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 眩しい日の光の差し込みにサチは目を覚ました。康孝は寝息を立てて安心したように眠っている。  暫く康孝の寝顔を見つめていたサチは、腕から器用にすり抜けると、寝室を後にした。  鞄からスマホを取り出して、メッセージの確認をする。  売上報告の通知が一件。サチは少し安堵してソファーに身を預けた。  昨夜は酷く感傷的になってしまった。今まで自分の生い立ちを他人に話したことはない。  康孝を好きでいても良いのだろうか。またそんな不安に駆られ、掻き抱くように自分を抱きしめる。  どんなに頭の中で否定しても、サチの過去がそれを黒く塗りつぶそうとする。  康孝の笑顔を思い出してはその黒いモヤを払うように、大丈夫と自分に言い聞かせ、サチが良いんだと言った康孝の声を反芻した。 「大丈夫……」  声に出して自分に言い聞かせると、パチンと頬を叩いて頭の中を切り替える。  立ち上がってバスルームに向かうと、冷たい水で顔を洗って、化粧水を肌に含ませる。  寝癖を整えるとキッチンに向かい、腕捲りをしてシンクで手を洗った。 「おはよ。サチ」  目を擦ってあくびをしながら康孝が顔を出す。 「おはよう。起こしちゃった?」 「いや、よく寝たよ」  康孝はリビングのカーテンを開けると、テレビをつけて時間を確認する。七時半だった。 「俺サチがいるとよく眠れるみたい」  ニコニコしながらサチの隣に立つと、頬にキスをして改めておはようと言った。 「何を作るの?」 「ワンパターンだけど卵焼きとお味噌汁かな」  焼きおにぎりとお茶漬けどっちが良い?と康孝に尋ねると、康孝は暫く考えてから焼きおにぎりと答えた。 「顔洗ってくるね」  バスルームに向かった康孝を見送ると、冷蔵庫から卵とハムとチーズ、味噌と豆腐とネギを取り出して支度を始める。  ボウルに卵を割り入れて、塩で味を付けると少し水を加えて卵液を作る。  フライパンに油を回し入れて強火で温めると、ハムを細く均等に切り、卵液をフライパンに流し込む。  フライパンの中でかき混ぜて空気を含ませるとハムとチーズを乗せ、くるくると箸で器用に丸めて形を整えて、火を止め余熱で中に火を通す。  鍋に湯を注いで火にかけると、ネギと豆腐を切って沸騰した鍋に入れる。顆粒出汁を入れてから味噌を溶き入れると、お玉ですくって味見をする。  次に冷凍庫から昨日の朝余ったおにぎりを取り出すと、電子レンジで加熱する。  余熱が通った卵焼きをフライパンからまな板に移すと、一口大に切り分けてから皿に盛り付ける。  フライパンを洗うと、再び火にかけておにぎりに焼き目をつけていく。表面にうっすらと焦げ目がついたら、醤油をかけて両面焼き直す。 「ん!凄い良い匂い」  髪と髭を整えた康孝がキッチンに戻ってくると、また卵焼きを摘み食いする。 「ん。うまい」  その様子を見ながら笑うと、フライパンの火を止めて、焼きおにぎりを皿に盛り付ける。 「すぐ食べられるよ」 「おっけー。運ぶから味噌汁お願い」  康孝は卵焼きと焼きおにぎりをリビングに運ぶと、またキッチンに戻ってタンブラーに氷を入れる。 「お茶でいい?」 「うん。いいよ」  入れ替わりでサチは味噌汁をリビングに持っていくと、箸を忘れたので取りに戻る。  電子ポットからティーパックのお茶を入れ終わった康孝が、食器を見に行こうねとまた言った。 「お揃いとか気分上がるね」  笑ってそう返すと、康孝と一緒にリビングのソファーに座った。 「いただきます!」 「いただきます」  テレビの時刻は八時前。  康孝は焼きおにぎりを手で掴むと、熱いと言いながら頬張った。 「んー。うまい」 「二日連続の手抜きだけどね」 「これだけ手を加えたら別物だよ」  おにぎりを片手に卵焼きを頬張って、チーズの塩気がまた良いねと美味しそうに食べる。  サチは箸で割って焼きおにぎりを口に運んだ。焦げ目がついたところは香ばしく、醤油が中までしっかり染み込んで、口の中でほろほろと崩れる。  康孝は二つ目の焼きおにぎりにかぶりついている。 「今日は何時にカフェに行けばいい?」  味噌汁を飲みながら、サチは何気なく尋ねる。 「朝から来てゆっくり本を読むのも良いんじゃない?」 「でも邪魔じゃない?」 「サチは前金払ってるから大丈夫」  康孝がニヤッと笑うので首を傾げたが、すぐに気が付いてまだからかう彼を困った顔で見る。 「一万円」 「それ一生言われそう」 「冗談だよ」  康孝は笑って一緒に出ようよと言うので、サチはそうしようかなと答える。 「叔母様はいつお見えになるの」 「あ、時間の話してなかった」  ちょっとごめんね。そう言って席を立つと康孝は寝室からスマホを取ってきた。 「返事待ちだけど、昼には来るんじゃないかな」  そう言ったそばからピコンとメッセージの受信を通知する音が鳴る。  康孝はスマホをタップすると、ニコニコしながらサチを見た。 「待ち切れないから朝から来るってさ」  画面を見せてもらうと、メッセージとソワソワする可愛いスタンプが押されている。 「期待に応えられるかな」  サチが苦笑いすると、康孝は大丈夫だよと言う。 「いい歳した息子が、初めて連れてくる彼女だから、そっちの意味で期待してるかもね」 「……え」  箸を持ったまま固まる。それは深く考えずとも結婚するのが前提ということだろうか。 「あ、固まった」 「だって、付き合ってまだ三日目だよ!」 「期間の問題じゃなくて相性の問題でしょ」 「そんな簡単に……」 「俺はそのつもりがあるから家にも入れたし、結果的に母さんにも紹介したんだよ。叔父さんたちに会わせるのも、外堀埋めたいのが本音」 「いやいやいや!スピード感!」  サチは箸と味噌汁をテーブルに置くと、慌てたようにおかしいってと騒ぐ。 「ダメなの?」 「だって、ケンカすらしてないじゃん」 「長く付き合ってもしないと思うよ」 「なんで?」 「そもそも俺はそこまで意見が喰い違う人と一緒に居ようと思わないし、サチに対して腹が立つような火種も無い」  サチが自立した女性だからかな?そう言って頭を撫でると康孝は続ける。 「それに、いくら身体が先行したからって、そこはちゃんと見てるよ」  俺にも人を見る目は有るよと、康孝は残った味噌汁を飲み干して淡々と返す。  サチはそんな康孝に唖然とする。 「俺たちの場合はお互い大人だし、俺はサチが良いって言っただろ」 「それは付き合うことに対してでしょ。たかが二日過ごしただけで、私のことそんなに分からないじゃん」 「健次郎くんと由梨ちゃんに会ったから分かるよ。サチは思った以上の女性だよ」  友達を見れば分かるよ。こともなげに康孝が言うのでサチは更に頭を抱える。  確かに康孝のことは好きだが、話が急展開過ぎる。出会ったのすら一ヶ月前でしかない。 「そんなにおかしい?」 「いや、想ってくれるのは嬉しいけど結婚って一生のことだよ?」  電撃婚の後にすぐ破局。某女優のスポーツ誌の記事を思い出し、離婚という文字が浮かぶ。 「だからこれから二人で気持ちを育てていくんじゃなかった?」  サチを抱き寄せると康孝は背中を優しく撫でる。 「もちろん別に今日籍を入れるとかそんな話じゃないよ。でも二人で気持ちを育てて行こうってサチが言ってくれたんだよ。だったらこの選択肢もあって良いじゃないか」 「康孝さん……」 「俺は親父や母さんのように大切な人を失ったら、とてもじゃないけど立ち直れないよ。サチが常に傍にいてくれないと」 「困った人ね、無下に出来ないじゃない」 「俺がこうと決めたら譲らないのは知ってるでしょ」  ニヤリと笑って康孝はサチにキスをする。 「あー。捕縛された」 「捕縛って」  康孝はサチを抱く腕を外すとお腹を抱えて笑う。 「朝から随分と楽しそうね」  ふと声の方を見るとイネスが気怠げに階段を降りてきた。 「おはようございます」  サチはソファーから立ち上がると、何か飲みますかとイネスに声をかける。 「大丈夫よサチ。そんなかしこまらないで。水を取りに来ただけだし、すぐまた寝に戻るから」  イネスはサチの肩に手を置いて、母親を見る度に飲み物飲む?なんて気を遣わないでしょと悪戯っぽく笑った。  代わりに康孝がタンブラーを持って立ち上がると、イネスの後を追うようにキッチンに向かい、冷蔵庫から取り出したミネラルウォーターをグラスに注いでいるイネスに声をかける。 「今日叔父さんたちにサチを紹介するんだ」 「あら、素敵じゃない。ノリコたちも喜ぶわ」 「まさか母さんに一番に紹介出来るとは思わなかったけど。で?今回はどれくらい滞在する予定?」  新しく氷を入れてお茶を入れ直すと、康孝はイネスに尋ねる。 「決めてないのよ。サチとの甘い時間の予定が狂うかしらね」 「何言ってんだよ。サチは仕事も忙しいし、そもそも母さんの家だろ」 「あら、ヤスがそんなこと言うなんて」  クスクスと笑ってキッチンを出ると、イネスはソファーに座ってサチの頬にキスをして、おはようと改めてあいさつをする。 「決めてないってことは今回は仕事で来たんじゃないのか?」  サチにお茶を渡すと、康孝もソファーに座ってイネスに尋ねる。 「そうよ。だから温泉にも行きたいし、好きにさせてもらうわ」  サチも温泉行く?とイネスが誘うが、サチが答える前に康孝が骨髄反射のようにそれを制する。 「サチは忙しんだよ、母さん!」 「何よケチ」  口を尖らせて拗ねるように水を飲むと、イネスはまだ眠り足りないとソファーを立つ。 「あなたたち、支度は良いの?出掛けるんでしょ?」  そう言ってキッチンに向かうと、改めてグラスにミネラルウォーターを注ぎ、それを持って自室に続く階段を登っていく。 「時差ボケがこんなに酷いのも久しぶりだわ。じゃあまたねサチ」  サチにとびっきりの笑顔で声を掛けると二階に戻って行った。
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