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 ハッピーエンドなんてあるんだろうか……  鞍馬サチ。三十二歳バツなし独身。  外見的な特徴としては、一七五センチと女性にしては高めの身長。前下がりのショートボブは、落ち着いた茶色にカラーリングし、端正な顔立ちとコンプレックスのハスキーな声で女性にモテるがゆえに、男装の令嬢とよく冷やかされる。  九月某日。現在飲食店で雇われ店長の身であるサチは、ようやく人手不足などの問題から解放され、必死でもぎ取った貴重な休日の夜に、馴染みの店の暖簾をくぐった。 「はい!お疲れ乾杯~」 「はいカンパーイ!」  何気なく始めた飲食店でのアルバイトをズルズル続け、契約社員にはなった。  しかし任される仕事や責任に伴わず、正社員への道のりはそう簡単な物ではなく、仕事自体も体力的に厳しくなり現在転職思案中。 「はぁ……勤務歴も十四年、三十越えて未だ時給制の契約社員とは。この不安定さよ」 「世の中は厳しいよな、それが現実って」  無いわー。そう言って顔の前で手をぶんぶん振るのはかつてのバイト仲間の山﨑由梨、同じく三十二歳。彼女は既に結婚して二児の母でもある。  数か月に一度こうしてゆっくり飲んだりして過ごせるのは、同じくかつての同僚、つまりバイト仲間だった夫の健次郎が子守りを引き受けてくれるからだ。 「健次郎、今何の仕事してるんだっけ」  焼き鳥に手を出しながら由梨の方に顔を向ける。 「ディーラー?まぁ車のセールスよ、成績悪いからヒラだけど。だから私もそろそろフルタイムの仕事探さないといけないわ」 「そうなんだ。よく解んないけど子育てってお金かかりそうだもんね」 「今は良いけど将来考えたらね」  由梨は豚バラ串を頬張りながら、これイケるよ!とサチに指でアンタも食べなと合図を送っている。彼女のこういうサッパリした性格が好きだ。 「保育園とか、二人預けたら結構高いんじゃないの」  すすめられた豚バラ串は肉厚でしっかりと噛み応えがあり、何と云っても柚子こしょうと少しの塩の味付けが、一層食欲を掻き立てお酒が進む。それは由梨も同じようで、もっと頼もうかと提案してくる。 「保育園?ああ、それは大丈夫よ」  串ものを頬張りながら、彼女はにっこりと笑顔になる。 「大丈夫ってなんでよ」 「お義母さんが預かってくれる話になってるから。しかも息子が甲斐性ナシでごめんとか言われてさ。とんでもないよ~。正社員にもなったし、毎日遅くまで頑張ってくれてるし。だからサチと一緒で私も今は求職検討中。でも、なかなか無いもんだね」  そう言ってビールを一気に煽ると、この歳で技術も資格も持ってない自分たちが、新たに仕事探すのはとても難しい。そんな会話になる。 「ないよねぇ」  若い頃は今日が楽しければ満足だった。刹那的なモノでも満足だった。けれどそんな事で生活は成り立たない。現に今、それに直面している。  サチだって仕事が楽しく無いワケではないし、こんなご時世で仕事があるだけ有難いとは思う。雇われ店長とは云え自分の裁量に任されている部分は多く、遣り甲斐もある。  けれど先が見えないのも現実で、本当にやりたい仕事を探すには後れを取った気がしている。  恋愛だってそうだ。由梨のように結婚して幸せに過ごしている友人を見ていると、年齢的にも焦りのような感情だって湧く。けれど恋愛面は疎かになっている。最後に付き合ったのはいつだっただろうか。 「あ、そういえばこの前の人とはどうなったの」  物思いに耽っているところを由梨の声で引き戻される。しかし突然の言葉に何も思い当たらずに首を傾げる。 「は?この前の人ってなんの事よ」  本当に分からないというサチの様子を見て由梨は逆に驚いたように、顔の前でブンッと手を振ると、しっかりしなさいよと溜め息を吐きながら話を続ける。 「この前呑んだ時に声掛けて来た人だよ。あの後ほら、一緒に飲み直すって」 「あぁね、思い出したくもないわ」 「何があったのよ」 「ホテルホテル煩いから蹴り倒して帰っただけだよ。マジ勘弁」 「うわ、それは引くわ。それにしてもよ!アンタいつから恋人いないんだっけ」 「ん?解んないくらい前」 「何その答え。そんな調子でいいわけ」  ケラケラ笑う由梨が、空になったグラスからメニューに視線を走らせて次は何を頼むのか聞いてくる。 「なんだろうね。好きとか恋とかそういうのマジで解んないんだよね」  栗の焼酎を指さして、次はお気に入りのチーズ入り厚焼き玉子が食べたいとツマミの追加も伝える。 「昔からそういうとこあるよね。恋愛感情が分からないとか、枯渇してんの?」  オッケー厚焼き玉子は鉄板だよね。あ!豚串また頼もうね。そう言って笑っている。 「時すでに遅し。既に旱魃地帯」  ビールを飲み干して吐き出す声は、周りの賑わいに掻き消されるほど小さかった。  この店を見つけたのは偶然だ。  二年ほど前に静かで騒がしくない店を探していたところ、オフィスビルの地下にある、変わった立地の店に面白半分飛び込んだのが始まりだ。それ以降、由梨と会う時は大抵この店だ。  平日の夜にしては混雑している。珍しく団体客が入っているからだろうか、フロアを忙しそうに回るスタッフを呼び止めて由梨が確認しながら追加の注文をしている。  サチはこういう時、どうしても店員の立ち回りや客捌きが気になる。  今注文を受けているのは大学生だろうか?初めて見掛けるスタッフだが、慣れた手つきで伝票に注文を書き取ると、素早く復唱して空いた皿を引き上げてその場から去っていく。その動作には無駄が無かった。 「やだ。ちょっとなに、険しい顔して」 「……いや、職業病」 「ああ。今の子感じ良かったね、健ちゃんみたい」  そう言って焼き鳥に豪快にかぶりつく由梨は未だに二十代前半に見られる。さっきの店員が恋人だと言っても誰もが信じて疑わないだろう。彼女は友人の中でも群を抜いて可愛らしい。  だからこそ、健次郎と真剣に交際し、結婚に至った時には正直驚いた。 「健ちゃん、ね……」  健次郎は性格は明るいが、盛り上げ役を地で行くお調子者で、顔も平均的で男前という訳ではない。  確かにとっつきやすい雰囲気ではあるが、友達の域を超えるようなタイプではない。  年齢は二つほど歳上だが、同じころにバイトを始めた事もあり仲が良くなった、言わばただの同期である。  そこに後輩として入って来た由梨から、どうやったら健次郎と付き合えるかと相談を受けた時は衝撃を受けた。 「相変わらずその健次郎に対するちゃん付けは破壊力あるわ」 「なによダメなの?健ちゃんは優しいし、頼もしいの知ってるでしょ」 「責任感あるしっかりしたやつだけど、ちゃん付けはやめなよ……もう七年だっけ?」 「うん。トータル七年、結婚して五年」  得意げに片手の指を広げて見せる。しかしサチは頭を抱えるそぶりで言い返す。 「その可愛さで、まさかの健次郎だもんね」 「ちょっとなによ、そのまさかって酷くない?」 「いや、健次郎の事が好きとか、まさか由梨から相談されるとは思いもしなかったなーと思って。はは、これ言うの何回目」  笑いながら、相談を持ちかけられた時のことを思い出す。
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