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 約束の三時まであと二十分。  結局、あの後激しい睡魔に襲われそのままソファーで眠りこけてしまい、北条の新刊をまだ読めていない。  時間がないのでベランダに出ると、程よくお日様の匂いがする布団を取り込み、マットレスをセットして、替えのシーツとカバーを取り付ける。  思いの外天気が良かったので、洗濯物は全て乾いていた。  取り込んだ物はそのままクローゼットに引っ掛け、洗ったカバーとシーツを畳み、下着などもチェストに入れる。  着物も虫干し程度だが日に晒せたので、帯と併せて丁寧に畳んで専用の引き出しにしまった。 「あ……康孝さん。まだランチのお客様いるかな」  ふと気になってリビングに戻り、スマホを手に取る。メッセージは入っていないので、まだ慌ただしくしているのだろう。 「とりあえず、今から出ることだけは伝えとこうかな?」  随分と健次郎を気にしていたので、何も言わずに車に乗るのも気が引ける。いや、相手は健次郎なのだが。  ―――なんでこんな気を遣うんだか。  惚れた弱みなのかなんなのか、あとで揉める火種になっても嫌なのでメッセージを残すことにする。  健次郎が迎えにくることと、夕飯を食べたら電車で帰宅する予定だが時間は未定。今分かってる範囲のことを打ち込んだ。  既読にはならないので、やはり仕事中だろう。気を揉ませるかも知れないが、言わないで後から何か勘繰られる方が面倒だ。 「あ、やば!着替えてなかった」  気心知れた二人に会うので、ジャージでも充分なのだが、帰りは電車に乗るとなるとそうもいかない。  クローゼットから黒のニットとダメージの入ったスキニーパンツを取り出すと、サッと着替える。  鞄に必要な物をまとめ、北条の新刊も念のためそこに入れる。いつ迎えが来てもいいように準備を整えていると、スマホが震えて着信音が鳴る。健次郎だ。 「もしもし?」 『下に着いたぞー』 「了解」  短いやり取りで電話を切ると、戸締りと火元を確認して家を出る。  階段を降りてマンションのエントランスを出ると、オレンジのSUVが停まっていた。近付くと窓から健次郎が顔を出した。 「しばらくぶりだな」 「マジ懐かしいレベルだよね」 「ここ一通だろ?停めとけないから乗って」  会話もそこそこにサチは助手席に乗り込んだ。  すぐに車を発進させる健次郎にサチは笑いながら由梨のモノマネをしてみせる。 「健ちゃんの隣に座らせるのサチぐらいだからねっ。とか言いそう」 「あー。出る時似たようなこと言ってたわ」  笑いながら健次郎がハンドルを切り、大通りに出る。  後部座席には可愛らしいサイズのチャイルドシートが固定されている。 「悪いねー。休みのとこ車で送迎とか」 「……お前熱でもあんの?」 「お前こそ相変わらず無礼だな」  このやり取りすら懐かしいねと話しながら笑うと、由梨が張り切って手料理を作って待ってると健次郎が話し始める。 「ちびちゃんたちに手も掛かるだろうに、だから電車で行くって言ったんだけどね」 「あいつも言ったら譲らないからな」  まあ、お前だからいいんじゃないの?と健次郎が続ける。 「そう言えば、ディーラー?の仕事どうよ」 「楽しいよ。徐々にお客さんからも指名貰ったり。元々人と関わるの好きだからなー」 「正社員になったらしいじゃん」  由梨から聞いたことを伝えると、健次郎は、この前の飲み会かと納得すると、まだ喰うにはおぼつかない感じはあるけどなと苦笑いした。 「それよりお前、転職すんの?」 「する気はあるけど、時間に忙殺されて本末転倒状態だね」 「的場さん元気?」 「めっちゃ元気。未だに可愛がってくれるよ。たまには食べに来なよ」  的場はキッチンにも入ることがあった健次郎を契約社員にと推薦したほどだ。 「須賀さん地方に行ったって?」  由梨から聞いて見当をつけたらしく、健次郎は須賀の転勤の話をしてきた。 「そうなんだよ。単身赴任してるんだけど、実は奥さん妊娠中らしくて、安定期までこっちに残してるっぽい」  的場から知らされた後に須賀に直接連絡を入れたら、嬉しそうにその話をされたとサチは続けた。 「あ、そういやお前聞いた?」 「え?三人目のこと?」 「あいつがお前にが話さないわけないか」 「おめでとう。詳しくは行ってから聞くわ」 「おう。なんか仕事始めたかったみたいだけど、そうもいかなくなったからパワーが有り余ってるよ」 「由梨らしいねぇ」  車中で取り留めもない話をしていると、突然スマホが鳴った。 「お前じゃね?」  言われて鞄を探る。スマホを取り出すと康孝からの着信だった。少し驚きはしたものの、健次郎に出るねと断りを入れてからスマホをタップする。 「はい、もしもし?」 『あ、サチ?いまランチ捌けたんだ。もう送って貰ってるの?』 「うん。いま向かってるところ」 『思ったんだけど、帰り俺が迎えに行こうか?』 「……え?」  会話の途中でフリーズすると、健次郎が横から誰と話してんだ?と尋ねてくる。 『あ、今のが健次郎くん?』  健次郎の声が聞こえたらしいが、康孝の声のトーンは普通だ。別に怒っている様子はないのでホッと胸を撫で下ろす。 「そうだよ。ていうか悪いからいいよ。仕事もあるでしょ?帰る時間決まってないし」  サチは健次郎を見ると、口パクで「彼氏」とスマホを指差しながら伝える。 『いいよ。そしたら時間とか気にしないで済むじゃない』 「でもちょっと遠いよ?」 『夜のドライブしようか』  もはや確実に迎えに来る気でいる。由梨ではないけれど、康孝もまた言い始めたら譲らない。サチは諦めて切り替えると、じゃあお願いと返す。 「お開きになる前に連絡するから。でも、仕事優先してよね」 『大丈夫だよ。オーナーも居るから都合つくよ』 「分かった。じゃああとでね」 『楽しんでおいでね』  それだけ言い残すと通話が切れた。 「彼氏なんて?」 「帰り迎えに来てくれるって」 「マジか……お前のような逞しい女を女性扱いするやつ、ぜひ顔を拝みたいな!」  案の定、健次郎は面白がって、なんならうちに上がって貰えよと家主自ら許可を出す始末。 「状況に応じて対処します」  サチはまいったとばかり頭を抱えて、かしこまって言い返すことしか出来なかった。 「でも由梨がサチは枯渇してるって心配してたぞ。彼氏出来たの最近か?」  ニヤニヤしながらこちらを見るその顔がもうムカつくので、ボディに一発叩き込むと、サチは前見て安全運転!と健次郎の頭も叩いた。 「なるほど。相談って仕事じゃなくて久々に出来た彼氏のことかよ」  由梨が心配しているのは本当らしく、健次郎は笑いながらもどこか安心したようにサチをチラ見した。 「まあね。由梨くらいしか友達いないから」 「お前はなんかこう、壁作るっていうか、他人を寄せ付けないところがあるからなー」 「えー?そうかな」  結構まんべんなく色んな人と関わっているつもりだが、健次郎は違うよと一蹴する。 「彼氏とか言っても、言い寄られて仕方なくとかそんなのばっかりで、ロクなやつと付き合ってないだろ」 「う……否定できない」  痛いところを突かれてサチが頭を抱えると、健次郎は爆笑して、そこは嘘でも否定しろよと肩を揺らした。  そのあとは深入りせずに、子供の話をし始めたので、サチは久々に会うちびちゃんたちに思いを馳せる。
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