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 門扉の前で名残惜しそうに見送る智哉の姿が小さくなるまで、サチは後ろを振り返って窓から手を振った。 「素敵なご両親だった。誤解があっただけで、サチはちゃんと愛されてるのが分かって良かったじゃない」 「そう、なのかな」 「まあ簡単に考えは変わらないだろうけど、少なくとも今日お会いして、とてもサチを大事に思ってらっしゃるのは伝わってきたよ」  康孝はポンポンとサチの頭を撫でると、赤信号で車を停めた。 「これから距離を縮めていけば良いじゃないか。過ぎたことはどうにもできないけど、これからのことはサチの行動次第だよ」  サチから手を離すと、康孝はゆっくりと車を発進させる。  何かを話すわけでもなく、ただ流れていく景色を眺めながらサチは黙って色々と思いを巡らせていた。康孝はそれに気付いているのか、何も言わず、たまにサチの頬や肩を撫でては運転を続けた。 「コンビニかスーパーに寄る?」  サチの家が近付くと、康孝がそう声を掛けて右折する。 「そうだね。ビールでも買って帰ろうか」  返事を聞いて康孝はスーパーの場所をサチに確認すると、車を進め駐車場に停める。 「さて。買うのはお酒だけで良いのかな」 「食材もちょっと買おうかな」 「サチはいつもここで買い物してるの?」  康孝は自然にサチと手を繋ぎ指を絡めると、入り口脇に設置されたカゴをもう片方の手に持って、荷物は任せてねと呟く。 「そうだね。遅番だとコンビニに行く場合もあるけど、ほとんどこのスーパーだよ」 「冷蔵庫の中、キレイに整頓されてたもんね」 「お酒と水しか入ってないと思ってた?」  サチが笑うと康孝はそうかもねと笑う。 「んー。じゃがいもと玉ねぎ、それからキャベツ。大根も買っておこうかな……あ、かぼちゃ」  野菜コーナーで目移りしながら商品をカゴに入れる。サチはいつも野菜はカットして冷凍保存する。冷蔵庫の中を思い出しながら、どれくらい買えるかサチは首を捻って考えている。  康孝はそんなサチの様子を見つめながら、自分はどんな料理が好きか話したりして買い物に意見を出す。 「康孝さんが遊びに来た時にそれを作れってことね」 「俺が作っても良いし、その時に買いに来ても良いかな」 「じゃあ今言わないでよ」  混乱してきたとサチが笑う。  そうして他のコーナーも見ながら、その都度足りないと思う物をカゴの中に入れ、最後にビールを二パック買うことにする。 「結構な量になっちゃったね」  買い物を袋に詰めながら、サチは康孝に代金は後でちゃんと払うからと言う。会計の時にもたついていたら康孝が払ってしまったからだ。 「良いよ。ほぼ俺の胃袋に入る予定だし」  康孝は悪びれずそう言うと、荷物を後部座席に固定して、サチに早く車に乗るように促す。多分アイスを買ったからだろう。 「もう。康孝さんは私に甘すぎるっ!」  文句を言いながらシートベルトを締めると、康孝の膝を叩いて抗議するが、康孝は笑うだけで、可愛いねと言ってサチの頭を撫でる。  そのまま五分と経たずにサチのマンションに到着し、コインパーキングで数時間前まで停めていたのと同じ場所に車を停めると、荷物を半分ずつ手分けして持ち、マンションのエレベーターに乗り込んだ。 「さ。どうぞお先に」 「お邪魔します。いや、ただいま。かな」  康孝とそんなやりとりをして部屋に入ると、サチはスマホを取り出してメッセージが数件入っていることに気が付いた。 「仕事のメッセージ来てるからちょっと電話してくるね」  康孝に食材を冷蔵庫に入れるように頼むと、サチリビングのソファーに座ってスマホをタップする。  エリアマネージャーの田端から、振休が溜まっていることに加えて、転職希望のこと、今回の親が入院したことを踏まえて、一週間は休むようにと連絡が入っていた。  今日は代わりに店に出てくれているとのことなので、店舗に電話を入れたものの、電話に出た田端はつっけんどんに一週間は来るなと言い放って電話を切られてしまう。 「どうしたの」  ビールとグラスを持った康孝がサチの隣に腰を下ろすと、眉間にシワがよってると親指を当ててグリグリと押す。 「振休の消化出来てないのを怒られて、一週間出禁になった」 「なにそれ」 「親のこともあるだろうし、転職希望なんだから休めって。時間を作れってキレてた」  一方的に電話を切られて、サチは転職ではなく退職の意思があることすら伝えられなかった。 「健次郎くんと由梨ちゃんが言ってたけど、サチは人を頼ったりしなさ過ぎるんじゃない?」 「は?なんで」 「その電話を切ったって上司の人も、案外サチが自分を頼ってくれなくて手を焼いてるのかもよ。忙しいみたいだからメッセージで相談送っておけば、案外きちんと対応してくれるかもよ」 「そうかな。抜群にそりが合わないだけだと思うけど」  サチが表情を歪めると、康孝はその顔鏡で見てごらんと笑いながら田端にメッセージを送るように促す。 「でも、なんて送ろう」 「今後のことで相談に乗ってほしいとか、相談がしたいので時間を作ってくださいとかで良いんじゃない」 「返事くれるかな」 「送ればわかるでしょ」  康孝に言われて渋々ながらもサチは田端にメッセージを送った。するとすぐに田端から返信が返ってきた。サチは驚いて目を見開いたが、康孝は驚いた様子もなくほらねと笑っている。  田端からの返信は今日はもう落ち着いてるから店に顔を出せという内容だった。 「は?今から来いってこと?」 「なら車出すよ。幸いまだ飲んでないからね」  善は急げだよとサチの頬にキスをすると、脱いだばかりのジャケットを羽織り、立ち上がってサチに手を伸ばす。 「俺は店で時間潰してて大丈夫?」 「いや、自転車ですぐだし家で待っててくれて良いよ」 「俺が心配だから勝手に付いていくだけ」 「じゃあ、うちの店じゃなくて隣のカフェで待機してて。念のためノートパソコン持っていってた方が良いかもね」 「なるほど。なら作業しながら待つよ」  康孝は寝室からビジネスバッグに入れたノートパソコンを持ってくると、じゃあ行こうかと先に玄関に向かう。  サチはリビングに出されたビールを冷蔵庫に戻し、今日はバタバタしてるねと康孝を追い掛けて家を出た。  車で向かうなら十五分ほどだろう。サチは車に乗り込むと田端にその旨を伝えるメッセージを送った。 「あー。なに話そう」 「色々きちんと話せば良いよ」 「でも本当にソリが合わなくて、どう会話して良いかすら分からないんだよね」 「それは向こうも同じなんじゃないかな」  康孝はそこまで深刻にならなくて大丈夫とサチに声をかけると、時計を見てもうこんな時間なんだねと驚いたように声を出した。  真知子の見舞いに行ったのが夕方の五時ごろ、その後サチの実家で智哉と夕食を摂って家を出たのが八時半。買い物を済ませて帰宅したのがついさっきで、気が付けば九時半を回っていた。 「この三日本当にハードスケジュールだよ」 「それは苦情かな」 「違う違う!でも天地がひっくり返る慌ただしさ」 「俺にとってもそうだね。結局、君の親愛なる北条大和を残すだけで、両家の両親に挨拶も済んでしまったからね」 「北条さんへの挨拶か……」  そんな会話をしながら、気が付くと車はサチの勤務する店舗の駐車場に停まった。 「ここに停めておいて良いかな」 「もうディナーのコアタイムは過ぎてるから特別ね」 「ありがとう。じゃあ隣で待ってるから終わったら連絡してね」 「分かった。じゃあ行ってきます」  敬礼するような仕草でサチは裏手の従業員出入口に向かう。それを確認した康孝は隣のカフェに入ってコーヒーを頼んだ。
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