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 部屋に明るい日差しが差し込むのを感じてサチは目を覚ました。身体に染み付いた生活習慣があるので、いつもの時間に目が覚めたのだろう。まだ七時前くらいかなと見当をつける。  康孝は規則的な呼吸を刻んで、まだ眠っているようだった。目を閉じて眠るその綺麗な顔を見つめてサチはまた不安に駆られる。  ―――好きってこんなに辛いの?  まだモヤモヤする心の中を整理できないでいる。今時中学生でもこんなに拗らせないだろう。  少し身を捩って康孝の腕から抜けようと試みるも、んーと寝ぼけた声を出して更にきつく抱き寄せられてしまい動けそうにない。  ―――この人もこんなに苦しいのかな。  すっかり見慣れた康孝の整った顔に、指をそっと這わせる。整えていない頬の部分のうっすらと伸びた髭がこそばゆい。 「んー、さち?」  にこりと口元を綻ばせ目はまだ閉じているが、彼を起こしてしまったかと慌てて手を離す。  あまり眠れない質だと言っていたので貴重な睡眠時間を奪うことをしたくなかった。  触れるのを止めると、また何か寝言のように声を出すが、起きる気配はないので安心する。  自分を抱く腕が少し緩んだことに気が付いたサチは、そっと手を添えて昨夜の愛撫の続きのように優しく腕を剥がし、その傍から離れてベッドを出る。  名残惜しそうに空虚を掻き抱く康孝を見て、まだ起きないことを確認するとベッドルームの扉を出来るだけ静かに閉じて、まずはバスルームに向かう。  顔を洗って口を濯ぎ、はねた髪を水で濡らすと手櫛で整え、どれでも好きに使って良いと言われたタオルを借りた。  身支度が終わるとキッチンに向かう。 「何時に起きるのかな」  腕を捲るとキッチンで改めて綺麗に手を洗い直し、夜更かしさせたせめてもの罪滅ぼしに、サチは朝食の支度に取り掛かる。  まずは米櫃を探して、サッと米を研ぐと炊飯器にセットして早炊きにセットする。  朝からどれくらいの量を食べるのか、そもそも康孝は朝食を摂るのかすら分からないので、簡単に食べられる物を作れば良いかと冷蔵庫と向き合う。  取り出した野菜を粗くカットして、調理用のジッパー付きビニール袋に放り込むと、軽く塩を揉み込んでから白出汁を少しだけ注ぎ、空気を抜くようにジッパーを閉じてそのまま冷蔵庫に戻す。  割り入れて溶いた卵液にツナとコーンやサラダ豆を入れると、牛乳をほんの少し入れて、塩で味をつけてフライパンで加熱する。  卵焼き用の小振りなフライパンも、探せば有るのだろうが、不必要に音を立てたくなかったので昨日使ったもので具材たっぷりの卵を焼いていく。クルクルと器用に箸で巻いて形を整えると、中はトロッとした良い塩梅の卵焼きが出来上がった。  まな板に移して一口大にカットすると、食器棚から小振りな皿を取り出して盛り付けた。 「さて。あとはお米が炊けたら仕上げるか」  フライパンをサッと洗って片付けると、今度はケトルに水を汲んで湯を沸かす。  戸棚を覗くとティーパックの紅茶が有ったので、昨日のマグを借りて自分の分だけ紅茶を作り、そのままソファーに腰を下ろした。 「ふぅ」  康孝が起きてくる気配はない。寝室もそうだが、リビングにも時計は見当たらないので、仕方なくテレビをつけてニュースを見る。時刻は七時二十分。  僅かな振動を感じてサチは辺りを見渡す。昨日康孝に奪われた手荷物がソファーの脇に置かれていた。こんなところにあったのか。  どうやらスマホのアラームが鳴っているみたいだ。鞄からスマホを取り出してアラームを切ると、新着の通知が目に入ったメッセージアプリを立ち上げる。  二件は館林からで、急遽の休みが出た報告と、二件目は代打が見つかったことと売上報告だった。もう一件は由梨からで、家にはいつ遊びに来るのかと、いつなら来ても構わないと日付の候補が書かれていた。 「そう言えばそんな話したなぁ」  由梨と飲んだ日を思い出して、一ヶ月以上連絡を入れてなかった事に気付いた。  すぐさま話したいことがあると打ち込んだ。康孝のことである。何を話すかは纏まってないが、由梨に相談がしたかった。  ―――旱魃地帯にオアシス発見。  返信を打ち込んでいると、ピピッと電子音が聞こえて、米が炊けたのを知らせる。 「サチ、おはよ」  耳元に突然声が聞こえて、驚いた拍子に持っていたスマホを落としかける。 「お、おはよう」  サチの隣に座った康孝は、すぐにサチを抱き寄せて髪にキスをする。 「起きたらサチが居ないから、また万札置いて逃げられたのかと思った。俺あれトラウマだね」 「人を万札オンナみたいに」  でも前科があるからね。むくれて口を尖らせると、誰かと連絡?と無表情で尋ねてきた。 「友達。家に行く約束してたけど、気付いたら一ヶ月放置してた……」 「へえー」  案外オトコだったりして。と康孝が不穏な気配を纏わせる。いや、アンタのせいだよ!と言う言葉を呑み込むと、彼は何かに気が付いたらしくサチの顔を見た。 「もしかしてご飯作ってくれたの?」 「朝ごはん食べるか分からないけど、仕事って言ってたから」 「あーダメ。入れたい」 「唐突のハラスメント!」  なんでそんな下ネタばっかりと苦笑いするサチに、うっとりした顔でキスすると顔洗ってくるねと康孝が立ち上がった。 「ちゃんと待っててよ」 「だからそうやって何でもかんでも万札置いて逃げるみたいな言い方……」  「本当にトラウマだし」  真顔で言い切ると、嘘ウソ冗談だよと悪戯っぽく笑って廊下に向かった。
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