ウォーレスの執務室

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 ネイサンの眉間のシワは、どんどん深くなっていく。  線はやや細いものの上背があり、黒髪に半分隠された険のある目元は少し光量を抑えた明かりと相まって、それこそ悪魔のような空気をまとっていった。 「お祖母様、何を勝手に」 「文句があるのなら、その歳まで妻の一人子の一人もいない自分の不甲斐なさを責めなさい。伯爵家を貴方の代で絶やすつもりですか、この不孝者」  トン、と杖を鳴らして顎を上げたベアトリクスとネイサンは鋭い視線で対峙する。  折しもみぞれまじりの雨の夜、さらに冷え込んだ執務室の室温にアランは思わず腕を擦った。 「ま、まあまあ、」 「お前は黙っていろ、アラン。お祖母様、いくら貴女でもそんなことが許されるとお思いですか」 「許されるも何も既に届けは済んでいます。とうに先月から、貴方は妻帯者なのですよ」  パサリ、と置かれた書類をひったくるようにして取ったネイサンは、紙面に目を落とし言葉を失くす。  自分の名前が書かれた婚姻証明書の写しが手の中でくしゃりと歪んだ。 「……署名した記憶はありません」 「覚えがあったらそれこそ問題です。私の署名と、貴方が私に預けている伯爵家の印で事足りる――その程度のことに即座に考えが及ばないから、こうやって足元を掬われるのです」  ウォーレス伯当主を継いで以来、王宮関係の執務に忙しく、領地の運営に関してはそのまま祖母に任せ決定権も渡していた。  随分前から跡目についてはうるさく言われていたが、まさかそれを悪用し強引にことを押し進めるとは予想外だった。  ……いや、祖母はもともとこういう人だった。  結婚など考えたくなくて見ないふりをしてきたのだ。  父亡き後、ネイサンが成人するまでの数年間。  領主代行として立ち、この気概と手腕によって他の貴族たちの横槍をことごとく退けてきた祖母。  この婚姻だって、一ヶ月の異議申立て期間を過ぎたからこそこうして話してきたのだろうことは想像に難くない。  これ以後は受理の取り消しは不可能で、破棄しようとすればすなわち離婚となる。  貴族間の離婚は認められてはいるものの、好意的に受け入れられてるとは言いがたく、また、その事務手続きもかなり複雑になり時間がかかる。  スムーズにいって半年、中には二年三年とかかることもザラだ。  もともと政略結婚が多い事もあり、わざわざ離婚せず別居などで済ますケースの方が一般的だ。
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