黒伯爵の結婚事情

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黒伯爵の結婚事情

 その年、現王の在位二十年も祝って催された建国祭は大変な賑わいだった。  王宮の庭園で開かれた式典には地方の貴族たちも招かれ、その中には滅多に王都に来ない領主夫妻の姿もあった。  北の辺境に近い地の、ウォーレス伯爵ネイサン・カーライルとその妻のステラ。 『黒伯爵』の通り名にふさわしく黒づくめで、深く帽子も身につけた隙のない正装の伯爵。  その隣で、ふわり微笑む奥方は柔らかな薄青のドレス。  下にいくに従って濃紺に変わるグラデーションと散りばめられた銀糸の刺繍が、まるで星の浮かぶ夜空のようだったと、しばらく後まで話題になったらしい。  そして、彼女がその身につけたペンダント。隣国産の珍しい石はこの国では見られない品で、嵌められた枠の細かな装飾と相まって多くの人の目にとまった。  見るものが見れば、それが三公家のうちのひとつの公爵夫人から贈られたものだと一目で分かる。  この儚げな色合いの伯爵夫人は、それでなくとも先ほどまで宰相や司教とも長いこと談笑していた。  隣に立つ夫以外にも複数いる庇護者の存在を広く知らしめて、伯爵夫妻は領地に帰って行ったのだった。 §  領地に戻り落ち着くと、普段通りの生活が再開される。夜の散歩もまた、同じに。  そよぐ風は冷たさを消して、サラサラと肌を撫でていく。  二人が王都にいるうちに、北の地の遅く短い夏も始まっていた。 「……公爵夫人からこれを渡された時は、どうしようかと思いました」  「よかったじゃないか」  胸元できらりと輝く祖母の形見の石を見て、ステラは感慨深そうに呟く。  公爵夫人の邸でレディ・ベアトリクスと再会したあの日、着せ替え人形が終わった時にこれを渡されたのだ。 『息子が無茶をさせたでしょう。謝って許されることじゃないですけれど、ごめんなさいね』  つけ毛にしているものの短くなってしまったステラの髪を撫でながら、公爵夫人は心からの謝罪を口にした。  あの赤毛の男は、公爵家の次男だった。  もちろん、髪の色は様々に変えているそうだ。本人の資質を見込んだ王宮からの特命を受けて、潜入捜査のようなことばかりしているという。  ステラとしては、一度買い取ってもらったものだし、それでケリーも救えたのだから、と断ったのだが、ここでまた遮ったのがレディ・ベアトリクスだった。 『お金が必要らしい、と耳に挟みましてね。直接私が口を出すわけにいかないでしょう、だから公爵夫人(このひと)に表に立って貰いました』  結局のところ、宝石を買い取った代金の出所はレディ・ベアトリクスだったという。 『長い事この石には楽しませていただいたわ。時々着けて出掛けて“公爵家”の箔を足しておいたから、これを持つ貴女は私と懇意だということが皆に分かるでしょう。髪の代わりには足りないでしょうけれど』 『身を守るものはひとつでも多い方がいいのです。伯爵家の者として利用できるものは利用なさい……ネイサン(あの子)の為にも』  それなら代金を返すと申し出たが、遺産の一部だと思いなさいと笑って断られた。  そんなやりとりを経て戻ってきたのだった。
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