第四話 天方家の秘密

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 依坐は、神霊の依り代となる人間のことをいう。たいていは子供や女性が用いられ、神霊を乗り移らせて託宣(たくせん)を述べさせたりするものだ。  だが、ここで涼がいう依坐は、祓いの儀式に用いるものだった。依り代になる人間は、神霊が依りつきやすい性質を持つ。それを利用して、悪霊や穢れを一時的に「つける」……元々憑かれている人間から霊を移すのだ。そうして依坐の身体に移した後で、悪霊調伏、祓いを行う。  涼は、閑子に懸けられた呪詛を、穢れを結月に移したのだ。 「結月くんは梓巫女の家系だそうだよ。これ以上ないほど適している人間だ」 「だからって、そんな危険なことを……」  いくら巫女の血筋とはいえ、穢れをその身に引き受けるなんて危険だ。死に至る可能性もある。  睨む漣に、涼は苦い笑みを見せた。 「いろいろ試したんだよ。閑子の呪いを浄化できないかと、より清められた紙で力を込めた護花を大量に作った。別の物に移せないかと、強力な人形を幾つも作った。……けれど、駄目だった。全て壊れてしまったんだ。ならば、もっと大きな器を、耐えられる器を用意しなくては」  訥々と涼は語る。 「この二か月、結月くんを観察してきた。彼女は優秀な霊媒だ。一度、言伝で彼女の身体を使わせてもらったが、操りやすい反面、自我が残っていた。これは珍しいことだ。元々、彼女自身の力が強いのだろうね。その割に、力の使い方を知らないようだ」 「だから父さんが使うって言うのか。彼女の許可なしに、勝手に……」 「勘違いしないでくれるかな。結月くんの方から協力を申し出てきたんだよ。閑子の役に立ちたい、助けたい、とね。彼女の思いを無下にしろと?」  涼の反論に、漣はぎりっと拳を強く握った。  確かに、結月は漣に対しても言っていた。 『閑子様に、何かあったのですか?』 『何か、私にできることがあれば――』  閑子を慕う結月が、閑子を助けるためにと動くのは分かる。だが―― 「……父さんが、そう仕向けたんじゃないのか? 母さんのことを教えれば、結月さんがそう言いだすと分かっていて、あえて教えたんでしょう?」 「……」  涼はわずかに目を眇めた後、すました顔で頷いた。 「ああ、そうだね」  あっさりと涼は肯定する。その余裕の態度が――結月を騙して利用しようとする父が、漣は許せなかった。 「こんなこと……彼女に何かあったら、母さんが悲しむだけだ! 助かったところで、母さんが喜ぶとでも思っているの!? 結月さんを傷付けて、母さんに恨まれても、それでも父さんは――」 「わかっているよ。けれど……それでも私は、閑子を死なせたくない」  すうっと涼の表情が変わる。切れ長の目に冷たい光が宿った。 「話は終わりだ、漣。邪魔をするなら、お前でも容赦はしない」 「っ……」  びりびりと肌に伝わってくる霊気。自分よりもはるかに強い力に漣の肌は粟立ち、足が竦んだ。  その一瞬の隙を突かれた。  突然宙に現れた白い梟が、ばさっと大きな羽を広げて、漣めがけて勢いよく飛んでくる。鋭い爪が眼前に迫り、避けるために漣が一歩下がった途端、目の前の襖が音を立てて閉まった。  涼と結月の姿が、白い襖の向こうに消える。 「なっ……」  急いで取っ手に手を掛けて引っ張るも、襖はびくともしなかった。押してみても、蹴破ろうとしても、まるで岩戸のように固く閉ざされている。 「くそっ……父さん!」  だんっ、と襖を殴りつけて怒鳴るが、返事は無い。  廊下に降り立った白い梟が、金色の目で漣を見やる。 『漣殿、無駄ですよ。すでに結界は張られました。あなたの力では敵いません。大人しく引き下がりなさい』  梟――涼の式神からの忠告に、漣の式神である二号や三号がぶわりと羽を膨らませて殺気立つ。 『貴様、よくも偉そうに……!』 『ええい! 漣様、ここは儂にお任せを! 我が命懸けてでも破ってみせますぞ!!』 「っ……それは駄目だ」  今にも襖に突っ込みそうな三号を、漣は我に返って押さえた。……逸る式神たちのおかげで、少し頭が冷えた。  たしかに、梟の言う通りだ。父に敵わないことは、漣だってわかっている。自らの力を技を使ったところで、結界は破れないだろう。ならば――  漣は無言で身を翻した。漣様、と二号が困惑したように見上げてくる。 「……」  今までずっと、涼のやることが最善だと思っていたから、言うことを聞いていた。反発心はあったものの、それでも漣は心のどこかで父を信頼して……いや、父に責任を負わせていただけだ。  自分が子供だと甘えがあった。父に任せればいいと楽観できたのは、責任を負わなくてよかったからだ。  けれど、今回はさすがに見過ごせない。大人しく引き下がることなどできるか。  結界が破れないのなら、別の方法で開けるまで――。  漣は閉じた襖を一瞥して、急ぎ足で階下に降りた。 「……そうか。意外にあっさり引き下がったな」  結界の外にいる梟から、漣が客間から離れたと報告を受けて、涼は一人呟いた。  淡泊に見えて、負けん気の強い息子。簡単に諦める子ではないと思っていたが……。  まあ、いい。ひとまず時間は稼げた。結界を破るにしても、何重にも張ったものを突破してこちら側に来るには時間が掛かる。その間にすべて終わらせてしまえばいい。 「もし漣が戻ってきたら、足止めしておいてくれ」  梟にそれだけ伝えると、涼は目の前に横たわった結月を見下ろす。  胸の上で組まれた彼女の右手には、赤黒い文字が浮かんでいる。閑子の依坐となった今、結月の中で呪詛の広がりつつあるのだ。  健康体であり、かつ霊力のある結月であれば、閑子よりも進行は遅いだろう。広がりきる前に祓わねば――。 『彼女に何かあったら、母さんが悲しむだけだ!』 『母さんに恨まれても――』 「……わかっているよ、漣」  結月を騙して利用した。  霊の記憶を見ることのできる結月の考えていた方法と、涼の考えていた方法は違う。涼にとって、結月はただの受け皿でしかなかった。……その方法を言えば、結月が怯むと思ったから。呪詛の受け皿になど、誰もなりたくないだろう。だから、結月が自主的に閑子に触れるように誘導したのだ。  涼の目論見など知らずに、結月は見事に依坐となってくれた。  ……結月を利用したことを知れば、きっと閑子は傷つく。  だが、恨まれても憎まれても構わない。結月にも――閑子にも。  これは自身の望みだ。ただ、閑子を元に戻したいと、その望みのために。 「……」  涼は深呼吸して精神を統一すると、榊の枝を手に取った。すっと息を吸い込んだ後、祓詞(はらえことば)を口にする。 「掛けまくも(かしこ)伊邪那岐(いざなぎの)大神(おおかみ)日向(ひむか)の橘の小戸の阿波岐原(あわぎはら)御禊(みそぎ)祓え給いし……」  厳かな響きの言葉が室内に響く中、結月の指先が小さく動いたことに涼は気づくことは無かった。
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