでもなる。今、お前が自分の納得出来る選択をするのなら、私は何も言わないよ」 伯父さんはそう言って、俺の頭を軽くポンポンっと叩いてから 「じゃあ、私は会社に戻るよ。今日は、本当に予定があるんだ」 伯父さんは時計を見て歩き出した。 そして数歩してから立ち止まり 「葵、お前が秋月の家に養子に入っても、お前は俺の可愛い甥っ子だ。それは絶対に変わらない。お前の身体に流れる血は、俺と同じ血縁の血が流れている。だから、たまにはこっちにも遊びに来てくれると嬉しいよ」 そう言い残して去って行った。 俺はこの時、ただ黙って秋治伯父さんの背中を見送る事しか出来なかった。 秋治伯父さんと分かれて客間に戻ると、さっきの出来事が嘘のように和気あいあいとしていた。 「あおちゃん、お疲れ様」 婆ちゃんはそう言うと、俺に手招きをして爺ちゃんと婆ちゃんの間に座らせる。 「早いわね~。あおちゃんが生まれたのが、つい最近の事のようだわ…。」 婆ちゃんはそう言うと、そっと俺を抱き締めた。 「本当に…、織人にそっくりに育って…」 婆ちゃんにまで秋治伯父さんと同じ事を言われてしまい、疑問に思って母さんを見ると 「母さんと神崎君、良く似てるって言われたの」 と、懐かしむように母さんが答えた。 「不思議だけど、成長するに従って声や仕草が段々似てきて驚いてるのよ。」 「本当に…。あおちゃんの声を聞いてると、織人が生き返ったみたい」 母さんの言葉に婆ちゃんが頷いた。 「ただ、織人は身長が高かったのよね…」 って、婆ちゃんが俺のコンプレックスに触れて来て落ち込む。そんな俺を見て、婆ちゃんはクスクスと笑い出し 「ほら。気にしてる事を言われると、そうやって口を尖らせる所なんて、本当にそっくり…」 そう言うと、そっと俺の頬に触れて来た。 「中々、会えなくなるのは残念だけど…」 婆ちゃんは寂しそうに言うと 「本当なら出会えなかった孫なんだもの。貴方達が幸せになるなら、私達は京子さんの再婚もあおちゃんの養子縁組も反対なんてしないわ。」 と続けた。 「婆ちゃん…」 「1年に1度で良いわ、顔だけは見せに来てね」 寂しそうに呟く婆ちゃんに、俺は何度も頷く。 2時間の話し合いの後、駐車場で待機していた田中さんの車で帰宅する。 帰宅する車内で、何となく…先輩に会いたいって思った。俺はこんなにたくさんの人に愛されて、本当に幸せだと思った。 だから、これからは俺がたくさんたくさん先輩に愛情を上げるよって伝えたくなったんだ。 車窓から黙って外を見つめていると 「葵様は、この後お約束があるんですよね?」 と、急に田中さんに言われる。 「え?」 約束…?してたかな?って思ったけど、車のミラー越しに田中さんと目が合う。 (もしかして…蒼ちゃんかな?) そう考えて俺が曖昧に頷くと 「では、京子さんと私は今後の事を話し合うから…」 と、秋月先輩のお父さんが母さんの顔を見た。 「そうね。じゃあ、私と幸助さんは私のマンションで下ろしてもらいますね」 母さんはそう言って俺の顔を見ると 「今日はありがとうね」 そう言って俺の頭をポンポンっと軽く撫でた。 マンションに到着すると、母さんと秋月先輩のお父さんは何やら楽しそうに話しながらマンションへと入って行った。 俺は幸せそうに笑う母さんの顔を見て、この決断は間違っていないと確信していた。
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