376人が本棚に入れています
本棚に追加
水神の花嫁
「この女性が信さんのお母さん……?」
「そうだ。名をハナという。これは母の生きてきた証であり、母と父の過去だ。しばし水鏡見守ってほしい」
軽くうなずき、水鏡に目を向ける。水鏡はスクリーンに映し出される映画のように、私に過去の映像を見せてくれた。
簡素な着物を着た女性、ハナさんは、穏やかな微笑みを絶やさない美しい人だった。
幼い頃に母を病で亡くし、娘として成長した頃に父親も亡くなり、天涯孤独となった。それでも村の人に見守られながら、ひっそりと生きてきた。
ある日、村の長がハナのところへやってきた。
『ハナや、おまえに頼みがあるのだ。今年は雨が降らず作物が育たない。このままでは幼子が餓死してしまう。きっと村の象徴である湖の水神様への祈りが足らず、お怒りなのだ。その怒りをおさめるため、水神様に花嫁を捧げたいと思うとる。ハナや、水神様の花嫁となってくれぬか?』
ハナさんはしばし悲しげに俯き、やがて顔をあげ、静かに答えた。
『それで村が救われるのでしたら、お引き受けしましょう』
ハナさんは穏やかな微笑みを浮かべながら、静かに涙を流している。その表情は切なくなるほど美しかった。
『すまぬ。すまぬな、ハナ。これも村のためなのだ。許しておくれ』
『いいのです、お役にたてて嬉しゅうございます』
村の長は何度も頭を下げ、ハナさんは涙を流し続けている。
私には意味がよくわからなかった。ハナさんはなぜ、花嫁になるのに涙を流し、村の長は詫びているのだろう?
私の疑問に答えるように、信さんが教えてくれた。
「わたしの母は村のためにと、その身を湖に捧げた。人身御供などと呼ばれるものだ」
「人身御供……?」
どこかで聞いたことがある。嫌な予感がした。
「母は花嫁衣裳を着たまま、湖に沈められたのだ。わたしの父である、水神への生贄としてな」
それはあまりにも哀しい、信さんの御両親の出逢いだった。
最初のコメントを投稿しよう!