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スプスプのペナントを提げれば、家庭科室はわたしたちのアトリエになる。ふたりのあいだがぎくしゃくしていても、アトリエにいる時、わたしは賢くふるまいたいと思っている。冬夕の隣にふさわしい人でありたい。
「夏休み中にフィルグラのアカウントとっておいたよ」
「サンキュー、冬夕。それ、わたしの仕事だったね、ごめん」
「ううん。アカウントって早い者勝ちでしょう? ブランド展開のことを考えてたら、もうとっちゃえって、勢い。アイコンはスプスプのペナントにしたんだ。よかったかな?」
「もちろん! そうなると、あとは写真、だよね」
トントン、というノックからひと呼吸もおかずに、ひらかれる扉。
「スプスプー! 元気だった?」
大きな声で入ってくるのは谷メイ。これでもか、というほど真っ黒に日焼けしている。
「メイちゃん。こんがり」
「海に行ったんだよね」
へへへ、と鼻をこする谷メイ。
「演劇に支障はないわけ?」
わたしは、真っ先に思い浮かんだ疑問をぶつける。
「ないよ。そこがわたしたちの演劇部のよいところでさ。マーティン・ルーサー・キングを素の日本人がノーメイクで日本語で演じたっていいでしょってなっているの」
「それ、大事」
冬夕が両指を胸の前で合わせる仕草。
「でしょ。政治的に正しい演劇部なんだって。わたし、それは、あんまりよくわかんないんだけれど、なんかいまどき! って感じだよね」
「うん。大事なことだよ。ポリティカル・コレクトネス。無思慮な肌の黒塗りとかは絶対にやめるべきこと。でも、こんがり焼けたメイちゃんが白雪姫を演じたっていい。もちろん、肌の白さを強調する表現は出てこないと思うけれど、違う内面の美しさを誇ればいい。そういうスノー・ホワイトがあってもいい。ルッキズムに陥っちゃだめだと思うの」
冬夕の頰が上気してチークを塗ったようにほんのりピンクになっている。こういう話題、冬夕の大好物だ。うっすら瞳まで潤んでいる冬夕の横顔の美しい。
「まあた、頭のいいこと言っちゃって。あたしは頭がよくないから、ウィンターズの容姿のことは褒めまくっちゃうよ。なんかふたりを見ていると、白馬の王子と姫って感じなんだよね。もちろん王子が雪綺で、姫が冬夕だよ」
「わたし、男かよ」
メイが、わかってないな、ちっちっち、とひとさし指を振る。
「雪綺って自覚ないの? 君のことを王子さま見るみたいに見ている女子たちがたくさんいること」
「冗談でしょ。わたし、モテないし」
「そりゃそうでしょ。ウィンターズいつもいっしょなんだもん。入れる隙間なんか1ミリもないよね」
わたしは、瞬間に顔が赤くなるのを感じた。冬夕の方を見ることができない。
「ふうん。王子と姫ね。わたし姫よりも王子がいいかなあ。ふたりの王子が並んでいるのがかっこよくない? あ、でもそれよりもなんか、ふたりがそのまま立っていて、それで絵になるのがいいかなあ。わたしたち時代の主人公になるつもり、満々だよ」
ガッツポーズをして、わたしに同意を求める冬夕。わたし、主人公ってキャラじゃないんだけど。笑顔もつくれず、沈黙する。
「なってよ! スプスプのふたり、アイドルになったらいいなって思ってる。とびきりかわいいんだし!」
「うーん。アイドルにはならないけれど、アイコンにはなりたいって思っている。わたしたち、女性の立場を政治的に正しいところまで持っていきたいんだよね」
ね、と再び冬夕がこちらに顔を向ける。
またしてもわたしは返事ができなかった。冬夕の理想を知っているし、わたしも女性進出のことには強い興味を持っている。でもね、でも、わたし、冬夕、あなたのことを。あなたのことをただ、ずっと見ていたい。
「ほら! そういうところ! ふたりの間に流れるものがあるから、他の人たちが入り込めないんだよ」
わたしはメイのちゃちゃに救われて言葉を紡ぐ。
「そんなことない。今日だって、普通に男子に冷やかされたし」
「わたしは嫌じゃなかったよ。雪綺は嫌だった?」
放課後になって冬夕は、やたらと挑戦的だ。今朝はおとなしかったのに、なんだかふっきれたみたいだ。
わたしが答えを言いよどんでいると、冬夕は少し寂しげに笑う。
「わたし、雪綺のこと好きだもん」
メイが、口をワナワナさせてすぐさま叫ぶ。
「あー! 告った! 今、告ったよね! 雪綺さん、答えなくちゃ!」
わたしは、目を閉じ、息をひとつ吐く。
「わたし、全然、冬夕の隣にふさわしくない。でもね、受験はする。チャレンジするよ。今日、両親に相談してみる」
冬夕は、ゆっくりとうなずく。
メイは、なんのことかわからずにわたしたちの顔を交互にのぞきこんでいる。
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