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「また……あの人はもう」
イネスのマイペースさに康孝は溜め息を吐く。そんな康孝を見てサチは苦笑いすると、もう食べないよねと食事の片付けを始める。
「イネスさんの朝食はどうするの?」
「適当に食べるだろうから気にしなくて良いよ。あ、俺も手伝うよ」
康孝は一緒になって皿を片付け、キッチンまでそれを運ぶ。
「いつもは長く日本に居るの?」
皿を洗いながら康孝に尋ねる。その横で洗った皿を手際よく濯ぎ彼は首を横に振った。
「全然。三日とか?長くて一週間」
「そうなんだ」
「本当に突然来て突然帰っていくからさ。帰る日が決まってないなんて、珍しいんだよ」
サチから受け取った食器を全て濯ぐと、康孝はキッチンペーパーを取ってサチに渡す。
「本当に気まぐれで困るよ」
「良いじゃない。息子だから甘えてるんじゃない?それだけ落ち着く場所なんだと思うよ」
手を拭いてキッチンを出ると、テレビに表示される時間を見て康孝に声を掛ける。
「もう九時過ぎてるよ。遅れない?」
「サチも知ってるだろ。近いから五分もあれば充分着くから大丈夫だよ」
康孝はサチを抱きしめて髪にキスをすると、でもそろそろ着替えなきゃねと寝室の扉を開ける。
サチはクローゼットから洋服を取り出して、チェストから下着も取り出す。
「私バスルームで着替えてくるね」
「なんで?ここで良いじゃない」
「下着をつけなきゃいけないしヤダよ」
メイクもあるしと、もっともらしく言い訳をしてバスルームへ向かう。
一旦着替えを置いてお手洗いを済ませると、サチはバスルームの鍵を閉めて着替え始める。
洗濯機から乾いたシーツを取り出すと、康孝に借りた洋服を全て脱いで洗濯機に放り込む。下着を身につけてカットソーを着ると、その上に千鳥格子のジャンパースカートを着てタイツを履き、最後にジャケットを羽織るか迷う。
今日の気温が分からないが、ハイネックのカットソーは暖かいので、持っていくだけで大丈夫だろうとサチはメイク道具に手を伸ばす。
顔を洗って化粧水を再度馴染ませると、下地は塗らずに、ファンデーションをそのまま肌に乗せていく。ムラなく広がったら、濃くなり過ぎないように気を付けて眉を描く。
アイシャドーはブラウンのリキッドシャドーを指で乗せてナチュラルになるよう伸ばし、リップはほんのり色付く程度に唇に広げ、最後に髪の毛を整える。
その時、扉がガチャリと音を立てたので、一瞬驚くが、康孝が来たのだろうと鍵を開ける。
「厳重過ぎない?」
「下着姿なんか見せたら、また扇情的とか言って着替えが進まないビジョンが見えた」
康孝に笑って言うと、彼は困ったように笑ってそれはそうかもねと素直に言った。
「なんか今日の格好はまた可愛いね」
そう言って案の定サチに抱きつくと、康孝は淡いブルーのニットにオフホワイトのスラックス姿で、手には黒いジャケットを抱えている。
「ジャケットにシワ寄るよ?」
「大丈夫。今着るから」
サチを抱きしめる腕を離すとジャケットを着る。サッと羽織るとまた印象が異なるので、サチは康孝をじっと見る形になってしまう。
「なに?惚れ直したの」
「そうかもね」
サチの今日のスカート姿も可愛いねと康孝は上機嫌だ。
「化粧濃くないかな?」
「きれいだよ」
「……恋は盲目って怖いね」
サチは鏡越しに康孝を見て溜め息を吐く。けれど康孝はそんなサチに困った顔をして盲目じゃないよと反論する。
「サチは自分を卑下するところがあるよね」
「んー。まあ自信は持ってないかな?」
「少なくとも俺にとっては一目惚れした相手だし、健次郎くんも由梨ちゃんだって、サチは美人だって言ってたじゃない」
それにイネスも褒めていたと康孝はサチの頬にキスをする。
「メイクもそんなゴテゴテしてないし。サチらしくて凄く良いよ」
「そう?なら大丈夫かな」
広げたコスメを元の位置に戻して整えると、あ!歯を磨き忘れた!と慌てて歯磨きを始める。
俺も忘れてたと隣で歯を磨く康孝がサチの腰を抱く。磨きにくいとその手を振り払い、口を濯いで、備え付けのティッシュで口元を押さえる。
「さ、じゃあちょっと荷物まとめるね」
まだ歯を磨いている康孝をバスルームに残してサチは寝室に向かう。部屋の中を探し回るが鞄とスマホが見当たらない。
バスルームから戻ってきた康孝が、スマホだったらこっちにあるよとリビングのテーブルを指した。
「そうだった。起きてすぐ着信確認したんだった」
「またお店から?」
「うん。でも売上報告だけ」
そんなやり取りをしていると、ピコンとサチのスマホにメッセージが入る。
「うわ、言ってるそばから」
サチがスマホを確認すると、店舗の連絡用ページにメッセージが入っている。
―――二人もか。
メッセージを読んでサチは顔を曇らせる。康孝はそんなサチの様子に気付いて仕事になったのかと尋ねてくる。
「微妙かな。遅番の学生がゼミ絡みで遅れるって連絡。片方は休めれば休みたいって感じかな。遅番にもフリーターは居るから、少し様子を見て交代が出なかったら出勤するかも知れない」
「でも今日は振替休日なんじゃないの?」
「そうだけど、二人も休んだらそうもいかないのが現実」
「大変な仕事だね……」
康孝はサチのハードワークぶりに身体の心配をしているのか、そんな時に連れ回してごめんねと謝った。
「嫌ならはっきり断ってるよ」
康孝の頬と耳元に手を添えて包むように撫でた。
仕事のことはそろそろ本気でどうにかしないといけない。どんな仕事に就くにせよ、休みの度にこの調子では心臓にも悪い。
そんなことを考えながらスマホを握りしめると、サチは康孝に言った。
「ほら、急がないと遅れちゃうよ」
「そうだね。向こうもワクワクして待ってるだろうし、そろそろ出ようか」
スマホを鞄にしまうと、康孝が忘れ物はない?と聞くので、取りに戻れば済むと笑う。
「あーサチが可愛い!中に入れたい!」
「またかよ!」
リビングにサチのツッコミが響いた。
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