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行き止まり
ワイシャツに腕を通す時の感覚が好きだ。
少しひんやりしていて、そこから空気を割いていくように自分の腕が伸びる。
首を少し圧迫した緑色のリボンが、白地にまぶしい。
「制服よし、前髪よし、持ち物よし、っと」
鏡の前で軽くスカートをはたき、自分の顔をまじまじと見る。
「うん! 私、今日も可愛い!」
毎日家を出る前にそう自身に言い聞かせるのが私、紫呉(しぐれ)あげはの日課だ。
決してナルシストなんかじゃない。
これは一種の呪文とかおまじないとか、そういった類いのものだ。これを言えばその日一日、きちんと私を全うできる気がする。
大きな声を出したからか、奥の部屋からミャーオと鳴き声が聞こえた。
少しあいていたドアの隙間から、器用に滑り込んでくる。
「あらミント、起こしちゃった? おはよう」
いい天気だね、と撫でてやると彼女は満足そうに目を細めた。
自転車をかっ飛ばして二十分。
いくら今年は気温が低いといえど、さすがに運動をすると汗ばむ陽気だ。
やけにしっかりとした制服の生地を摘み、パタパタと空気を送り込む。
「ひえ〜……やっぱり近くで見ると毎度壮観ねえ……」
今日から自分が通う校舎を目の前に、私は何度目かのため息をついた。
これは感嘆のため息よ。幸せ逃げてったりしないんだから。
自転車を置き、早足で校内へ入ると、中は新入生で溢れ返っていた。
壁に貼ってある順路も、さほど意味を成していない。
当分進展がなさそうな集団に諦めをつけ、私は鞄から封筒を取り出した。
「ええと、一年A組か」
事前に届いた入学書類には自身のクラスが明記されている。
どきどきもわくわくもあったもんじゃない、大体希望通りに配属されるのだ。
ついでに校舎内の地図を開き、教室の位置を確認する。
意識の集中がそれに向いていたせいか、横から軽く押されて左に一歩ぐらつく。
「あれ、こっちノーマークじゃないの」
正面玄関左側は閑散とし、十分こちらからでも中に入れそうだ。
まあもちろん混乱を避けるために少しずつ正面から新入生をいれてるんだろうけど。
「ちょっとずるいけど……ま、いっか」
時にはずるさも必要なのよ、アデュー!
心の中で決め台詞を吐き、私は軽快な足取りで中へと突入した。
土足厳禁な通常の学校とは違い、ここは外靴のまま入ることが許されている。
ここが危険にさらされ、一刻も早く離れなければならない事態を想定して。
何もマフィアとやり合うわけじゃない。
私だって、否、私たちだって、善良な市民でいたかったのだから。
「あれ、こっちは行き止まりだけど?」
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