叢 -くさむら-

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 宮奥(みやおく)(あきら)は博学才穎、二十世紀の末年、若くして名を計算バトル大会上位に連ね、ついで学級委員に補せられたが、性、薀藉(うんしゃ)、自ら恃むところ頗る薄く、高位に坐するに(おご)(あなど)ることはなかった——  このような自己紹介を、平然としてのける奴だった。  知ってる知ってる。小学生の頃からの既知の私に自己紹介など不要だと何度言ったことだろう。一週間に二度程度の頻度で、夜更かしして頑張って調べたであろう言葉の羅列をこれ見よがしに披露して来る。三度目にもなると早くもうんざりを通り越してしまって、逆にこれが聞けないとどこか物足りなく思うほどであった。  私から彼への評価は、「自分のことを謙虚だと思っている傲慢な恥知らず」であった。  そして宮奥昭を観察することは、密かに私の楽しみの一つであった。 「……まぁ、俺しかいないなら仕方ないから、やってもいいですよ」  小学三年生の時、宮奥昭が学級委員に推薦された時の(げん)である。  若くして——小学二年生の時に——宮奥が計算バトル大会の上位に名を連ねたことは事実である。  計算バトル大会とは、我が母校にて——厳密に言えば不明瞭だが——独自に行われていた、計算の速さを競う大会である。答えが必ず一桁の数となる、小学一年生レベルの足し算引き算を百問。そのすべてを解ききる速さと計算の正確さによって順位が決まる、というものだった。  正確には覚えていないが、一分以内というタイムが上位に入る条件であったような気がしている。そして宮奥はそのレベルの計算力を持っていたということであろう。今となっては馬鹿らしいことだが、小学校という狭い世界においては、ここで言う宮奥のように目に見えて何かに秀でているというだけで多くの面倒に晒される。  人気者である、物知りである、運動ができる、且つ、面倒事に自分を関わらせるなという雰囲気を纏っていない——もとい、頼り甲斐がある。その条件が揃った者は、自身の意思云々にかかわらず、クラスの皆皆様方からの有難い推薦——もとい、「自分じゃなきゃいいや」に屈する以外選択肢はないのである。  宮奥も例に漏れず、一つの生命のようなまとまった組織票を得、見事学級委員の座に就いた。実質クラスを支配するといっても過言ではない名誉職である。私としても鼻が高い思いだったのを覚えている。もちろん、私が彼を推薦する衆愚の一部であったことは言うまでもないことだが。先述の言を発した時の宮奥は、感涙にむせいでいた——もとい、半べそをかいていた。
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