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「サチも闘うか?」
ヒーローモノのサーベルを自慢げに振りかざすと、陽太はサチに問い掛ける。
「んー。悪いやつは陽太が退治してくれるから、サチは闘わないでママと料理作る人にする」
「そうか。守ってやる」
そう言い残してリビングの健次郎の元に戻る陽太は、四歳になったばかりのお兄ちゃんだ。
「守ってくれるってー」
思わずニヤニヤしてサチは由梨を手伝う手を進めながら陽太の頼もしい背中を見守った。ここで言う陽太の悪いやつとは、陽太の手作り仮面をつけた健次郎の事だ。
「健ちゃん今日だけで二十回は討伐されてる」
笑いながら由梨が、手伝わせて悪いわねと謝った。
「いいの良いの!朱莉ちゃんもママのお手伝いだもんね。サチも朱莉ちゃんのお手伝いするから、教えてね」
「うん。あーちゃんおねいさんになるから、なんでもできるの」
くりくりとした巻き毛が可愛らしい朱莉は二歳の妹だ。
キッチンの食卓に据置された子供用の小さな椅子の上で、得意げな顔をして、餃子を包む前に餡を乗せる係を担当している。
「ママとさっちゃんはねー、まくの」
こんもりと餡が盛られた餃子の皮を指差して、包めと指令が出された。
「朱莉ちゃんが上手にお手伝いしてるからサチも頑張るね〜」
つい頬が緩む。やはり山﨑家は良い。落ち着く。
「サチ、適当に相手すれば良いから、自分で餡とってちゃっちゃと包んで良いからね」
あかり〜サチよりママにちょうだい。由梨が朱莉に呼びかけると、朱莉は嬉しそうにまた皮に餡を乗せる。
「ところでさっき聞いたよー。アンタ、彼氏できたの?まさかこの前の旱魃地帯にオアシスって彼氏のことだったの?」
由梨は餃子を器用に包みながらサチに視線をよこす。
「……なにからどう話せばいいか分かんないけど、確かに彼氏で間違ってない」
ボソリと返した後に、あ!三人目おめでとう。と話を変えようとした。
「なによ、なんかワケありの人なの?」
話題を変えようとしたことで、由梨が物騒なことを言い始めたので、いやいやとサチは訂正する。
「色々あって落ち着いた感じ。別に変な人じゃないから。カフェの店長」
「なにそれ、合コンでもしたの」
「違うよ。ハローワーク帰りに寄ったカフェでたまたま意気投合した感じ」
だいぶ湾曲したが、嘘は吐いてない。
「意気投合って、今までみたいにサチの見た目に釣られたタイプとは違うじゃん」
「……まあね」
康孝を思い浮かべながら、言葉を濁して笑うしかなかった。
「意気投合した切っ掛けは何だったの?アンタが好きなものなんて時代劇みたいな小説くらいじゃん」
朱莉から材料を受け取り、ちょっと多過ぎるから減らしてと餡を削ると、由梨は眉を寄せて歴史オタクとか?と首を傾げる。
「いや。それがびっくりなんだけど、私が好きな作家の息子さんだったんだよね」
「なにその展開!」
「でしょ?最初は半信半疑だったけど、サイン会行った時に本当の息子さんだって分かったんだよね」
「そうなんだ。それはもはや運命だね」
ロマンティックなことが好きな由梨が言いそうな台詞である。
餃子をあらかた包み終わると、ペーパータオルで拭いてから、朱莉の手を洗わせてと由梨がフライパンに油を入れて餃子を並べ始める。
「朱莉ちゃん、サチと手を洗おう」
抱っこして椅子から下ろすと、おててをあらうのはこっちとサチを洗面所に案内してくれる。
洗面所に行くと子供用の台が置いてあり、朱莉は上手にそれに乗って蛇口を捻る。
「あわあわでゴシゴシするんだよ」
「分かった。サチも洗うね」
二人で手をきれいに洗うとまたキッチンに戻る。
「由梨、手洗い終わったよ」
「ありがと助かる〜。朱莉ジュース飲む?」
「のむ」
その会話を聞いて、サチは再び朱莉を椅子に座らせた。
「でもさ。自慢じゃ無いけど人を好きになったことないから、自分がどうしたいのかイマイチ分かんないんだよねー」
「それって、逆に好きになったのを自覚してオロオロしてるって意味で合ってる?」
朱莉に紙パックのジュースを手渡すと、サチの顔をみて由梨が確認する。
「う……多分それ」
「大躍進じゃん!サチを本気にさせるオトコ。会ってみたいわぁ」
餃子の焼き加減を確認しながら水を入れると、そのまま蓋をして蒸らす。
「だいたい、アンタは美人なのに恋愛に疎いんだもん。強引に言い寄られて仕方なくとか、飲んでたら声掛けられてとか、選ぶ相手が危なっかしいのばっか」
「いや、別に美人でもないし、好いてくれるなら断る理由も無いじゃん?」
「その結果惨憺たるものでしょ!」
呆れた。と由梨は吐き捨てる。
「自分を安売りし過ぎ。だいたい前も言ったけど、飲みの席で声掛けられてとりあえずついて行くとか危なっかしくて見てらんないわよ」
「アレは断ったって言ったじゃん」
「そりゃ大人だからさ、ワンナイトだろうがサチが良いならそれでも良いけどさ」
「まあ雑だったことは自覚あるよ」
「でしょ?で、そのサチのハートを射止めたプリンスはどんな人なの?」
大皿を取り出すように言われ、食器棚を開けると、言われた場所からそれを取り出して由梨に手渡す。彼女は受け取った皿を蓋がわりにフライパンに被せると、クルッと器用にひっくり返して餃子を盛り付ける。
「どんなって、カフェの店長してて……」
「違うわよ、どんな素敵な人なのか聞いてんの」
「んー。そうだね、初対面で言葉を失うくらいには見た目がどストライクで好みだったかな。あとは身長がデカい」
でもマッチョじゃない。言いながら康孝を思い出して話を続ける。
「客商売だから身嗜みは気を配ってる感じかな?あ、おしゃれ髭生やしてる」
「なに、ワイルド系?」
リビングに食事運ぶの手伝ってと言いながら、由梨の目は爛々と輝いている。
「ワイルドではないよ。お母さんが外国の人らしくて、整った顔立ちしてる」
「つまりアンタ、一目惚れしたの?」
驚くように由梨が声を上げると、リビングまで声が届いたらしく健次郎が面白がって話に割り込んでくる。
「マジかよ鞍馬。一目惚れとかどんな男前だよ」
陽太の攻撃を受けながら健次郎も目を爛々と輝かせる。
「いや、その……」
言い淀むサチを見ると、二人はお腹を抱えて笑い始める。
「やだ!アンタ本当に好きなのね」
「照れる鞍馬とかレアだな!」
「いやもう本当に自分でも感情を持て余してるからっ」
頬が赤くなるのを両手で必死に隠すと、サチは初めて彼氏の話を恥ずかしいと思った。
「ちょっと、詳しく聞かせなさいよー」
「コレは良いつまみになるな」
両サイドから挟まれて囃し立てられる。
子供たちがなんの話だと騒ぎ始めたので、一旦は鎮まる。
由梨が朱莉をリビングに連れてきて、健次郎が遊びはまた後でなと陽太に声を掛けると、全員でリビングのテーブルを囲んでパーティーが始まった。
「健ちゃん聞いてよ。なんかカフェの店長さんらしくて、髭が素敵なワイルド系イケメンらしいよ」
由梨がグラスにビールを注ぎながら健次郎に報告する。
「マジかよ」
食卓を囲んで、尚も二人はサチの彼氏の話で盛り上がる。
「いや、ワイルドではないよ」
康孝を思い浮かべてそう返すと、由梨は面白そうにじゃあどんな感じよ?とサチを肘で突っつく。
「んー。どう表現したら良いか……」
確かにアッシュグレーの髪と耳元のピアス、整えられたあご髭。しかしゴツゴツした体型ではなく、康孝は長身だが細身で締まった身体をしている。そして口調は丁寧なのがデフォルトなんだと思う。
康孝を思い浮かべて、どう説明するか悩んでいると、何か思い付いたように健次郎がサチの名前を呼ぶ。
「鞍馬、お前の彼氏って確か電話してきたよな?」
「え?そうなの」
驚く由梨に健次郎は迎えの途中で電話してたと答える。
「さっきも言ったけど、迎えにきてくれるのに門前払いするみたいで俺やだよ。どうせなら家に上がって貰おうぜ。その方が早い」
康孝も当初はそれを望んでいたので、ない話ではない。呼べば来るかもしれない。だけど問題はそこじゃない。
「そうだよー。遠路はるばる迎えに来てくれるんだったら、どうせだからうちに呼ぼう」
由梨まで同じようなことを言い出す。
「いや、でも今日も仕事だし急には……」
「連絡するだけしてよ。サチの彼氏ならアタシらの友達になって貰わないとね〜」
「父さんは挨拶も出来ないやつなら認めんぞ」
健次郎はふざけて腕を組むと父親づらで冗談を言う。由梨もそれ併せて母さんも変な男に騙されてないから心配だわ。と嘆く。
「おともだちまだくるの?」
朱莉が嬉しそうにサチを見上げる。隣の陽太もどこかソワソワしている。
「ねえ、どうせ来るなら上がって貰おうよ」
諦めずに由梨がまたそう声を掛けてくる。
サチは観念したように分かったと呟くと、鞄からスマホを取り出して、メッセージアプリで康孝に事情を伝え、少し早めに来られないか連絡を残した。
「でも、本当に今日も仕事だから、あんまり迷惑掛けたくないし、無理って言われたら諦めてよ?」
二人に向かってそう答えると、夫妻は今の聞いた?と大騒ぎし始める。
「サチが他人に気を遣ってる!」
「これは本気だな」
「やだぁ!人の恋バナってなんでこんなに美味しいの!」
実質付き合い始めて一日しか経っていないのだ。なのに友達夫婦に会ってくれとはさすがに言えないと思っていたが、康孝が望んだ通りの展開に話が進んで、複雑な気分だった。
本人に来ないように言ったくせに、今度はこちらの都合で呼び出しのメッセージまで送ってしまった。
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