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第十四章 赤い糸
あの撮影後、翌週の月曜日から田中さんが前と同じようにやってくるようになった。
「おはようございます、蒼介さん」
笑顔で迎えに来る田中さんに、母さんが「やっぱりこうでなくちゃ~」って喜んでいた。
呼び方が赤地さんから蒼介さんに変わっていて、たったそれだけの事だけど僕にはとても嬉しかった。
でも、以前と違う事が一つだけある。
それは…、田中さんは決して僕に触れなくなった。
一定の距離を保ち、決してそれ以上を踏み越える事が無くなってしまった。
「なぁ、お前等まだくっつかないの?」
呆れた顔をして、教室に着くなり翔が呟いた。
「お前等さ、お互いに好きなんだからくっつけば良いじゃね~かよ」
うんざりした顔をする翔に、僕は小さく微笑む。
声が出ないから、田中さんの誤解が解けないまま時間だけが過ぎて行く。
「戻ったんだな…」
ある日、生徒会のお手伝いをしていて会長に声を掛けられた。
僕が首を傾げると
「秋月の所の秘書、運転手に戻ったんだな」
そう続けた。僕が頷くと
「それで…何故、まだきみの声が戻らない?もしかして…まだ、付き合ってないのか?」
会長の言葉に、僕は小さく微笑む。
「何故だ?だって君たちは…」
そう言い掛けた会長に、僕は首を横に振る。
たくさんの人達を傷付けてきたのに…、僕だけが幸せになんてなれない。
きっと、僕の声が戻らないのもそういう事なんだと思う。
「人の気持ちというのは…上手くいかないものだな…」
会長はそう呟くと、僕の頭を軽く撫でた。
『それに、会長とも付き合ったままですし』
僕がそうメモに書くと、会長が
「それは…」
そう言い掛けた。すると
「あ~!会長が、また赤地にセクハラしてる!」
丁度、入って来た書記の平瀬先輩の声に遮られる。
会長が真っ赤な顔をして
「失礼な!セクハラなんてしていないぞ!」
って叫んだ。
すると、他の先輩たちもぞろぞろ入って来て
「もうさ、赤地もはっきり言ってやりな。迷惑です!って」
「そうそう。はっきり断るのも、優しさだよ~」
と口々に言いながら、文化祭の印刷物をまとめている。
「お前等!何で俺が振られる前提で話を進めるんだ!」
怒る会長に
「え~、じゃあ何で受け入れられると思う訳?」
「え?馬鹿なの?」
「馬鹿なんじゃない?赤地見てたらわかるじゃない。お前に全然興味が無いって」
先輩たちの口撃に、会長がワナワナと震えている。
「まぁさ、ままならないのが恋なんですよ」
「そうだね~。」
「え?お前、好きな人居たの?」
「失礼だな!」
「意外!興味無いかと思ってた」
先輩たちが口々に話していると
「ほら、口は良いから手を動かす!冴木!お前も!」
津久井先輩が言いながら、冴木会長の頭をノートで叩く。
「そう言えば…赤地の所の出し物は演劇だったよね?」
津久井先輩の言葉にピクリと反応する。
「あ、そうそう。ロミジュリやるんだよね?」
大楠先輩の言葉に僕は視線を反らす。
先輩達が、一斉にパンフレットを読み始めた。
「あれ?ロミオが秋月で…ジュリエット……」
って、全員が僕の顔を見る。
そして大爆笑をすると
「いや…うん、似合うと思うよ」
「予想外…そう来たか!」
「え、じゃあ、化粧とかドレスとか着るの?」
口々に言いたい事を言い始めた。
「じゃあさ~、今年のMiss桐楠大附って赤地かもね~」
大楠先輩の一言に、全員が僕を見て笑い出す。
「お前、本当に伝説作るよな~」
津久井先輩まで、爆笑して言っている。
会長が
「カメラ…良いのを買わなくてはな…」
と呟くと、他の先輩達が溜息を吐いて
「出たよ!赤地ストーカー」
「お前、どんだけ赤地好きよ」
「もうさ、病気だよね病気」
って言われている。
この学校の人達はみんな優しい。
会長が僕を好きだと発言しても、決して気持ち悪がったり悪く言ったりはしない。
…でも、それは本当に僕達が付き合っている訳ではないという認識の元ではあるけれど。
僕の容姿に対しても、それが個性で魅力だと言ってくれる。
この学校に来て、こうして普通に生活をさせてもらえているのは、先輩達が築き上げた伝統のお蔭だと思っている。
だから、こうして生徒会のお手伝いを通して、学校の事を知るのは本当に良い経験だった。
文化祭も近付き、学校がどんどん文化祭一色に染まっていく。
僕の声も、少しずつだけど音になり始めていた。
長い事、声を出していないのが不思議で…。
でも、不自由に感じない程、みんなが気を遣ってくれている。
この病気になって、人の優しさにたくさん触れているように思う。
そんな事を考えながら渡り廊下を歩いていると、手にしていた衣装が風に飛ばされてしまう。女子が一生懸命作ってくれた衣装を慌てて拾い集めていると、一枚だけ、ヴェールだけが木の枝に引っかかってしまった。
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