2人が本棚に入れています
本棚に追加
これは、私が小学生の頃の話だ。
私の六つ上の兄には親友の「光」がいた。
光は私の物心がつく前から、放課後になると毎日のようにうちに遊びに来ていた。
だから私もそのうち光と友達になって、光もまた私を煙たがらずに遊んでくれた。
光は私にとって、もう一人のお兄ちゃんだった。
その日も、光はうちに遊びに来た。
でも兄はまだ家に帰っていなくて、共働きの両親も家を空けていたから、私は光と二人で遊ぶことになった。
光は私の好きなババ抜きやテレビゲームをして遊んでくれた。
いつもと違って、その日の光はずっと笑顔だった。
私はそれをみて、少しだけ安心した。
光は高校に入ってから笑わなくなっていたからだ。子供ながらに、大人になっていくと大変なことが増えるのかな、なんて、私はのんきに思っていた。
ふと、外の方へ視線を向けた光がうつむいた。
なぜそう思ったのかはわからないけど、私は光がどこか遠くにいってしまうような気がして、とっさに「どうしたの?」と問いかける。
光はハッと私の方に向き直り、「何でもないよ」と自嘲気味に笑いながら、パタパタと手を横に振った。
「南ちゃんはいい子だね」
唐突に光が言う。
「なんでー?」
「だって、こんな僕にも優しくしてくれるから」
そういった彼は、どうしてか寂しそうに見えた。
光に優しくするのは、光が私に優しくしてくれるからだ。
それに私には、光にいじわるをする理由がない。
光のことが大好きだから、光にも私を好きになってほしかった。だから、優しくしてくれるなんていわれても、幼い私にはよく理解できなかった。
「すいかあげる! 元気だして!」
でも、光が何かに落ち込んでいるのだけはわかって、私は彼を元気づけようと冷蔵庫にあったすいかを皿に出してあげた。
留守番のときのおやつだったけど、光が元気になるならそれでいいやと思った。
「……ありがとう、南ちゃん」
光は申し訳なさそうに、でも受け取って食べてくれた。ちょっと元気が出たように見えたから、おやつを我慢して光にあげたのは正解だった。
「お兄ちゃんまだかなぁ……」
太陽が沈み、あたりが暗くなっても、兄は帰ってこなかった。
そして気が付くと、光はまた外を見てうつむいていた。
今日はいつもと違ってたくさん笑ってくれたのに、どうしたんだろう……
「光、大丈夫?」
なぜそんな顔をするのか、私にはわからなかった。
私が問いかけると、光は「大丈夫だよ」といって眉尻を下げる。
全然大丈夫そうじゃないのに、光は強がりだ。
先日、兄が言っていた。光は我慢しすぎるって、高校にいってもその悪い癖が治らないんだって。
光が我慢してつらいなら、私が少しだけかわってあげられたらいいのに。
そうだ、今日はちょっと我慢してすいかをあげたから、明日はまた明日のおやつを光にあげたらどうだろう?
私が私の「大切」を光にあげたら、光はまた前みたいににこにこ笑えるお兄ちゃんに戻れるかもしれない。
「南ちゃん」
光に呼ばれて顔を上げると、彼は外に視線を向けたまま言った。
「もう少しだけ、ここにいてもいいかな? 思い出の場所だから」って。
日が暮れて遅くなっているのに、まだ一緒に遊んでいられると思って、私は「うん、いいよ!」と即答した。
でもなぜか光は「ごめんね」と謝ってきた。
私がなぜ謝るのか問う前に、彼は外に視線を向けたまま、ぽつりとこういった。
「ありがとう、夏彦」
夏彦は兄の名前だ。なぜ兄に礼をするのか、私にはわからなかった。
光がそういった瞬間、がちゃっと玄関のカギを開ける音がして、私はリビングを飛び出した。
「お兄ちゃんだ!」
駆け足に玄関に行くと、制服姿の兄が父に手をひかれ、下を向いて立っていた。
「おかえりなさい!」
私は兄が帰ってきたことがうれしくて、飛びついてしまう。
「……ただいま南。おそくなってごめんな」
兄は私の頭を撫でてくれた。でも、兄の声はいつもと違ってがさついていて、別人みたいだった。
驚いて顔を上げると、兄はみたこともないくらい目と鼻を真っ赤にしていて、泣きはらしたことが嫌でもわかってしまった。
隣にいた両親はみなれない黒い服を着ていて、何も言わない。自分の親と思えないくらいだった。でも、その当時の私にはそれが何を意味するのかわからなかった。
お兄ちゃん、何かして怒られたのかな?
のんきにそう考えたけど、光がリビングにいることを思いだして、私は兄の手を引いた。
「お兄ちゃん、光きてるよっ!」
「え?」
兄は私の言葉にカッと目を見開いて驚いているようだったけど、私はかまわず続けた。
「リビングでゲームしてたの、お兄ちゃんも遊ぼうよ!」
ぐっと兄の手を引いたが、ものすごい勢いで振り払われた。
兄は私に優しかったから、突然手を振りほどかれるなんて思っていなかった私は、本当にびっくりした。びりびり振り払われた手に痛みが走って兄に手を振りほどかれたのだと私が自覚するのと同じくらいの時、兄が怒鳴った。
「そんなわけないだろ!! お前っ……そういう冗談はやめろッ!」
見た事もない顔だった。
泣きはらした顔を真っ赤にして、眉間には深いしわが入っていた。当時知らなかった言葉で例えるなら、鬼の形相という比喩がしっくりくる、恐ろしい表情だった。
兄は私を怒鳴りつけるなり、そのまま二階にあがっていってしまった。
なぜ怒られたのかわからず呆然としていると、父が私に
「南、そういうことはふざけていうもんじゃないよ」
といった。
やっぱり、何をいっているのか私にはわからなかった。
釈然としない気持ちのまま私はリビングに戻った。
でもそこに光はいなかった。
ただ彼が食べたスイカの皮が乗った皿だけが、テーブルの上に置き去りにされていた。
そのあと、光は放課後になってもうちに来なくなった。
私は寂しくて何度も兄に光のことを聞いたけど、兄は答えてくれなかった。
それから何年か経った後、あの日光は自殺していたと聞かされた。
幼い私は兄同然の人を失ったショックで混乱するとよくないからと、葬式にすら連れて行ってもらえなかったのだ。
でも、あの日家に居られて私はよかったと思うことにした。
光が最後に思い出の場所を訪れた時、私がその場にいてあげられたのだからって。
最初のコメントを投稿しよう!