抗がん剤投与、初回と2回目の間。(追記:ごあいさつとお願い)

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抗がん剤投与、初回と2回目の間。(追記:ごあいさつとお願い)

【★追記:あらためてのごあいさつとお願い★】 「新作セレクション8/13」に掲載していただいたことにより、読んでくださる方、本棚に入れてくださった方が激増したことに、正直、驚いております。 2016年11月からの件を記録代わりに書いています。 初めて来てくださった方、出来れば私個人のプロフィールと「つぶやき」、そして、この記録代わりのお話しを「最初から」読んでいただきたいと思います。断片的に読んでも、わかりづらいお話しだと思うので…… また、治療や病院などのことに関しては、私個人のことです。。ここに書かれている治療が、同じ病気で治療している人の「」ということもご理解いただきたいと思います。 では、本編、続きをどうぞ…… 「しんどいよー…」 お布団の中で泣きながら、唸りながら耐えるしかない。1月下旬だから、外は寒い。部屋の中は、湿度を保ちながら…でも、時々、部屋の空気を入れ換えないとダメだし……だけど、カゼをひくわけにはいかない、感染症には要注意。 守らないといけないことがたくさん、あるのだ。 そばには、温かいほうじ茶をいれたマグボトルと、キレートレモンのペットボトル。ほうじ茶については、病気が発覚する前からずっと、習慣づいていたことだけれど、キレートレモンについては、抗がん剤投与が始まる前に、ちょっと思うところがあって、用意することにした。 ここで、私が受けている「抗がん剤治療」のスケジュールと副作用などについて、少し説明しますね(手元に残っている書類=私は治療当時の書類から、今に至るまで、ほとんどの書類を手元に残しています=を参考にしています)。 抗がん剤投与は、投与された翌日からおよそ3週間(21日目)が「お休み」。 その間に起こる「副作用」は、個人差はありますが、多数、出てきます。 『』は、ほてり、顔面紅潮、かゆみなど。 投与から2~4日目くらいから、吐き気と食欲不振が出てきます。 関節痛と筋肉痛は、3~4日目ごろに出現する人が多いそうですが、私はすでに翌日から出てきました。 これらにくわえて、点滴回数が増えるにつれて、2~4日目くらいから、手足の先がピリピリとしびれてきて、かゆみが出てくるようになります。手足の先の感覚がマヒしてきますし、血の巡りも悪くなってきて、冷えてくるのですが、感覚がないので熱さや冷たさを感じることが鈍くなってきます。 面白いことに、これらの対処法は、処方薬の頓服のほかに、ぬるめのお風呂に入ること、というのがあります。ただし、先にも書いたように、手足の感覚が鈍るため、注意しないと熱湯になってしまう…まぁ、今はお風呂の温度を設定することもできますが、それでも体調によって一定温度には感じられない。 私の場合はどうしたかというと、お湯を浴槽に張ったあと、肘でお湯の温度を確かめる、ということをしていました。 そして、一番の特徴は「脱毛」です。投与から2~3週間くらいすると影響が出てきます。回数を重ねるたびに強くなっていくので、抜けていく頻度もすごいことになっていきます。が、投与終了後、しばらくすると戻ります(時間がかかる人も多いです)。 このほかに『』というものもあります。 それが「骨髄抑制(こつずいよくせい)」と呼ばれるもので、白血球減少、好中球減少、血小板減少というものが起こります。 投与から9~10日目くらいから、減少が始まり、15日目くらいが一番低くなり、その後、ゆっくり回復していきます。この間、免疫力が低下しているので、カゼをひいてはいけない、感染症にも注意、怪我も要注意!怪我をすると、血が止まらなくなるという恐ろしいことになります。また、カゼなどの感染症にかかると、投与中止になり、別の治療をすることにもなるし、万が一、生命の危険もあり得るからです。 ジョークでもなく、シャレでもなく、本当に命に係わります。 ですので、外出時はマスクや防寒対策をしっかりしないとなりません。お散歩(気晴らしも必要ですからね)、お買い物以外は、出来る限り外出を控えるようにします。手洗いやうがい、消毒などもしっかりやります。 ……これ、 そう、2020年の今、COVID-19騒動の「」「」というものに「」なのです。 だから、私は外出自粛は「苦になりません」。大嫌いなマスクも、密になる場所では外しませんし、仕事中は必須なので、水分を摂るときや食事時以外は外さない。ただし、様子を見ながら、人がいない場所で適時外すなどの配慮が必要ですが、私はこれが、今、苦にならないのです。 まさか、抗がん剤治療中の経験が、こんな時に役立つとは思わなかったですけれどね…… 投与から2週間後、再診のために病院へ。 そこで血液検査をして、腫瘍マーカー検査。そのほかにも副作用や体調などを診てもらって、そこから一週間後に再び、抗がん剤投与に行く…… これを、私は合計6セット(6回)、繰り返すことになっています。 もちろん、この間にも、少しでも体調がおかしいと思えば、いつでも、病院へ連絡して行くこと。これも約束の中に入っていました。 「絶対に無理しない、我慢しない。ストレスを抱えない」 A先生とK看護師長さんたちからも、言われていたことでもあります。 ひとり暮らしなので、どんなことがあっても、家事は全部、ひとりでやらないとなりません。だからこそ、事前に色々準備はしておくのですけれど…… これは、またあとで書きますが、4回目の投与後、私は実家へ一時、戻ることを選択するようになりました。 話しを戻します…… 「痛い~、しんどい~……気持ち悪い……」 かけ布団すら、重い。 ひたすら、唸って痛みと吐き気に耐えるしかない。 用意しておいたチルド食品を食べようと思っても、食欲減退がきているのか、食べられない。でも、無理にでも…小さなおにぎりひとつだけでも、口にする。飲まないといけないクスリがかなりの数なので、胃の中をカラにしておくわけにはいかないから。 それから、酸っぱいものが異様に欲しくなる。 先にも書いたけれど、キレートレモンを用意していたのはコレなのだ。 また、ポッカレモン100とミネラルウォーターとはちみつを混ぜて、簡単な「はちみつレモン水」を作ったり、あとはアイスクリーム!冬場の寒い時になぜ?と思われるかもしれないが、これが不思議と、アイスクリームを食べたくなるのだ。 実際、病院から渡されていた書類にも、骨髄抑制の時期は、酸っぱいものが欲しくなったり、アイスクリームを食べるというのが対処療法として書かれている。 お手洗いに行くときは、狭い家の中を這いずり、モノに掴まりながら立ち上がり……必死…ここまでくると「サバイバル」状態。 鎮痛剤や吐き気止め、そのほかのクスリも一日に飲める(飲む)回数が決められているため、どんなに痛くても、吐き気があっても、その回数制限をオーバーするわけにはいかない。 んで、どうしているかというと、これはもう、寝ているしかないのだ。 手足を動かすのもだるい。倦怠感と全身の痛みと痺れと… 「治療という名の地獄」 がん患者が抗がん剤治療で挫折する人がいるというのも、このとんでもない痛みなどが原因だというのも頷いてしまう。 でも、私は、自分で選んだ「抗がん剤治療=標準治療」だから、最後までしっかり、受けようと決めていた。主治医のA先生と看護師のみなさんを信頼して、自分のためにと決めたこと。 生きるために……この先、少しでも長く生きるために決めたこと。 話しは前後するが、人の弱みに付け込んで、どこで聞いてきたのか、私が治療している間に、ふだんは話しかけても来ない知人が、アヤしい民間療法やサプリなどを勧めてくることがあった。果ては宗教勧誘まで。 けっこうしつこかったし、腹が立ったが、私は出来るだけ穏やかに、でも、きっぱりと、断った。 ここ、とても大事、重要なところだよ。 周囲に振り回されず、自分の信念を貫いて、最後まで今の主治医と病院にお世話になることは、自身がしっかり、肝に銘じておかないとならない。ここで自分を見失ってはいけないと、抗がん剤治療を決めた日に強く思ったからね。 自分の意思をしっかり見極め、自分のために治療する。 。 こればかりは……経験してみないと理解してもらえないことだと思う。 投与から一週間くらいして、ようやく、吐き気や強烈な倦怠感が収まってきた。少しずつ、何かを食べたいという気持ちが出てきて、お湯を沸かし、インスタントスープを作って飲むということもできるようになる。 天気予報を見て、気温と天気が良ければ、しっかり防寒対策をして、マンションの周りをゆっくりゆっくり、歩く。幸い、私が暮らしているマンションから徒歩3分のところに、小さな公園があるので、そこへ行くというのが、恒例になっていく。 手足のピリピリがあるので、歩くスピードも極端に遅くなり、少し歩くだけでも息が上がるけれど、外の空気を吸いに行くのは、とても気持ちいいものでもあった。 「こりゃ、小さな杖を買ったほうがいいかなぁ……」 様子を見て、出かけられるようになったら……などと考えながら、また自宅に戻る。 自宅にいる間に、高額医療費の申請手続きの書類を書いたり、傷病手当の書類を揃えたりすることにも専念した。 所属している派遣会社の保険担当部署へ連絡を取り、理由を話して申請方法などを聞いて、PCを立ち上げてサイトの説明文を読んで……。主治医のA先生の所見が必要なので、いずれにしても書類の一部は再診時に持って行かないとならない。めんどくさいと思いながらも、これをやっておかないと、なんのために毎月の給料から高い保険料を差し引かれているのか、意味が解らん。 仕事再開は、まだ未定。2回目以降にならないとダメかな…と思っていたけれど、あの痛みと倦怠感を考えれば、復帰なんて、とても無理だ。 派遣会社の担当ともメール連絡を取るようになっていた。 ほぼ毎日、実家の母に電話する。 辛いということを言わないようにしているつもりだったけれど、母は、 「しんどいか?辛いか?でも、自分で決めたことだもんね」 と、母なりの「はげましの言葉」を投げてくれた。 そう、私が自分で決めたこと。 抗がん剤治療は私が決めたことだ。 「…ごめんね……」 「謝ることじゃないよ。いいんだよ、こういう時くらい、親に弱みを見せたっていい。親だから、いいんだよ。おまえさんは、意地っ張りだからねえ」 いや、だから、その意地っ張りな性格、誰から……(以下省略。笑) 投与から2週間後、再診の日。もちろん、事前予約を入れてある。 なんとか立ち上がり、着替えて、軽くご飯を食べて、タクシー会社さんへ電話して、マンションから病院まで行く。 総合受付で予約票を引っ張り出し、まずは中央採血室で採血。その後、婦人科外来へ移動して、名前を呼ばれるまで待つ。これがおよそ1時間近くかかるのだ。病院が混んでいれば、これ以上になることも。 「カナデさーん」 と、呼ばれたので、A先生のいる診察室へ入ると…… 「おはようございます……」 よれよれと椅子に腰かけると、A先生、私の様子を見て、 「かなり参っていますねぇ、その様子だと」 と、言ってくれた。 「こんなにしんどいとは思っていなかったです……」 小さな声で返事をする私。椅子からひっくり返りそうになったので、看護師さんが慌てて支えてくれた。 A先生との会話も、ちょっとゆっくりだ。私は2週間の間の自分自身のことを話して、先生は電子カルテにそれらを打ち込んでくれる。 採血室から検査室へ回された血液の検査結果をプリントアウトしてくれて、目の前に出してくれたけれど、専門用語と略語が並んでいて、まったくわからない……が、A先生が重要な部分のいくつかにマルを付けて説明してくれた。 劇的な変化があったのは、CA125と呼ばれる「腫瘍マーカー」。 私には、これが一番重要で、手術前の検査結果と比べてみると、劇的な差がでていた。とはいっても、この先、いくらでも変化していくもののひとつだから、今回だけではわからないんだけれど。そもそも、安心できる数値というには、この時はまだまだ程遠い数値だ。 あとは、白血球の数とか、抗がん剤が効いているかどうかというのが非常に重要なことになっているので…… 「まだ1回目ですからねぇ…」 「しんどいですー……でも、自分が決めたことだから…」 と小さく返事をすると、A先生は頷いてくれた。 「カナデさん、無理してない?辛かったら辛いって、僕たちには言ってもいいんです。それを口に出す、言葉に出すことで、ラクになります」 「……」 A先生の言葉に、ボロボロと涙が出てきた。 「……辛いです、しんどい……」 「うんうん」 「でも、親には言いたくなくて…だけど…先生にお話しするのも……」 「カナデさん、マジメすぎるんですよ」 看護師さんがそっと、背中を撫でてくれて、それがまた嬉しくて、ボロボロに泣いた。 「この様子だと、来週、2回目投与、できそうですよ。また来週とは言わずに、なにか体調に変化があれば連絡ください。そのために、僕たちはいますから」 「はい、ありがとうございます……」 派遣元に提出するための書類の話しをすると、この病院では、書類受付センターというのがあって、そこで一括して受け取り、その後、クラークさんたちが各科目の先生へ書類を届けて2~3週間後くらいすると、センターに戻るので、受け取る…ということになっているとか。 看護師さんからも丁寧に教えてもらい、お礼を言って立ち上がり、中待合室からゆっくりと総合案内まで歩き、清算を済ませてから、書類受付センターへ行って、手続きを取り、クラークさんへ預ける。 病院前のタクシーを拾って、最寄駅まで。 この日は、確かにしんどいけれど、一番つらい時よりはずっと、ラクだった。 どうしても欲しかった食料品と生活用品を購入して、自宅へ戻った。 ここから一週間の間は、体調を見ながらだが動ける。 逆に言えば、動ける間にやっておかないとならない。 もちろん、感染症対策をしっかりとっての行動だけれど、どうしても行っておきたい場所があった。 それが、勤務先している会社だった。 派遣先は、自宅からちょっと距離がある。自宅から、電車を乗り継いで1時間半くらいかかる場所。 天気が良くて、気分もだいぶいい日の朝、思い切って、着替えて、必要なものを持って、出かけることにした。                  (続きます)
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