ミール・リクエスト【お題:900ミリメートル、死なばもろとも、特上天丼】

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ミール・リクエスト【お題:900ミリメートル、死なばもろとも、特上天丼】

 青白い光の筋を長くひきながら、無数の霊たちが地上へと散らばっていく。流れ星を上から眺めるようなこの美しい光景は、天界・日本エリアの門からだけ見ることができるお盆の時期の風物だった。彼らは、手続きがすんだ順に門から飛び出し、家族がいるものは家族のもとへ、いない者は生前馴染みのあった場所へ、数日間の短い帰省を楽しみに行くのである。 「初めての里帰りなんですよ」  列の最後にいた老人は、門番に手続き完了証明書を見せながらうきうきした笑顔を見せた。 「よかったですね」  門番がそういうと、老人はもっとニコニコした。80代半ばくらいに見える、見るからに話好きな雰囲気のおじいちゃんだ。新盆の霊は手続きに時間がかかるので遅めの出発になるのは普通のことだが、彼の場合は、たぶん行く先々で無駄話をしていて最後になったのだろう。 「いやあ、私ね。楽しみにしていることがあるんですよ」 「ほう、なんですか」 「ほら、お供えしてもらわないと食べられないものってありますでしょ」 「ああ、いわゆる地上グルメ」 「そうそう、それです。私はね、きっと天丼を供えてもらえると思っているんですよ」  いきさつを聞いてほしそうだ。門番は内心苦笑しつつ、「なぜですか」と続きを促した。 「実はねぇ、私、死ぬ前にちょうど天丼を食べる予定だったんですよ。お昼にね、久々に特上の出前を頼んでね。ところが、到着を待っていたところで心臓がギュッと痛んで、残念ながらそのまま……」 「そうですか、それは残念でしたね」 「いや、でもね、ここからが面白いんですよ、ぷぷっ。私、なんとね、いまわのきわに呟いたらしいんです。『特上天丼』って」 「ええ? それは面白い。そんなことがあったんですか」 「はい、私、自覚はないんですけれどね、葬式の時に身内の者がそう言って笑ってました。まあ、おかげで和やかなお葬式になって良かったです。こんな会話も聞こえてきましたよ、『じいちゃん、よっぽど天丼が食べたかったんだろうね』『なんとかして食べさせてやりたかったねぇ』――」  老人はますます嬉しそうになってきた。髪の毛の少ない頭まで紅潮してきている。オバケになって、もうそこにあるのは肉体ではないはずなのに、生前と同じように赤くなったり青くなったりするのは不思議なことだと門番は思う。 「ですからねぇ、私、ちょっと期待してるんですよ。お盆で帰省しますでしょ? そうしたらね、うちの者たちはきっと、仏前に特上天丼をお供えしてくれると思うんですね。ああ、今から楽しみだ。やっと食べられるんですよ、あのとき食べられなかった特上天丼が」 「ああ、そうですか、いいですね。おいしい天丼、食べてきてくださいね」 「はいはい、帰ってきたら報告しますね」 「では、行ってらっしゃい。お気をつけて!」  老人は門番に向かって手を振り残し、「えいっ」と飛び出した。高揚した気持ちが表されたのか、雲の切れ間に彼の描く光の軌跡はきらめくオレンジ色になり、他の霊のそれより長く、空中に色を残していた。 ***  閉ざしている天の門が、外からがちがちと揺らされる。 ――あれ? もう霊が帰ってきたのか?  まだお盆期間は始まったばかりだ。訝しみながら門番が出ると、門のカギを外すか外さないかのうちに一人の霊が転がり込んできた。  一番最後に出て行った老人だ。彼は、はあはあと荒く息をし(厳密には息はしていないが)、悔しそうに顔をゆがめ、額にはメロンのような青筋をたてている。なんだろう。なにか、ものすごく怒っているような。 「ど、どうなさいました? 忘れものですか?」 「……天丼です」 「はい?」 「【天丼】なんだそうです!」  わけがわからない。 「ちょっと待ってください、どういうことですか」 「墓ですよ、墓! 私、最後に口走ったのが『特上天丼』だったって話しましたでしょ!? そうしたら、あなた、なんてことでしょうか。お墓に天丼があるじゃありませんか!」 「え、いけなかったんですか? ちゃんとお供えしてくれたんでは……」 「お供えじゃないんです! 息子のやつ、私のお墓に今風の洋墓を――ああ、私は間口900mm×奥行き900mmの墓地一区画をちゃんと自分のために買っておいたんですけれどね、そこに縦長のじゃなくて平べったい石がついたお墓、あれを選んで建立したんです。それはいいんですよ、流行ですからね。けどね、息子のやつ、あろうことか墓碑に【天丼】と刻んだんです! 他の人は【心】とか【絆】とか【愛】とか刻んでいるところに【天丼】です!」 「え、ええ……」 「息子のやつ、誇らしげでした。『最後の最後に天丼と言うなんて、きっと天丼は親父の人生そのものだったに違いない。だから墓にも刻んでやりました』だそうです! 信じられませんよ! あなた、しかも戒名もですよ――私、死んでも生前の名前で呼び合っていましたからあまり気にしていませんでしたけど、よく見たら戒名もひどいもんでした」 「戒名ですか。どんなふうだったんですか」 「『美食院天丼愛貫居士』です。びしょくいん・てんどん・あいかん・こじ! いったい誰がつけたんですか、こんなひどいの。ふざけてますよ、失望しましたよ。もう今後一切、私はお盆帰省はしません! 代わりに末代まで祟ることにします!」  門番は仰天した。子孫を守るべきご先祖様が、末代まで祟ると言い出すなんて聞いたことがない。これは由々しき事態だった――このままでは、この人が悪霊になってしまう。なんとかしなければ。なんとか。 「い、い、い、いやいやいや、待ってくださいよ、それじゃあなたの子孫も、あなたのお墓を守ってくれる人もいなくなるじゃないですか」 「上等です。死なばもろともですよ。あんな墓を建てるやつらは子孫繁栄なんかしなきゃいいんですっ!」 「お願いです、本当に待ってください。なんとかしましょう、落ち着きましょう」 「なんとかするって、死んだ身で何ができるというんです! やれることなんて呪いと祟りしかないじゃありませんか!」 「そ、そうだ、戒名をこちらでつけなおしては。なんならランクアップしてはどうですか!?」 「なんですって、あなたは私の名前を『美食院特上天丼愛貫居士』にしろと言うんですか!? あなたまで、ふざけないでくださいよっっ!」 「ああ、ち、違います、そういう意味では――」  老人の姿はどろどろと端から崩れ始め、足から飴のようにねじれてきた。  いけない、悪霊化が始まっている。悪霊になってしまったら、この人は即刻天界から叩き出され、行く場所は墓の下深くにある黄泉の国しかなくなってしまう。  黄泉の国に招かれたものは、いったん自分の墓をくぐり抜けて、その下の下まで自力で旅をするのがルールだが、しかし、それも大変だ。【天丼】と刻まれた墓碑をこの人がふたたび目にしようものなら、悪霊を通り越して世紀の大魔王になってしまうのではないか。  ああ、でも、もうどうすることもできない――!  門番がありとあらゆる上級の神仏に助けを求めようとしたときだった。 ――ピンポーン  間の抜けたチャイム音と一緒に「お届け物でーす」という声がして、開いたままだった門の向こうから、肩に羽をつけた僧形の存在がひょいと顔をのぞかせた。 「まいどどうも、天界デリバリーサービスです。あのー、今年の6月24日に川咲山病院でお亡くなりの美食院天丼愛貫居士さんに、ご遺族から特上天丼のお届け物なんですけれど、こちらでよろしいですか?」  今にも悪霊に覚醒せんばかりに形が崩れ、足元からぐらぐらとゆれていた老人が、動きを止めた。 「……お届け物って、そういうの可能なんですか? 門番さん」  話し方が少し落ち着いている。門番は急いで頷いた。 「は、はい。実は可能です。普通にお供えいただいた場合、こちらから地上に出向かないと受け取れないんですけど、ご遺族がちゃんとその方の御命日とお亡くなりになった場所を言って、“この人に届けてください”という思いで祈りを捧げた場合は、こうやってデリバリーさんが動いてくれるんです」 「……じゃ、私、特上天丼、食べれるの」 「は、はい! 食べられますとも。ご遺族が届けてくれましたから!」  老人は「そう…」と呟いた。足から首までねじねじになり、なにかわからない真っ黒なものをぐるぐると渦巻かせていたその姿が、急にふっと淡く白い光を帯びたかと思うと、キャンディの包みを引っ張ったように、くるくる、ぽん、と、元に戻った。  老人は静かに進み出て、ドンブリと割りばしを受け取る。デリバリーは会釈してすぐ飛び去った。老人はドンブリを胸に抱きしめたまま、その姿をぼんやりと見送っていた。 「召し上がりませんか?」 「ああ、いただきますよ……」  まだ放心したような顔で、老人はその場に座り込む。蓋が開かれると、湯気と一緒に醤油まじりの出汁の香りがふわっと広がった。  サクサクの衣に包まれたエビは、老人が噛むと、サクッといい音を立てた。ナスは熱々、カボチャはほくほく。ドンブリからはみ出さんばかりのかきあげは、少しタレが染みところがほどけて、白い玉ねぎがのぞいている。そのシャキシャキ感が残る絶妙な具合で油から引き揚げたのに違いない。  もそもそ、もそもそ、老人はただ黙って食べ続ける。なんとなく邪魔してはいけないような気がした門番が、そっとその場を離れかけると、 「門番さん」  気づいたらしい老人が呼んだ。 「はい」 「私ね、」  老人はドンブリの上に屈みこんだまま、顔を上げないでいる。暗い雰囲気だけど、大丈夫だろうか。もしかして、また悪霊になりたくなるような、不味い食材でも混じっていたのだろうか。 「あの……だ、大丈夫ですか?」 「大丈夫です。大丈夫です。子々孫々まで、大丈夫です。私は……私は、『美食院天丼愛貫居士』です」  老人は急にがつがつとドンブリをかっ込み始め、残り10秒で全部を平らげる。「ああ、おいしいなあ!」――大きな声が、本当に大きな声が、お盆期間で誰もいない天界・日本エリアに響き渡った。
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