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 車に乗ってから五分ほど経っただろうか、何処に向かっているのか分からないままサチは隣で運転する康孝の方を見た。 「不安ですか?」 「当たり前です!」 「大丈夫ですよ。無理心中しようってわけじゃないですから崖とかに連れてったりしませんよ」  あははと笑うと片手で優しくサチの頭を撫で、綺麗な色ですねと髪の束を掬い上げて意味深にウィンクした。 「ちょっと!前から思ってますけど、人に気安く触るのやめてもらえますか。あと含んだ言い方しか出来ないんですか……」 「おや、ストレートに言ったほうが良いですか?」  すると驚いたような顔をするので、サチはしまったと思う。 「そうやって、駆け引きみたいに人で遊ばないでくださいって言ってるんです」 「遊んでるつもりはないんだけどな」 「そういうところですってば!」 「ははは」  康孝は嬉しそうに笑って、もうすぐ着きますよともう一度サチの頭を撫でた。 「本気で言ってるんです!本当に自分勝手」 「そうですね。こうと決めたらなかなか考えは変えない質なので」  動じることもなくしれっと答えると、車は大通りから住宅街に入り、まもなくして三階階建てのデザイナーズマンションの地下に滑り込む。 「さあ、着きましたよ」  日差しを遮るようにシャッターがゆっくり降りて閉まる。車をマンションの地下に駐めると、康孝は後部座席からサチの荷物をピックアップしてすぐに車から出る。  ここが何処なのか、おおよその予想はつくが、シートベルトを外して居住いを正す。  案の定ではないけれど、車内から見えているので、康孝が車の扉を開けて差し出す手を素直に取った。 「お分かりかと思いますが、僕の家にお招きします。じゃ、行きましょうか」  これ以上ないくらい甘い表情を浮かべ、康孝は自然とサチの指に彼のそれを絡めた。  ―――これはもう腹を括らないとな。  絡め取られた指に翻弄されながらも、逆らわずに後をついて行くようにエレベーターに乗り込んだ。  二階の角部屋の前で、ポケットから取り出したカードキーをかざすと、ドアのロックが外れる音が響く。 「さあ、どうぞ」  そこでようやく康孝の手が離れ、先に部屋に入るように促される。 「はぁ……お邪魔します」  広い玄関に感嘆の声が漏れそうになるが、サチは草履を脱いで整えると、用意されていたスリッパに足を通す。履いて覚えた違和感は、スリッパがおろしたてのように硬い事だった。  鍵を閉めてから隣で同じように靴を脱いだ康孝は、スリッパに履き替えると先に廊下を抜けて扉を開ける。  後を追って扉を抜けると、左手にキッチンがあり、正面にある開放的な大きな窓越しに植物など鉢植えが沢山並ぶベランダが見えた。  コンクリート打ちっぱなしの部屋は、金属フレームと木を合わせた家具で統一されていて、リビングの真ん中にはガラス張りのテーブルとそれを囲うようにソファーが置かれている。 「生活感とは……」  モデルルームのような部屋に、思わず声を漏らす。 「ソファーは座り心地良いですよ。さ、座ってちょっと待っててください」  グレーの革張りのソファーに腰かけると、言われるがまま、キッチンに向かった後ろ姿を見送り、視界の変化から部屋の中を観察してしまう。  玄関から廊下をつたってリビングに来るまでに脇に扉は三つ。多分風呂場とトイレ、あとは納戸か部屋だろうか。  そして陽当たりの良いリビングの隣にもう一部屋、更にメゾネット形式で、黒い格子の嵌った階段があり二階へ続いてるようだった。 「秘密のご家族でもいらっしゃるんですか」  だだっ広い部屋を見渡してから、サチはキッチンに向かって不躾に声をかける。 「まさか、僕一人ですよ」  トレイで何やら運んで来た康孝が、目を丸くして否定する。 「カフェの店長なのでは?」  あまりにも立派過ぎる部屋の様子に、ついトゲのある言い方をしてしまう。 「母が買った家です、住まないくせにね。でも気紛れに突然来る時がありますよ」  メゾネットの上を指差して、今は居ませんけどねと笑う。  お母さんは資産家か何かなんだろうか。少し下世話な事を考えてから、サチはハッと我に返る。 「お口に合うか分かりませんが、玄米茶です。こっちのホットサンドは、厚切りのベーコンとブロッコリーにホワイトソースを絡めた具が入ってます」  食べませんか?そう言ってわざわざサチの隣に座ると、康孝は自分用に配膳したホットサンドを手に取った。 「じゃあ遠慮なく。いただきます」  彼に倣ってナイフやフォークは使わずにホットサンドを手掴みすると、芳ばしい香りが鼻腔をくすぐる。  お昼は軽く済ませていたが、その美味しそうな匂いに負けてパクッと一口頬張ると、中からトロッとしたホワイトソースが溢れて来る。 「んー、美味しい!」  警戒が緩んだように、サチはうっとりした笑顔で康孝を見る。  彼は嬉しそうにサチを見ると、その口端についたホワイトソースに気が付いたらしく、頬に手を添えると親指で拭き取って、その手を名残惜しそうに自分の方へ戻す。 「いちいち可愛いですね。困ったな」  そう言って笑うと布巾で手を拭き、またホットサンドにかぶり付いて、サチから視線を外した。 「で、なんで家に呼んだんですか。話ってなんです?わざわざお家に来ないと出来ない話ですか」  視線を合わせもしないで、食事を進めながら康孝に質問を投げかける。 「そうですね。またお話したかったし、誰かに邪魔される場所だと嫌ですから。それに家の中ならこういう事をすぐ出来ますし」  言うが早いかサチを抱き寄せると、食べている最中なのもお構いなしに唇を奪ってニッコリ笑う。 「にょっ!」 「……にょ?」  驚いて変な声が出たのをからかわれたが、口元を押さえて掌で唇を拭うと、サチは興奮して思うまま言葉を吐き出す。 「合意なくグイグイ来るのやめてください」 「部屋に上がった時点で合意のもとでしょう?」  違うんですかと眉尻を下げて困った顔をすると康孝はサチの手を握る。 「まあ、次から次へと手管を変えて来ますよね、アナタは」  半ば呆れてその手を振り払うと、更に言葉を続けた。 「随分と遊び慣れてるようですけど、その遊びに付き合うなんて」  ―――傷付くとは言えない。  それだとこんな無節操な康孝を好きだと認めることになるからだ。最後の言葉を呑み込んだサチはひたすらホットサンドを頬張った。 「あぁ……まずはその凝り固まった頭を解さないといけないみたいですね」  溜め息を吐き出して康孝は話始める。 「まず第一に、遊びだったら人手が足りています。第二に、貴方に対しては遊びでどうにかなる相手だとは思ってないです。そして第三に、僕は女性を自宅に上げたことがない」  指を折りながら得意げに言い張る康孝に、サチは頭を抱えて切り返す。 「第一項目をサラッと語った口で、他の項目を信じろと言われても無理ですね」 「嘘と言わないまでも、確かに選り好みしなければ女性に困らないのは事実なもので」 「なら私で遊ばないでください」 「遊びで終わらせようとは思ってませんよ」  ―――どの道遊ぶように聞こえるけど! 「信憑性に欠ける不毛な事しか言ってない自覚あります?」  ご馳走様でしたと手を合わせると、サチは康孝を見ながら溜め息を吐く。 「んー、でも僕は恋やら愛が分からないので、なんでこんなに貴方が気になるのか原因を知りたいんですよ」 「は?」  眉間にシワを寄せて康孝を見ると、彼はいけませんか?とまたサチの腰を抱き寄せる。 「僕は自分から誰かに好かれたいと思ったことがないんです。だけどあの日、店に現れた貴方の反応があまりにも可愛らしくて。それに僕の話をサラッと明るい切り返しで対処してくれた」  サチはぐるっと思考を巡らせるが、何のことを言われているのか分からなかった。 「半開きの口を隠しもしないで僕の顔に見惚れてたでしょ?しかもドッキリだと思ったのか必死でカメラ探したり」  はははと声を出す康孝に、見てたんですか!とサチは消え入りたくなった。 「あんなに露骨にドキドキされたのは新鮮でした。大体は打算的な仕草で誘う人が多いので」  二階席の様子が見えるように固定カメラの映像はカウンター内で確認できるのだと教えてくれる。  ―――やっぱりカメラあったんだ。 「この女性に気に入られたいな。なんて思った自分にびっくりしました。自分のおやつを分けるなんて、今までそんなサービスした事ないですよ」 「カメラで監視とか卑怯です」 「いや、あまりにも可愛くてつい」  言葉とは裏腹に悪びれた様子はない。そして思い出したように恨めしそうな目でサチを見る。 「だけど僕の思い込みだったのか、貴方は万札を叩きつけて帰ってしまった……」 「あ、当たり前です!今もそうですけど、あんなの痴漢と同じです」 「本当はあの時追いかけたかったんですが、夜の仕込みもありましたし」  夜は叔父がメインで厨房に入りますが、カフェはずっと開けてますから、叔父が来るのを待ってなきゃいけなかったんですよと何気なく言う。  それならばあの時あの場を立ち去っていなければ、彼の叔父と遭遇していた可能性があったという事だ。 「なんでそんな衝動的に動くんですか」 「何もしないで後悔するのが嫌だからですよ」 「だからって相手の気持ちも考えずにしていい事じゃないでしょう?」 「あんなにうっとり惚けた顔で見られたら誤解もします」  確かに否定できないほど康孝を意識しまくって緊張はしていた。 「いや、それは中身を知らなかったからで」 「だったら今でも中身を知る程の関係じゃないですね。だけど貴方は僕のことを気にしていたのでは?父に尋ねるくらいですからね」  その言葉にサチは驚く。 「どこからついて回ってたんですか!」  驚いて身を引くと、向かい合うよう位置を少しずらし、それは立派なストーカーですよと言い放つ。 「ついて回ったわけではなく、サイン会場の脇に居たのでやり取りが聞こえて来ただけですよ。鞍馬天狗のさっちゃんさん」 「なっ!」  こともなげに返され、だからすぐに声を掛けたでしょう?と康孝は話を続けた。 「そりゃ聞きましたけど。興味本位というか、別にアナタを気にして尋ねたわけじゃいです」 「興味本位でもなんでも、興味を持ってくれたのが嬉しいです。僕は別に父に嫌われてはいないし、なんなら母の忘れ形見として愛されて育ってますよ」  悪戯っぽく笑うと、距離を取ったサチを自分の元に抱き寄せると愛おしそうに真正面から顔を覗き込んでくる。 「わ……私は、それなりに悩んでるんです」  サチは恨みの篭った声で康孝の胸を叩く。 「杞憂でしたね」  そう呟くとサチの唇に自身の唇をゆっくりと厭らしく重ねる。
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