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「今日はごめんね。康孝さん仕事だったのに結局呼び出しちゃって……」
「気にしてるの?俺は楽しかったよ。良いご夫婦だね」
「だから心配ないって言ったでしょ」
「確かに。なんなら健次郎くん俺に夢中だったね」
康孝さん康孝さんと繰り返していた健次郎を思い出すと、二人で声を出して笑ってしまう。
「明日も仕事なのに、本当お迎えありがと」
「いいよ。由梨ちゃんも俺がノンアルコール飲めば、気を遣わずに飲めただろうし」
「あぁ、そういえば。まさか由梨にノンアルコールビール持ってくるなんて」
しかも箱!笑いながらサチが康孝を見ると、康孝はサチにチラリと視線を向けて頭をポンと撫でる。
「急だったし気を遣わせない手土産が他に浮かばなかっただけだよ」
「アレは最高に気が利いてた。由梨は飲むのが好きだからね。本当にありがと」
撫でられた手を取ると、キュッと握ってその手の甲にキスをした。
「なにそれ、可愛すぎ」
「ははは、運転中は集中してね」
康孝の手を離すと、サチは窓を開けて良いか尋ねてから夜風を浴びる。
「んー。気持ち良い」
「寒くない?」
「大丈夫。久々に沢山飲んだからのぼせたかな?」
窓の景色を見ながら夜風に当たると、信号待ちのタイミングで康孝に手を握られる。
「好きってまだ辛い?」
「楽しい方が強いかな」
「それは良かった」
握った手をほどいて頭をまた撫でると、信号に沿って車を発進させた。
「そういえば、サチの家ってうちから近いんだよね?」
「うん。隣の駅」
「家まで送ればいい?」
「そうしてくれると助かる」
暫くは他愛無い話をしてドライブを楽しむ。たった二日で一気に色んな距離が縮まったことにサチは驚いていた。
今日は康孝がそばにいてくれるのが嬉しかったし、楽しかった。
「なに?考えごと?」
「いや、康孝さんが彼氏で幸せだな。と」
「やばーい。可愛い!入れたい!」
「出た!ハラスメント」
声を上げてサチが笑うと、康孝は俺も可愛い彼女が出来て幸せだよと呟いた。
「飴と鞭ならぬ、飴とハラスメントって新しいね」
サチがお腹を抱えて笑うと、康孝は楽しそうに可愛いサチが悪いんだよと笑う。
「そうだ!叔父様にご挨拶するのに私なにも用意してない。どうしよう……」
「大丈夫だよ。そんなの気にする人じゃないし」
「でも。あ、ワイン……いや、こんな安物はダメか」
今日健次郎に買わせた特売ワインを思い出してから、違うと溜め息を吐く。
「大丈夫。サチにしか出来ない事があるじゃん」
「え?なにそれ」
「俺はこの歳まで親に女性を紹介したことがないし。それにオーナーと親父は凄く仲の良い兄弟だから」
「……だから?」
「サチは親父が覚えるくらいの大ファンだろ」
「え?だから?」
「北条大和がどれほど好きか語るだけで充分って事、あとお稲シリーズね」
お稲さんが何か関係あるの?とサチは首を傾げてから続ける。
「でもそれだと、おとうさまに近付きたくて康孝さんにくっついてるみたいに思われないの?」
「俺はオーナーの息子だからね。父の子供だと口外することがまず無いから」
言ったでしょ?サチは特別だから。そう言って康孝はまたサチの頭を撫でた。
「サチ、もうすぐ家の近くじゃない?駅の近くだけどどう行くの?」
「あ、そこを右に曲がって。この交差点を過ぎた一本めの角を左折してくれる?」
「あ、ここ曲がるの?」
「そう。そしたら次の角を右折。マンションの裏のコインパーキングが空いてると思う」
「あ、そこか」
言いながら康孝はパーキングに車を停めると、サチに先に出るように言ってエンジンを切った。
後部座席からビールの箱を取り出そうとするのでサチは慌てて康孝を止める。
「それは康孝さんが持って帰って」
「え?一人じゃ飲めないよ」
「もちろん私が飲む分も入ってるから」
そう言って笑うと康孝はワインや焼酎が入った厚手のエコバックだけ取り出す。
「これは一人で飲むんだ」
「違うよ。こんなに大荷物は大変だから、一旦引き取るだけで、遊びに行くときに康孝さんちに持ってくの」
「なに。本当どうしたの、可愛いんだけど」
「なにその珍獣を見る目は」
コインパーキングから出て、マンションの入り口に回り込むように進みながら会話を続ける。
「さっきから凄くストレートだなって」
「そう?」
「なんか、吹っ切れたの?」
「そうかもね」
あの二人のおかげかもねとサチは答えた。
マンションのエントランスに差し掛かると、康孝が部屋まで送って良いの?と確認する。部屋は片付けたばかりだし、さして問題はないので、サチは狭い部屋だけどお茶でも飲んで行ってと康孝を部屋に招く。
二人でエレベーターに乗り込むと、サチがボタンを押して扉を閉める。
「なんか、本当に色々急展開だね。大丈夫?無理してない?」
「無理ならそもそも由梨たちの家に呼ばないし」
困ったように笑うと、エレベーターから先に出て廊下を進み、鞄から鍵を取り出して部屋の扉を開ける。
「本当に狭いよ」
「お邪魔します」
電気を点け、先に靴を脱いでダイニングに入ると、康孝が部屋に上がるのを待って入れ違いで扉の鍵を閉める。
「ソファーも小さいけど、座って待ってて」
リビングに入るとスイッチを押して電気を点ける。開けっ放しだったカーテンを閉めると、ここねとソファーに座るように言う。
ダイニングに戻るとシンクで手を洗い、ケトルでお湯を沸かしてお茶の用意をする。
「康孝さん、紅茶とコーヒーどっちにする?」
ソファーに座ってキョロキョロしている康孝に声を掛ける。
「じゃあコーヒー貰おうかな」
「ブラック?」
戸棚からインスタントコーヒーと、適当なマグを二つ取り出して準備をする。
「うん。ブラックで良いよ」
いつの間にか背後から甘い声がサチを刺激する。
「ビックリしたー」
心臓に悪いよと笑うと、サチは濃さはどれくらい?と康孝の顔を覗き込む。
「だめ。めちゃくちゃ可愛い!入れたい」
「突然の発作!」
さすがに慣れてきたので笑って流すと、康孝は本当に抱きたいのにと少し膨れっ面でサチを見る。
「だったら、康孝さんこそ言葉遊びみたいに焦らさなくなったよね」
ケトルからお湯を注ぎ入れると、二人分のコーヒーをスプーンで軽くかき混ぜる。
「焦らしてたんじゃなくて、ああやって言質を取ってサチが逃げられないようにしただけだよ」
後ろから抱きしめると、サチの匂いがすると首筋に顔を埋めて、康孝は離れない。
「逃げないし、なんならここ自分ちだから。とりあえずコーヒー飲もう」
抱きしめられた康孝の腕に手を添わせると、優しく撫でて上から抱きしめる。
「そんな可愛いことしたら離せないよ」
「せっかくのコーヒーが冷めちゃうよ……」
「分かった。とりあえずいただこう」
腕をほどくと、康孝はマグを二つとも持ってリビングに向かう。
「サチ。早くおいで」
自分の部屋に康孝がいることを不思議に感じながらも、サチはおしぼりを持ってリビングへ向かった。
「良ければ手拭きに使ってね」
康孝の前におしぼりを置くと、サチは康孝に断ってからスマホを取り出し、充電しながらコンポにワイヤレスで繋いで音楽を流す。
隣に座ってマグを手に取ると、何か言いたげな様子に気付いてどうしたのと声をかける。
「いや、サチが言ってた意味がなんとなく分かってね」
「苦しいの?」
俯いてマグの中のコーヒーを見つめると、康孝は頼りない声で呟く。
「途切れたら心が砕けそうって言ってたの、分かるよ」
「そうか。同じだね……」
呟くように返事をして、コーヒーを一口飲むと、康孝を見つめて話を続ける。
「今日の二人だってそうだけど、一朝一夕でどうにかなるものじゃないんじゃないかな」
「どういう意味?」
「好きの先に進みたかったら、二人で育てて行くしかないんじゃない?」
「気持ちを?」
「そう。ゆっくりね」
マグをテーブルに置くと、康孝の手からマグを取り上げて彼を抱きしめる。
康孝の腕がサチの背中に回されるのを確認すると、改めてその顔を覗き込む。
「友達に会ったり、急発進したからその分不安になるよね」
「情けないことに、ああこの時間を失う可能性があるのかなって酷く感傷的になった」
「想いを寄せるってしんどくなるよね」
「情けないけどしんどいよ」
「じゃあ、身体を合わせるだけの関係で良いの?」
康孝にかけられた言葉を、サチは自分の声で彼に返す。
「それはもっと辛いかな」
「ツラいのは気持ちが向いてるからだって、教えてくれたの康孝さんでしょ」
そう笑って抱きしめる腕を強めて、片手で背中を優しく撫でる。
「あー。今めちゃくちゃサチを抱きたい」
康孝が笑ってサチを見つめる。それに安心して、良いよと呟く。
「でもアレがない」
「……アレ?」
首を傾げるサチだが、さすがに思い当たって、ああアレかと、ふに落ちる。
「中に散らしてくれても良いんだよ」
サチは本心から言った。いっそ失えないように鎖で繋ぐようなやり方だが、それでも自分のものだと、なにか証が欲しかった。
「サチには敵わないな」
康孝は驚いたように笑うと、おでこを擦り付けて甘えてくる。
「あ……」
突然何かを思い出したようにサチが声を上げる。
「どうしたの」
甘く切ない声のまま康孝がサチに尋ねる。
「いや、うちは防音でも無ければベッドもシングルだし、軋むなと思って」
さっきまでの甘美さはどこへやら。急に現実的なフレーズが出てきて、これにはさすがに康孝も声を出して笑った。
「サチって本当に面白いね」
「そう?」
「でもそういうところが好きだよ」
康孝は笑ってうちに来る?とサチを誘う。サチはそれが良いねと笑って返す。
二人でお腹を抱えて笑うと、コーヒーが冷めたねと、冷えたコーヒーを飲み干した。
「じゃあ、これ片付けたら出ようか」
「あ、お酒はどうする?」
「飲むなら持って行こうかな、康孝さんワイン飲む?」
「基本なんでも飲むよ」
「じゃあ、一本だけ残して他は全部持っていこうかな」
マグを洗うサチを後ろから抱きしめる康孝は、一層愛おしそうに絡めた腕を強める。
「そんなにしたら洗えないよ」
「手伝おうか?」
「邪魔するの間違いでしょ」
康孝をあしらうと、マグを濯いで食器カゴに伏せる。
エコバックから健次郎に買わせたチリワインを一本取り出すと冷蔵庫にしまう。
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