叢 -くさむら-

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「己の毛皮の濡れたのは、夜露のためばかりではない」  高校二年の時、教師から指名され、正答が「臆病な自尊心と、尊大は羞恥心」である問いに答えた時の宮奥昭の言である。  中学生の終盤になると、宮奥はその本性を現し始めた。それまで衆目によって作り上げられていた外殻の下にあったのは、存外感情的で不安定な性質であった。  私の知っている彼は、たとえば昼休みにはクラスメイトと混ざって獣のようにサッカーに興じるのではなく、ひとりで静謐(せいひつ)な図書室に籠もって読書をしているような、理性的で孤高な雰囲気を纏っていた。  しかし、彼が周囲の期待という激しい攻撃に耐えるために作り上げた装甲を脱ぎ去った後には、私が彼に対して抱いていたすべてのイメージを覆すものだけが残っていた。彼は私に付き纏い、私が好きだと言った書籍はすべて読んだ。私が好きだと言った映像作品はすべて見た。それらの解釈をめぐって私に議論を吹っ掛けて来ることも多々あった。行動は日に日に奇異な色を増し、私が止めるのも聞かず他人の自転車を破損させることさえあった。彼の表情は変化に富むようになった。以前はそれほどまでの重責を負っていたのかと、同情さえ思い起こさせるほどに。  さて、これまで彼のことを散々持ち上げてはいたが、私とて決して彼に劣らぬ学力を持っていたことをここで触れておこう。もっとも、彼の学力は天賦の才——彼は後に「勉強を頑張ったことはない」と発言した——であり、私のそれは努力の賜物であった。中学生が終わる頃には、彼の試験結果を見れば見るほどに、彼の成績が私のそれと大して変わらなくなっていることに気付かされるようになった。そして私と彼は、それがまるで当然の帰結であるかのように同じ高校に進学した。  私はかねてより、地元の皆が進学しないであろう学区の高校を目指して勉強に励んできた。中学を卒業してまで彼らと馴れ合う気はなかったからである。そして彼も私にならった。その当時には既に、彼にとって唯一無二の理解者は私であった。私はまんまと観察対象である彼の至近距離に入り込んだのである。観察は(はかど)った。彼は私によって丸裸にされたと言っても過言ではあるまい。  このようにして私と彼は仲良く同じ高校に通うようになった。入学式に待ち合わせて行った時、クラス発表で同じクラスだった時、休み時間に私がトイレから彼のいる教室に戻ってきた時——宮奥は決まって安心したような表情を見せた。私がテニス部に入り、彼がバスケ部に入ると決まった時、彼は心細そうな表情を見せた。彼は私に対して色とりどりの表情を見せた。さながら図鑑でも作っているかのように、私は彼の表情を観察し続けた。私は図鑑の重要なピースとして、彼が涙を流す表情を見たいと望むようになった。  ちょうど同じ頃、好きな人ができたのだ、と宮奥が私に相談してきたためだった。相手は私も知っている、同じクラスの女子であった。いかにも宮奥の好きそうな女だ、と私は思った。顔は並、性格は奥手、群れなければ何もできないような女だ、と私は見ていた。唯一褒められる部分は、苗字が私好みであったことくらいであろうか。とにかく、この頃から宮奥は目に見えて浮かれた表情を見せるようになり、私は彼を不快に思い始めた。  現代文の授業で『山月記』を読み始めたのがちょうどこの頃のことで、冒頭の自分に酔ったような自己紹介を私に披露し始めたのもこの頃であった。 「宮奥昭は博学才穎、二十世紀の末年、若くして名を計算バトル大会上位に連ね、ついで学級委員に補せられたが、性、薀藉(うんしゃ)、自ら恃むところ頗る薄く、高位に坐するに(おご)(あなど)ることはなかった」  知ってる知ってる。小学生の頃からの既知の私に自己紹介など不要だと何度言ったことだろう。一週間に二度程度の頻度で、夜更かしして頑張って調べたであろう言葉の羅列をこれ見よがしに披露して来る。三度目にもなると早くもうんざりを通り越してしまって、逆にこれが聞けないとどこか物足りなく思うほどであった。  私はすべて知っていた。彼が計算バトル大会の上位に名を連ねたことも、学級委員に補せられたことも。自信を失くして重責にへし折られて自暴自棄になったことも、あえてそれらを明文化して開き直ることで消し去りたい過去を正当化しようとしていることも。  私は耐えられない程の不快感に襲われた。宮奥は好きな女にどうしたら話しかけられうだろうか、とか、さっき相手の方から話しかけられたんだ、とか、デートに誘ってみようかな、とか、デートの誘いを承諾された、とか、そんなとるに足らないことを逐一報告して来る。いい加減、煩わしい。私にとって彼は観察対象でしかなく、非建設的な戯言でお茶を濁し合うようなくだらない関係でいるつもりはなかった。  だから私は、一つの策を講じた。  当時インターネット上で隆盛し始めていたSNS。高校の同級生たちは皆こぞって登録していた。宮奥から常々聞いていたのだが、相手の女の方も当然SNSのユーザーだった。私は大衆のようにいたずらに流行を追いかけたりしない主義であったが、この際目を瞑ることにした。  どのような策かと問われると、なんのことはない。策というほどのものかどうかも疑わしい。私はただ、宮奥が好意を寄せる女に対して親切心から一つの忠告を行ったに過ぎない。誰にも知られずに個人チャットができるなんて、便利な世の中になったものだ。かくして、それは思った通りの効果を発揮した。  次の日のことだった。宮奥はひどく意気消沈した様子で私の前に現れた。相手の女にデートの承諾を撤回されたこと、もうメッセージを送って来ないでほしいと言われたことを、泣き出しそうな顔で告げた。私が彼を、人格的精進が足りなかったな、という方向性で慰めると彼は涙をこぼした。彼が先述の言を発したのはこの日の現代文の授業においてだった。  教師は「文章中で最も明確にこの物語の要旨を言い表している部分はどこか」と問うたのだったと思う。私は彼の後ろの席に座っていたのだが、その回答を聞いて吹き出しそうになるのを必死で耐えた。同時に私は彼に対し、明確に同情を禁じ得なかった。彼が人格的に未成熟であるのは誰の目にも明らかなことであるし、そもそも情事にうつつを抜かしていたことがこの痴態の原因であることも明白であった。彼の口から「臆病な自尊心と、尊大な羞恥心」という言葉が出て来なかったことは、ある意味では当然と言えるであろう。  改めて考えるに、やはり宮奥昭には私が必要なんだなと、まさにこの時確信したように思う。  余談だが、この時私が個人チャットを始めた女とは、私の方から連絡を絶ったことは言うまでもない。連絡に返事を寄越さないなど、人間として不出来にも程があると判断したためだった。
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