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王都では『影伯爵』とも呼ばれているが、領地近辺では『黒伯爵』の通り名で恐れられている。
黒いローブや帽子を常に深く被っており、直接顔を見たものはいない。
目が合うと生気を吸い取られる。
昼間に姿を見かけると、晴れていても嵐になる。
月のない晩は伯爵が夜中に来て鶏の卵を取っていく。
「……ちょっと待って。それは、いくら何でも」
「全くです。卵はないでしょうよ」
卵以外も大概だと思うが。
顔を見たものはいないと言いながら、どうやって目を合わせられるのか。
まるで童話の悪役ではないかと、思わず額に手を当ててしまう。
眉を寄せるステラとケリーに、仕入れから戻った小間物屋の夫婦はそうは言っても、と言葉を重ねる。
「でもですね、お嬢様。ウォーレス伯爵様について聞けば、よく知らないって人の方が多かったですが、知ってるって人達は大体がこんなところでして」
「そりゃあ、噂話だってのは分かってますよ。でも、火のないところに煙は立たないっていうでしょう。そんな人のところに、わ、私らのお嬢様が嫁ぎなさるなんて……っ」
おいおいと泣かれてしまい逆にこちらが慰める始末。
こんな情報ばかりを落とされて泣きたいのはこちらのほうだが、純粋に好意からの行動を頭ごなしに咎める気にもなれない。
噂には、実は本人に姿を似せた悪魔が成り代わっているのだ、という三文小説のようなものまであった。
一事が万事この調子で、信用できそうな情報はつまるところ『伯爵が黒い服を好み、滅多に人前に姿を現さない』ことくらいだった。
旅中の宿で寝支度をしながら飲み込んだため息は、侍女に伝わってしまった。
鏡越しに目が合って、慌てて何でもないと笑ってみせるが遅かったようだ。
表情も感情も、取り繕う必要のない生活を送ってきたステラは仮面をかぶることが不得手だ。
こんなに貴族らしくなくて、果たして格上の伯爵家の女主人が務まるのかと我ながら不安に思う。
「まったく、もう少しまともな噂はなかったのでしょうかね。まあ一応、覚悟だけはして参りましょう」
「ケリーにも心配をかけてしまっているわね……でもほら、噂って大げさになるものだわ」
「内容の真偽はともかく、ひとつくらい好意的な噂があってもよろしいでしょうに」
「ええと、確か、お声は素敵だとか」
「滅多にお話しにならないとも聞きましたわね。お声を出された日は夏なのに雪が降るとも。きっと、笑いなさった日には槍が降って地が割れることでしょうよ」
二人だけの時に限るが、ケリーは真っ直ぐに伯爵とその噂について口にする。
立場上、言うことができないステラの代わりに、不安と不満を外に出して気を紛らわせてくれているのだ。
そこに冗談を混ぜて噂は噂だと強調することも忘れない。
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