第一話 秘密

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第一話 秘密

ターミナル駅で乗り換える為に、大勢の乗客がホームに自分を投げ出した。 その中をミホも、泳ぐ様に踏み出す。 隣のホームへ移動するだけなのに、疲れが身体から溢れてきた。 「ふぅ…。」 ホームを最後尾車両の位置まで歩いていく。 …辿り着くと同時にホームに電車が滑り込んできた。 乗り込んで、座れた事にホッとさせられる。 (明日から連休で良かったなホント…。) 本日は大型連休前の新入社員の歓迎会。 その話を聞かされた時に、ミホは参加するつもりではなかった。 それ以前に、会社が集会を企画するなんてどうなんだろう…。 世間体を考慮しても中止になるだろうと思っていた。 ところが。 部署ごとの小規模に縮小された食事会。 連休前の休憩後の定時までの勤務時間内での開催。 しかも会場は社内食堂の一角、酒類は禁止であった。 これだと理由を作っての不参加は、ほぼ不可能である。 ミホは観念して参加する事にした。 (残業しなくて済んだだけマシかな…。) 参加者はミホを含めた6人の新人と係長と主任。 4人掛けのテーブルを二つ合わせただけの会。 新人4人と主任が女性、男性は係長含めて3人。 ほんの自己紹介的な会合であった。 ミホ以外の3人の同期OLは喋りまくっていた。 男性3人は、彼女達に遠慮がちに絡みながらも懇談。 ミホは黙々とテーブルの寿司をつまみに話を聞いていた。 その彼女の隣の席に主任が移動してきたのである。 「お邪魔するわよ、ここだと一番お寿司が食べられそう。」 「…ですね。」 片山主任は、まだ二十代後半なのに主任である。 女性の比率が高い部署なので、彼女達の統括管理といった立場。 だけど勤務中とは違って雰囲気が柔らかくなっていた。 「森さんは、物静かで聞き役って感じなの…?」 「私は話題に付いていけない事が多くて…。」 (もしかして主任は、一人なのを心配してくれたのかな…?) 新入社員と主任ではあったが、意外と共通の話題を持てた。 主任のおかげで時間が経つのを早く感じる程に。 もちろんそれは、全く仕事に関係の無いものではあったが。 三つのグループが自然形成されて、時間は上手く過ぎていった。 定時のチャイムが鳴って、会はお開きとなった。 新入社員だけでの二次会の提案がされる。 それをミホは丁寧に断って、そそくさと帰宅の支度を整えた。 ミホ以外の同期は、皆で居酒屋へ行くらしい。 (もう群れるのが正しい時代じゃないのにな…。) ミホは駅への道をノンビリと歩いていく。 他の同期は繁華街への方へと流れていった。 形だけの挨拶を終えて、かなり気分は軽くなっていた。 明日からは大型連休である。 ホームに発車を報せる音楽が流される。 ミホは座席で落ち着いた途端に会を振り返ってみた。 いつもは厳しい主任の、優しい笑顔しか覚えていなかった。 (あんな先輩に私もなれるのかな…。) 連休前日だというのに車内は空いていた。 ミホの対角線斜め前に、乗り込んできた女性が座った。 黒髪ロングヘアに黒縁眼鏡、黒で統一されたルックス。 姿勢の良さからか、凛とした雰囲気を纏っている。 「はぁ…。」 (格好良い女性だな、…しかも少しだけ主任に似てる。) そう思ったミホは無意識的に目の前の乗客を凝視してしまう。 そして、その視線を相手に気付かれてしまった様だった。 その女性は眼鏡を直してミホを見返した。 「あら、森さん。」 「えっ?」 微笑みながら名前を呼んだのは、片山主任であった。 私服に着替えた主任は、まるで別人の雰囲気を漂わせていた。 ミホは、その雰囲気の変わり様に驚かされたのである。 「しゅ…主任?」 「気付くの遅いわよ。」 微笑んだ表情は明らかに主任のそれであった。 彼女も歓迎会を終えて直ぐに帰宅したのであろう。 「森さん、二次会には参加しなかったのね。」 「ええ、まぁ…。」 「少しだけ話に付き合って貰えないかな?  その理由を聞かせて貰いたいんだけど。」 「まぁ、大丈夫ですけど…。」 (やっぱり主任としては心配なんだろうな…。) ミホの最寄り駅で二人はホームに降りる。 自動販売機で飲み物を買って、駅のベンチに座った。 ミホはコーヒー、片山主任は紅茶。 主任にとっては途中下車という事になる。 「さぁ、何でも聞かせて貰うわよ。」 「はぁ…。」 ミホは主任の感情を読み取れていた。 興味本位や野次馬根性ではなく、情報の収集としてであろう。 彼女の事を他の社員よりは信頼出来ると思っていた。 「実は少しだけ人間関係に悩んでるんです…。」 ミホは社内での事を話し始めた。 …入社した頃は同期のOL達は仲が良かった。 残業が無い時は一緒に食事に行ったりもしていた。 状況が変わったのは、ミホが先輩の社員に誘われてからである。 その気の無いミホは丁寧に断ったのである、が。 少しづつ身に覚えのない噂が流されていく。 笑って受け流していたのだが、根深くて消えていかない。 その内に個人的な情報も加わって信憑性も増してしまった。 近しい者しか知り得ない事柄が混ぜられていったのである。 全く気にしなかったミホではあるが、同期との間に距離が出来る。 社内でも退勤後でも、一人での行動を余儀なくされていた。 噂について同期から聞かれるのも面倒だし辛かった。 噂には幾種類か在って、誰が流しているのかが分からない。 そこでミホは何種類かの答えを用意して返答していた。 誰のルートで噂が流されているのかが分かると思ったのである。 それまでは片山主任さえ少し疑っていたのだ。 その結果は、同期のOL全員が噂の出所となっていた。 彼女達に秘密だからと答えた事柄が全種類、流されていた。 少しづつ矛盾させた点も、そのまま流されていたのである。 少しだけ悲しかったけれど、直ぐに諦める事が出来た。 それ以来、彼女達とは割り切って付き合っている。 同僚として。 別に彼女達を責めるつもりも無かった。 これ以上、噂を否定するのも無駄だった。 会社にも仕事は仕事として割り切って勤務している。 ただミホは彼女達が少し可哀そうではあった。 (楽しい事は他にも在るのにな…。) …以上の事情を、簡単に淡々と主任に話した。 話している途中で少しだけ悲しくはなってしまったのだが。 (眼鏡の奥の主任の瞳は綺麗だな…。) 話している顔を真剣に覗き込んでくる主任に思った。 主任は軽く相槌を打ちながら、最後まで聞いてくれた。 「ふうん、そんな事が在ったの。」 「でも同期を嫌いにはなれないし、先輩もです。  だから、ここだけの秘密にしておいて下さい。」 ミホは話しながら、また秘密って言葉だと思っていた。 主任も秘密という言葉の響きに微笑んだ。 「もし実害が出てきたら、その時は報せなきゃダメよ。」 「…はい、ありがとうございます。」 「こちらこそ打ち明けてくれて、ありがと。」 次の電車のアナウンスが聴こえてきた。 主任はベンチから立った、連られてミホも立ち上がる。 「私、隣の駅なのよ。」 主任の言葉にミホは驚いた。 隣駅なら通勤途中で会っていてもおかしくはない。 (このルックスの変化じゃ会っても分からないか…。) ポニーテールにスーツ、ハイヒールの主任は憧れの存在。 それにおそらくはコンタクトレンズだろう。 目の前の主任は全身真っ黒なルックスで、まるで学校の友人みたい。 それに大きなブーツ…。 「これマーチンよ、好きなの。」 「何か格好良いですね。」 もう直ぐ電車が入ってくる。 ふと主任がミホに話し始めた。 「私もこの歳で主任になっちゃったから同期からは好かれてないの。  …森さん、たまに一緒に遊びに行ってくれないかな?」 「私で良いんですか…?」 「うん、歓迎会で話していて面白そうなコだな…って。」 その言葉にミホは何も返せない程、嬉しかったのだった。 二人はスマホを出して連絡先の交換をした。 「これからは社内では上司と部下。  だけど社外では?」 「友人です。」 到着した車両に乗り込みながら主任は言った。 「今日までの事も、明日からの事も。  私と森さん二人の間でだけの話、それでいいわね?」 発車テーマが流れドアが閉まる寸前にミホが返した。 「私と主任だけの…、秘密。」
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