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「3日前なんだけどね。俺、退社するとき、おかしなもん見ちゃったのよ」
「え。おかしなもの? どこで? どういうものっすか?」
「見た場所は普通に外。この会社の、ビルを出た、すぐそこね。そこにね、いたんだよ、でっかいのが」
「でっかいのって……」
「ペンギン」
へ?
「……えっと、ペンギンて、ペンギンすか?」
「そうそう、ペンギン。それも群れ」
熊さんは真剣な表情を崩さず、声を潜める。
「その日も俺、会社を出るの一番最後だったんだよね。まあ終電にぜんぜん間に合うタイミングだったから、いつもよかちょっと早かったんだけど。鍵閉めて、エレベーターで下まで降りて。そしたらさぁ、ここの前の道ってほら、駅までずっと繁華街じゃん? その繁華街をね、ペンギンが、それも人間大のデカいやつが、あっちにもこっちにも、うようよ、わさわさ、ぺちぺちいるわけ。もうさ、これはいったい何なんだって。わけわかんなくて、怖えーのなんの」
彼が言ったように、この会社があるのは繁華街にある雑居ビルの5階だ。3階から下は全部飲み屋で、道に並ぶ店も飲食系が多い。そんな環境だから、午後10時、11時にオフィスを出ると、だいたい2軒目、3軒目を目指す人々のかたまりに出くわす。
そこに、でかいペンギンが、うようよ、わさわさ、ぺちぺち――。
「……熊さん、あのう、他の人はどうしてました? そのペンギンに驚いていましたか?」
「いや、それがさぁ、そのへんペンギンだらけなせいか、ぜんぜん誰も驚かねぇのよ。しょうがないから俺も、フツーにペンギンをかいくぐって、電車乗って帰ったよ」
「……へぇ……」
「あ、リアクションに困ってる? 困ってない?」
「いや、まあ、その……」
「でもな、聞けよ? その日起こった変なことは、これで終わりじゃないんだよ」
ノッてきたのか、熊さんはますます乗り出してくる。
「実はさあ、うちと道路挟んで南の向かい側に中学校があんだよね。で、俺んちはアパートの二階なんだけど、その窓から鉄パイプのベランダ越しに、ちょうど校舎が見えるわけ。それがね、その日帰ってからふと見たら……、なんと横倒しになってんのよ」
「横倒し? 校舎がですか!?」
「そうなんだよ、こうね、こう」
熊さんは平行にそろえた手を右に倒して、上手に「横倒し」を表現してみせる。
「本当に奇妙なことにさ、横に寝ちゃってんのね。周りが暗くても外壁は白いから、暗闇の中に白くぼぅっと、横向きの校舎が浮き出ていてさ……。もうあんまり不思議で、それに不気味でたまんないから、思わず立ち上がって見直したわけ。そしたら、何ともなってなかった。校舎は、縦に戻ってた」
「……」
「怖かったわー、ほんっと怖かったわ。俺、一瞬、知らない世界にでも踏み込んだんじゃないかと思ったね。いや、もしかしたら、あの日の俺は、実際に踏み込んでたのかもしれないとも思うんだよな。等身大のペンギンが住んでいて、この世界ならまっすぐ立っている建物が、なぜか横倒しになって存在している。そんな奇妙きわまりない世界にさ――」
「熊さん」
沖野は呼んだ。静かに。
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