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「さて。泊まりに行くなら、ちょっと用意させてくれる?」
腕を離すように康孝に言うと、何を用意するのか聞かれる。
「明日カフェに行くなら、最低限の化粧品とか着替えも要るかな。寝巻きはまた借りられる?」
「俺ので良ければどれでも使って良いよ」
「じゃあ、荷物纏めるからちょっと待ってて」
康孝をリビングのソファーに座らせると、サチは寝室のドレッサーに無造作に置いてある化粧品を、引き出しから取り出したポーチに纏めて入れる。
次にクローゼットを開けると、明日の洋服はどうしようかと考えながら、とりあえず下着を取り出して袋に詰める。
しばらく考えて、ハイネックのカットソーと千鳥格子柄のジャンパースカートを取り出して、それに合わせるジャケットとタイツを手に取る。
靴は明日の服に合わせてブーティーを履いて行けばいいだろう。
「まだかかる?」
様子を見に来た康孝が寝室を覗き込んで顔を出す。
「ごめん。なんか大荷物になりそう」
困ったように笑うと、康孝が沢山持ってきて置いておけば?と言い始める。
「何着か持ってきておけば、突然の泊まりも凌げるんじゃないの?」
「ああ、そうだね」
納得すると、着替えのコーデを考えながら下着と併せて二パターンほど追加で用意する。気が付くと康孝はベッドに腰掛けて様子を後ろから見ている。
「ごめんね。思ったより時間が掛かって」
「いいよ。ゆっくり支度して」
楽しそうな顔でサチを見ると、トートバック二つに分けて入れたら良いんじゃないかな。とアドバイスを送る。
「あ、やっぱり化粧ポーチはいいや」
「なんで?」
「コンビニに寄って貰えたら、そこで揃えるよ」
最低限しか必要ないし。そう言ってポーチごとドレッサーの引き出しの中に戻す。
「サチは本当に不思議だね」
「あ、それ過去の誰かと比べてます?」
「ヤキモチなら嬉しいけど余裕だね」
康孝は支度を待つだけでこんなに楽しいなんて、サチ以外だったら苦痛だよと溜め息を吐き出した。
「じゃあ今度は康孝さんがうちに泊まるための支度するの見守らせて」
気持ちを味わってみたいから。サチは康孝を見ずに笑ってそう言うと、洋服をトートバックに入れる。
「よし。これで急に泊まりに行けるね」
「あーヤバい!可愛い!すぐ入れたい!」
康孝はそう言うと、ガバッと後ろから抱きついて、首筋を啄むように何度もキスをする。
「だからここは防音も甘いし軋むから」
「早くめちゃくちゃ抱きたい。中に入れたい」
甘い声でサチを誘うと康孝は切なげに呟く。
「やけに熱烈だね」
「サチはなんでそんなに冷めてるの」
「冷めてないよ。頭の中では凄くいけないこと考えてるよ」
抱きしめられた手を取って、キスをすると、噛み付くように吸い付いて手の甲に痕を残す。
「期待してるからね」
「サチは本当に俺を飽きさせないね」
「飽きたらポイされちゃうのか」
「言葉のあやでしょ」
慌てる康孝をからかうと、サチは康孝の腕からスルリと抜けて、そろそろ出ようかと立ち上がる。
「康孝さんはお酒持ってくれると助かるかな」
手にしたトートバック二つを掲げて見せると、悪戯っぽく笑って言った。
「はいはい。なんでもお持ちしますよ」
康孝は立ち上がってサチにキスをすると、ニッコリ笑って寝室を出る。
康孝の後を追って寝室を出ると、彼はお酒の入ったエコバックとサチが今日持っていた鞄を手にしていた。
「この鞄重たいね」
「あ!北条さんの新刊が入ってるの。実は全然読めてなくて」
「ああ、それで重たいんだ。うちでゆっくり読めば良いよ」
他に忘れ物は無い?と康孝が確認するので、充電していたスマホ、鍵を取ると電気を消した。
家に鍵を掛けてエレベーターに乗り、エントランスを抜けるとコインパーキングに向かう。
精算を終えた康孝はトートバックを受け取ると、代わりに持っていた鞄を渡す。
「コンビニはうちの近くで構わないよね?」
後部座席に荷物を積み込みながら確認する康孝に、サチは元気よくうんと答える。
「よろしくお願いします」
頭を下げてから助手席に乗り込んだ。
「自転車でも行ける距離なのに車に乗って行くの贅沢だよね」
「サチは普段は自転車使ってるの?」
「そうだよ。体力落とさないためにも運動はしないとね」
通勤で自転車に乗っていることを話すと、康孝は困ったように俺の場合は近すぎるからねと言って車を出した。
「大通りに出ないで裏手から行った方が近道だね」
ナビで地図だけ確認すると、康孝は幹線道路には出ずに住宅街を抜ける道を運転する。
「ん?なんか鳴ってない?」
康孝はサチのスマホじゃないかと鞄を指差す。
メッセージアプリの通知音だったので、まさか職場からではなかろうかと、サチは焦ってスマホを手に取る。
「違った。由梨からだ」
「違うってなに?どうかした」
「職場からかと思って焦ったけど違った。休みの度に結構ビクビクしてるんだよね……」
「え?休みじゃなくなる時があるって事?」
「あれ、言ってなかった?バイトが急に休んだり、基本なんだかんだ発生して休日は潰れることが多いんだよね。今回の連休はその振替休日なの」
「そうだったの?」
「うん、振休すら出勤する事もあるよ」
一応店長だからねとサチはなかなかハードだよと呟いて、昨日も実はスタッフ欠員の連絡が来てたんだと続けた。
「そんなに大変なんだ」
「そう。だから転職考えてて、ハローワークに行った帰りにカフェを見つけたんだ」
そこまで話すと車はコンビニに到着した。
「俺は特に要るものもないし、ここで待ってるよ」
「分かった。ちょっと行ってくるね」
鞄を持つと車を出てコンビニに入る。入り口を入ってすぐのコスメコーナーで、化粧品一通りを全てカゴに入れる。ついでに雑誌コーナーを見ると、コスメの付録が付いたものを見つけたのでそれもカゴに入れる。他に要りそうなものを考えて、サチは歯ブラシをカゴに入れてレジに並んだ。
前の人の会計を待って、サチは会計を済ませると康孝が待つ車に戻る。
「お待たせしました」
車に乗り込むと、雑誌も買ったの?と康孝がサチを不思議そうに見てエンジンをかける。
「付録でシャドウパレットがついてるの」
「なるほど」
最近はそういうのが多いよねとサチのレジ袋を覗き込む。
「そういえば由梨ちゃんからのメッセージは確認しなくて良いの?」
康孝は思い出したように急ぎの連絡だといけないからと付け加えるが、サチはすっかり忘れていた。
「あ。そうだった!」
鞄からスマホを取り出すと、メッセージアプリを開いて内容を確認する。
康孝へのお礼と次はランチに行こうというメッセージ、おめでとうのスタンプが続く。
「康孝さんにありがとうって。ちびちゃんたち寝たみたい」
アプリを開いてる間もメッセージが届く。
「健次郎が是非また飲みましょうってさ」
「俺凄い好かれたみたいだね」
複雑そうに笑う康孝に嫌われるより良いと思うと笑って返すと、あっという間にマンションに着いた。
「ビールが有るから、悪いけど割れると怖いしエコバック任せて良いかなサチ」
「あ、トートバックも持つよ」
「いや、大丈夫だからそれだけお願い」
片手にビールを持つと反対側の肩にトートバッグを下げる。
「分かった。康孝さんこそ気を付けてね」
「俺は大丈夫だけどごめんね。重たいの持たせちゃって」
心配そうにサチを見る康孝に、こんなの重いうちに入らないから安心してと笑う。
地下からそのままエレベーターに乗って二階に上がると、遠い昔のように感じるが、今朝出たばかりの部屋の前に到着する。
カードキーでドアロックを解除すると、さあ入ってと、康孝がドアを少し開けた瞬間にガコンと大きな音がして、扉が開かない。
「あれ」
「中から鍵?」
「あ!まさか……」
康孝はビールを廊下に置くと、ちょっとごめんねと断ってスマホを取り出して、画面を何度かタップして電話をかけ始めた。
静かなフロアに微かにスマホから音漏れしてコール音が響く。何度目かのコール音でようやく電話の相手が出たらしく、康孝は困ったような声で話始める。
「ちょっと、なに閉めてんの。そうだよドアの前に居るよ。早くロック外して!」
康孝にしては乱暴な口調で電話の相手にロックを外すように伝えると、もう一度早くしてと言って電話を切った。
「ごめんサチ。もうすぐ開くからちょっと待ってね」
康孝の言葉通り、中でロックを外す音が聞こえてすぐにドアが開く。
「ごめーん。そんな怒んないでよぉ。疲れて寝ちゃってたんだもの」
中からとんでもなく色気の漂う女性の声が聞こえてサチは驚く。その様子に気付いたのか、康孝は違うから!と小さく叫んで、ドアを大きく開ける。
「母さん、いくら自分の家だからって俺が住んでるの忘れないでくれよ」
「だからごめんって言ったでしょ〜。あら、こちらの可愛らしいレディは?」
「サチだよ、俺の彼女。サチ、突然でごめんね、これ俺の母さん」
「こんばんは、サっちゃん」
紹介された女性は、ひらひらと指を揺らす独特の手の振り方と妖艶な笑みで挨拶をしてきた。
顔立ちは確かに康孝に似ているが、とても若々しく親子ほど歳が離れているようには見えない。身長はサチと同じくらいだろうか。
「夜分遅くに突然お邪魔して申し訳ありません。鞍馬サチと申します」
「あらぁ、きちんと挨拶が出来る人は好きよ。さ、あがって上がって」
玄関先でのやり取りを終えると、康孝の母親はリビングへと姿を消す。
「ごめんねサチ。あの人本当に突然こうやって現れるんだよ」
頭を抱える康孝に、とりあえず家の中に入ろうと声を掛け、ビール忘れないでねと付け加えて先に玄関に入って靴を脱いだ。
「サっちゃ〜ん、早くいらっしゃい」
リビングから名前を呼ばれる。まだ靴を脱いでる康孝に先に行くねと断りを入れると、サチは荷物を抱えたらままリビングに急いだ。
「ようこそいらっしゃい。あ、荷物は適当に置いてヤスに任せれば良いから。さ、座って座って」
ソファーをポンポン叩くと、康孝の母親はサチが座るのを待っている。
「母さん!サチが驚いてるだろ」
「なによ。私がいつ来てもおかしくないこの家に呼ぶってことはちゃんとお付き合いしてるお嬢さんなんでしょ」
康孝の母親はサチと康孝を交互に見て話を続ける。
「こんな嬉しい事に舞い上がったらいけないの?サっちゃん、いいからそこに荷物を置いて早くこっちにいらっしゃい。ヤス、飲み物用意して」
サチが苦笑いで困っていると、康孝がエコバックを受け取ってソファーに行くように言う。
「あの人話聞かないから。悪いけど相手してくれる?」
「ちょっと、聞こえてるわよ」
流暢な日本語を話しているが、確かに聞いていた通り外国人にしか見えない。
「サっちゃん。ほら、いらっしゃい」
またソファーを叩くと、康孝の母親は笑顔で手招きしている。
サチはソファーに向かうと、では失礼しますと断ってから腰を下ろした。
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