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それから三、四十分経っただろうか。
静寂を破るように電話を知らせる着信音が響く。サチを抱く腕をほどいて起き上がると康孝はスマホをポケットから取り出す。しかしどうやらまたサチのスマホに着信があったようだ。
寝息を立てるサチを見て、起こすのは忍びないと思いながらも、どれほど仕事に真面目に向き合っているのか聞かされた手前、急ぎの用件だといけない。
康孝はサチにキスをして、電話が掛かってきたことを伝えて起こす。
「……本格的に寝ちゃったみたい」
「俺もうとうとしてた。それより電話だから急ぎなんじゃないかな」
「え……」
スマホを受け取ったサチの顔色が変わる。そのただごとではない様子に康孝は仕事で何かアクシデントでもあったのかとサチの顔を覗き込む。
「違うの、実家の家政婦さんから」
この番号は親には教えていない。それでも何かあった時のためにサチは家政婦にだけは連絡先を伝えてあった。
「と言うことは実家で何かあったのかな」
「分からない。どうしよう」
完全にいつもと違う様子で震えるサチを抱きしめると、大丈夫だよとその腕を強める。そうしている間にまた電話が鳴る。
「出られそう?」
「あ……うん」
鳴り響く着信音を止めるようにスマホをタップする。
「もしもし、三枝さん?」
『あぁ!お嬢様。ご無沙汰しております。今はお仕事中ですか?』
聞き馴染みのある声は、サチが知っている声よりも張りがなく彼女が老いたのだと感じさせる。
「大丈夫、それよりどうしたの?」
『奥様が事故に遭われました』
「え……?」
『旦那様も気に病んでおられます。ご実家にお戻り願えませんか?奥様は……』
三枝の言葉が頭に入ってこない。母が事故に遭い、父が精神的に参ってる?どういうことだ。彼らは互いを想い合うような仲ではないはずだ。
「サチ、大丈夫?顔が真っ青だよ」
隣で康孝がサチの背中を優しく撫でる。
サチは掌で消音して康孝に大丈夫と答える。
『お嬢様、突然のことで驚かれるとは思いますが、旦那様がお気の毒で。せめてお嬢様がお見えになれば、お心の支えになると思うんです』
「三枝さん、母はどこの病院に?」
『海西記念病院です。奥様のお見舞いにいらっしゃいますか?』
「そうね、父より母の様子が気になるから」
『お嬢様、ありがとうございます。お嬢様をご実家に呼び戻すようなご連絡を差し上げて申し訳ありません』
「大丈夫だよ、今から行くね。連絡ありがとう三枝さん。また後で連絡するね」
礼を言うとサチは電話を切った。
サチの受け応えからおおよそのことを把握した康孝は、サチを抱きしめて大丈夫だよと優しく頭を撫でる。
「お母さんが……」
「うん。お見舞い、行くんだろ」
「でも」
「大丈夫。俺も行くから」
康孝はサチの手を握ってそう声をかけると、立ち上がってクローゼットから二人分のジャケットを取り出す。
「海西記念病院なら車で行けば二、三十分で着くでしょ」
「でも康孝さん……」
感情が追い付かないサチに、康孝はまず職場に連絡を入れるように指示する。
「親御さんが事故に遭ったんだ。容態が分からない以上、今日は仕事に行けるか分からないんだから連絡を入れないと」
「あ、うん」
スマホを持ったまま放心していたサチは、康孝に言われてハッとすると、すぐさまエリアマネージャーの田端にメッセージを送る。店舗には電話を掛けて館林を呼び出し事情を説明する。
店舗への連絡が終わった時には田端から既に返信があり、短く了解と書かれていた。
「じゃあすぐ出られる?」
その間に支度を整えていた康孝がベッドに座ったままのサチに声をかける。
「ごめん、お手洗い行くね」
サチは康孝に答えると、ようやくベッドから立ち上がって、少しふらつく足取りでトイレに向かう。
―――お母さんが事故?
母親の真知子は、父の智哉より十若いがもう五十六歳だ。そんな歳になっていたのかと独りごちて、サチはトイレから出ると手を洗った。
「顔色が悪いね」
ダイニングで座って待っていた康孝は、心配して立ち上がるとサチを抱き寄せて体調不良も重なってるからねと切なそうに呟く。
「それは大したことないんだけど、いざとなるとダメだね……こんなに動揺するなんて」
「当たり前だよ。親御さんが事故に遭うだなんて、動揺して当然だよ」
「ごめんね康孝さん。仕事もあるのに付き合わせて」
「謝ることじゃないよ。もう大丈夫?出られそうかな」
「うん」
渡されたジャケットを羽織ると、康孝がサチに話し掛ける。
「窓とカーテンは閉めておいたよ。何か必要な荷物はある?」
「顔を出すだけだから」
じゃあ行こうかと手を握られて家を出る。鍵の閉め忘れを康孝に注意されるほどサチの意識は散漫している。
エレベーターで一階に降りてエントランスを抜ける。コインパーキングに着いてもサチを心配してか、康孝はずっとサチの手を握って離さない。
「康孝さん……」
「なあに」
「ありがとう。凄く助かる」
サチは康孝を見て笑顔を作るが、上手くできない。康孝がその頬を優しく撫でると、鼻を摘んだ。
「俺にまで気を遣わない。無理して笑わなくて大丈夫だから」
精算を終えると康孝は助手席のドアを開けて、サチを先に車に乗せる。サチは冷たくなった指先でシートベルトを締める手もおぼつかない。
車に乗り込んだ康孝がそれに気付いて、サチのシートベルトを締める。
「着くまで休んでれば良いよ」
ナビをセットしながらサチの頭を撫でるとそのまま頬にキスをする。
「じゃあ、車出すよ」
静かな車内に康孝の声だけが響いた。
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