令嬢の困惑

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 貴族の結婚は相続や家督が絡むため、国への届けが必要になる。  逆に言えば、届けが受理さえされれば結婚が成り立つのだ。  特に婚約期間なども定められていない。  そして必要なのは家長の承諾と決定で、「婚姻者本人の同意」ではない。  ステラは婿をとってクレイトン男爵家を継ぐ心づもりでいたから、祖父が決めた相手との政略結婚に異論はなかった。  しかし、知らない間に既婚者になっていたのはさすがに予想外だ。  書かれていた婚姻の日付は、祖父が倒れた後ではあるが少し持ち直した頃。  短時間なら起き上がることも出来て、見舞いに訪れた昔馴染みのミセス・フロストとお喋りもしたのだ。  そのまま快復に向かうと信じていたのだけれど――。  叔父はクレイトン卿が署名したのだと言ったが、写しの婚姻証明書ではそれも確かか分からない。  王都に行けば、書類の原本を閲覧することは可能だが、それなりの日数を必要とする煩雑な申請手続きをしている余裕があるとは思えない。  迎えが来次第ここを発てと言われたが、この流れでいけばすぐにでも来るのだろう。  ステラが生まれ育ったこのクレイトンの領地を離れることは、既に決定事項なのだった。  ステラ・カーライル  それが婚姻証明書で判明した、今の自分の名前。  夫の名はウォーレス伯爵ネイサン・カーライル。会ったこともない、顔も年齢も知らない、旦那様。  箱入り娘で交友関係の狭いステラは、他の貴族たちとの面識がほとんどないが、さすがに国内の地理くらいは分かる。  嫁ぎ先は国の北側、辺境の少し手前――そこはきっと、春の訪れもまだだろう。  相手は格上の伯爵家。身分でいえば恵まれた結婚だ。  領地も広さがあり、詳しくは知らないが、王宮とも懇意だと聞き及んでいる。  その割に王都にも王宮にも滅多に姿を見せないので『影伯爵』とか、いつも黒い服ばかりなので『黒伯爵』と呼ばれているとか。  やっかみとも取れる呼び名は、どちらかというと恐れを含んでいるのだと祖父が漏らしたことがある。  王家から重用されている伯爵が中央に頻繁に顔を出すようになれば、その影響力がますます強くなるのは必然。  このまま地方でくすぶっていてほしいとの願いを込めて、権勢を誇るお歴々が呼び始めたのが広まったのだと、苦笑していた。
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