第六章 戸惑う感情

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「ええ!」 車から降りて、僕は思わず声を上げた。 帰りたく無いとは言った。 言ったけど…ここは何処ですか? 外に出ると、目の前には立派な高級旅館が見える。 そして…どうやらここは山の中らしい。 茫然と立ち尽くす僕に、田中さんは我関せずという感じでスタスタと歩き出す。 「え?田中さん。此処は何処ですか?」 前を歩く田中さんに着いて歩きながら聞くと、田中さんは人差し指を自分の口元に当てると「し~」というポーズをした。 「???」 僕は?マークを飛ばしながら田中さんの後ろを着いて歩いた。 中に入ると 「いらっしゃいませ。あ、陽一!あんた、急に連絡して来て」 女将という感じの、綺麗な中年女性が笑顔から田中さんの顔を見て呆れた顔をした。 「いつも急にすみません」 「そう思うなら、早めに連絡して頂戴。部屋、いつもの所しか空いてないけど良い?」 「十分です。」 田中さんと親し気に話す女性を見ていると 「あら!あんた、随分綺麗な子を連れて来たわね…。まさか…あんたついに女子高生に手を出したの!」 驚いた顔をして僕を見て、女将らしき女性が叫んだ。 「あの…僕、男です」 慌てて言うと 「ええ!こんなに綺麗なのに?」 益々驚いた顔をして女性が叫んだ。 「修子おばさん、それより部屋に案内してもらえますか?」 田中さんが苦笑いすると 「あぁ、そうだったわね。どうぞ、こちらです」 慌てて笑顔を浮かべ、その女性が部屋へと案内してくれた。 建物の奥をさらに奥に入ると長い廊下に出た。 その廊下の最奥に、離れがぽつんと立っている。 女性は鍵を開けると、僕と田中さんを中へと招き入れた。 茅葺屋根の建物で、木戸を開けて中にはいると広い玄関になっている。 襖を開けると12帖程の畳の部屋があり、真ん中にテーブルと座椅子がある。 中に入ると 「そう言えば…急に来たのでご挨拶がまだでしたね。私はこの旅館の女将で、陽一の伯母に当たる藤吉修子と言います」 三つ指で深々とお辞儀をされて、思わず恐縮して僕も深々とお辞儀をした。 「赤地蒼介と申します。田中さんには、勉強を教えてもらったりと大変お世話になっております」 僕達が挨拶していると、田中さんは上着を脱いでネクタイを緩めながら 「何…堅苦しい挨拶してるんですか?」 って、呆れて僕達を見ている。 「だって、陽一が人を連れて来るなんて初めてだから…」 田中さんの伯母さんである女将さんがそう呟いた。 「そうでしたっけ?」 田中さんは興味無さそうに返事しながら、テーブルの上にある入れ物を開けて急須を取り出した。 「あぁ…陽一、良いわよ。最初の一杯は私が淹れるから」 女将はそう言うと、僕にも座椅子に座るように促してお茶とお茶菓子を出してくれた。 「でも、良かったわ…。あなたみたいな綺麗な子じゃ、他のお客様と一緒に大浴場は難しそうだものね…」 お茶を煎れながら女将が話しかけて来る。 「この部屋は、奥に温泉の露天風呂があるから使ってね」 笑顔を浮かべたまま女将に言われ、僕は凄い部屋に通されたんじゃないかとドキドキしていた。 明らかに高そうな部屋にドキドキしていると 「お夕飯。こんな時間だから、簡単な物しか出せないけど…こちらに持って来た方が良いわよね?」 女将の言葉に、田中さんが少し考えている。 「赤地さんはどちらが良いですか?」 突然振られて 「ひゃ!」 っと、変な声が出た。 「赤地さん?」 疑問の視線を投げられて 「すみません!こんな高そうな部屋、初めてで…」 思わず小さくなっていると、田中さんと女将さんが顔を見合わせて吹き出した。 その顔を見た時、女将さんの笑顔と田中さんの笑顔が似ていると思った…。 「大丈夫ですよ。此処は、確かに普段は高いですけど…。私は一度もお金を払った事はありませんから…」 クスクス笑う田中さんに 「甥っ子から、お金なんか取れないわよ!しかも、普段は中々来ないんだから…。明日、お墓参りに行くんでしょう?」 女将さんは寂しそうに笑いながらそう言葉を投げた。すると田中さんは少し困った顔をして 「今日は…プライベートでは無いので…」 と、女将さんに答えていた。 僕が慌てて 「あの!僕の事ならお構いなく!明日、行って来て下さい!」 と叫ぶと、女将さんも頷いて 「そうよ!本当に親不孝なんだから!」 そう続けたのだ。 「え?」 驚いて田中さんの顔を見ると、田中さんは女将さんに 「修子伯母さん、彼は何も知らないので…」 と、困った顔をして呟いた。 「あら、そうだったの?ごめんなさいね。この子、中学上がる前に両親を亡くしてるのよ。だからこんな風に育って…」 「こんな風って…」 苦笑いする田中さんに 「あの時、秋月さんに任せないで、無理矢理にでも私が引き取るべきだったと後悔してるのよ…」 真剣に田中さんを心配する女将さんに 「修子伯母さん!それ以上は言わないで下さい」 田中さんは怒ったように話を遮った。 一瞬、重い沈黙が流れる。 すると女将さんが 「全く…。昔はあんなに可愛かったのに…。取り敢えず、お食事は此処へ持ってくるわね。母屋まで来るの面倒でしょう?」 そう言って部屋を後にした。 女将さんが消えた後、どうして良いのか分からずに黙っていると 「すみません。伯母が余計な話を聞かせてしまって…」 田中さんが困ったように呟いた。 「あ…いえ。」 僕は短く返事をしてから 「あの…」 っと、田中さんに遠慮気味に声を掛けた。 「明日…僕も一緒に行ったらダメですか?」 「え?」 僕の言葉に、田中さんが何?って顔で僕を見た。 「田中さんのご両親のお墓参り…」 勇気を出して聞くと 「伯母の話を聞いて、気を遣わなくて良いんですよ」 田中さんが苦笑いを浮かべてそう言った。 「違います!秋月の分と、僕の分。田中さんのご両親にきちんとご挨拶させて下さい」 真っ直ぐ田中さんを見て言うと、田中さんは少し困った顔をして 「わかりました。」 と頷く。そして 「この話は終わりにしましょう!それより、お風呂に入ってきたらどうです?」 田中さんは笑顔を浮かべると、立ち上がって襖を開けた。 中には浴衣が二着置かれている。 田中さんは浴衣と帯、バスタオルを僕に手渡すと 「こっちです」 って言いながら、部屋の奥の襖を開けた。 そこは洗面所になっていて、その奥の扉を開けると普通の浴室があった。 その浴室の奥の曇りガラスの引き戸を開けると、竹細工で出来た壁があり、床は石で出来ていた。 その奥へと歩いて行くと、大人が数人は入れる石の露天風呂があった。 「此処はファミリー向けの部屋なので、露天風呂も大き目に出来ています。ゆっくり入ってくださって大丈夫ですよ」 田中さんは笑顔でそう言うと、浴室から出て行ってしまった。 僕は制服を脱いで、露天風呂に備え付けられた洗い場で髪の毛と身体を洗ってお風呂に入った。 身体に付けられた跡を見て、夢では無かったと思い出させられてしまい、首を振って温泉へと向かう。温泉かけ流しなので、お湯が流れる音が響いている。 (今日は…なんだか色んな事があったな…) ぼんやり考えながら、空を見上げた。 露天風呂は洗い場以外に照明が無い。 なので、空に輝く満点の星空が見える。 都会では見られない、綺麗な星に声を失う。 温泉の気持ちが良いお湯と温泉が流れる音に満天の星空。
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