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こっちも相槌に困る。うわっーー、この人、自分の平凡さを自覚していたのね。
正直、これまでは樋口さんは万里子さんのどこがいいのか理解できなかった。でも、万里子さんは、あたしが躊躇する場面であろうとも前に踏み出せる人だったのだ。
いざという時に、どう動くかで人の価値は決まる。うちの祖母がそんなふうに言っていたっけ。
三年前、あたしが樋口さんに惹かれたのは、彼が大人相手に怯むことなくサラリと救ってくれたからなのだ。今回の事で万里子さんの魅力はよく分かった。樋口さんが惚れるのも当然だ。
でも、万里子さんにとって樋口さんはどういう存在なのだろう。本音を知りたい。そう思った途端、あたしの唇から言葉が漏れ出していた。
「あの、ひとつ聞いてもいいですか」
「えっ、何?」
「万里子さんは樋口さんのどこか好きなんですか?」
かなり不躾な質問だというのに不思議がることもなくアッサリと答えたくれた。
「そうだなぁ……。面白いところかな」
えっ、面白い? 樋口さんのクールなイメージからかけ離れている。しかし、万里子さんはクスッと何かを思い出し、まどろむような表情を浮かべて幸せそうに呟いた。
「一番、いいところは、おばぁちゃんを何よりも大切にしてくれるところなの。おばぁちゃんが何回も同じ事を聞いても答えてくれるの。おばぁちゃん、ボケちゃってるから、何かと心配なんだけど、樋口君と話すと生き生きするの。おばぁちゃんの病院の送り迎えもしてくれるの」
「そうですか……」
樋口さんは万里子さんを大切に思っている事は明らかである。万里子さんを想って涙ぐむ表情を見た事があるんだもの。
この時、あたしは夕菜とちえみさんの事を思い返していた。
ちえみさんと夕菜は偏屈な祖母のトイレに付き添っている。祖母に駄目出しされても夕菜はへこたれる事なく接している。こないだ夕菜に尋ねたのだ。
『夕菜、なんで、おばぁちゃんの身体を洗ってあげてるの?』
『おばぁちゃん、可哀想だよ。足首が痛くて不便なんだもん。やっぱり親子なんだね。おばぁちゃん、東大を卒業している父さんの事、嬉しそうに自慢してる。お姉ちゃんの事も自慢してる。親子揃って頭がいいもんね』
自分が好きな人の家族も大切に感じる。こういうのが愛なんだよね。そんな事を考えていると、万里子さんがゆったりと満ち足りた顔で呟いたのである。
「あたしが悪い人に襲われかけた時に樋口君が全力で助けてくれたんだ。多分、他の人の事も同じように助けていたと思うよ。そういうところがカッコいいの」
万里子さんの照れたような微笑みに不意打ちを喰らってドキッとしてしまう。
邪気や愚かな気負いがない。佇まいが綺麗だった。
ああ、勝負にならない。あたしの完敗だよね。あたしみたいな奴は万里子さんを妬む資格なんて一ミリもない。それなのに一方的に執拗にライバル視して貶めようとしてきたのである。
妄想の世界ではあたしを中心に都合良く恋が展開してくれる。でも、現実の世界はそうはいかない……
いたたまれなくなる。眉尻を垂らして情けない表情になりながら会釈していた。
「それじゃ、あたしは帰りますね」
万里子さんの携帯が鳴り出していた。万里子さんが手にしている鞄は雑誌の付録だった。携帯に向けて、いそいそと話し出している。
「あっ、樋口君。今日の御飯は樋口君が大好きな餃子だよ。ごめんね。冷凍御飯でもいいかな? それとも、冷凍御飯をピラフにしようか。ピラフならすぐに作れるよ」
この時、あたしはリリーちゃんのリードを握って歩きながらも、恋人同士の会話を背中で聞いていた。
「樋口君のコートのボタンをおばぁちゃんがつけるって張り切ってるけど、おばぁちゃん、針に糸を通せないから通してあげてね」
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