手首

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「でさあ、そんなこと言うのよ、その子が。もう、おっかしくて!」  彼女はそう言って、ナイフの先で無造作に皿の上の肉を突付きながら、さも可笑しくて仕方ないという風にケラケラと笑った。優雅なクラシックの調べが静かに流れ、比較的落ち着いた雰囲気の店内に、彼女のあっけらかんとした笑い声だけが響いている。店が満席ではないのが幸いだったが、少し離れた所に座っている中年夫婦の奥さんは、「まあなんでしょうねいったい、こんなところで」とでも言いたげな非難の視線を、私の目の前にいる彼女の背中越しに、ちらちらとこちらに向けていた。  それは静かな店内で独り笑い声を上げている彼女自身を責めているだけではなく、彼女をこの店に連れてきて、そして彼女の態度を注意する事もしない私への、ちょっとした非難の視線と言えた。私が連れとしてこの店にエスコートしてきたであろう彼女が、店内の雰囲気にそぐわないという事だろう。連れてきたからには、あなたが責任を取りなさいよ。ここは、その子みたいな若い娘が気軽に来て、大はしゃぎするような店じゃないのよ? ……その視線を十分に感じていながら、それでも私はただにこにこと、目の前の屈託のない笑顔を見つめていた。  彼女は見るからに、まだ二十歳にも満たない「女の子」であり。四十歳過ぎの私は歳相応というか、もしかしたら医者と言う職業柄、落ち着いているというか、実際の歳よりもやや老けて見えるタイプかもしれない。彼女と私は、人によっては親子と見られてもおかしくないのだろうとも思えた。
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