閑話「何の心配もいらないから。」

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閑話「何の心配もいらないから。」

足が向くまま、電車を乗り継いで、時々、休みながら向かった先は、都内にある大きなお寺さんだ。 都内のど真ん中にあるのに、ちょっと小高い場所にあって、とても歴史のあるお寺さんだ。そのお寺さんは、最寄駅からは少し歩くのだが、それほど体調も悪いわけではないので、ゆっくり歩く。 私は信心深いわけじゃないけれど(基本、無宗教である)、田舎生まれ・田舎育ちということもあるからだろうか、小さいころからお寺さんや神社(お宮さんと呼んでいる)の敷地内で遊んだりすることも多かった。身近な存在なんだよね。実家にある大きなお宮さんは、今でも大好きだ。 この日、向かったお寺さんは、とある方から教えてもらって以来、時々、気が向くと出かけることがあった。 周囲は住宅街だけれど、小高い丘にあるので、冬場は天気がいい日は富士山も見えたりする。でも、そこへたどり着くまでには長い階段を上がるので、今回はさすがに、この階段は省略させてもらうことにした。 山門の前で一礼してから、そのわきにあるお寺さんの社務所を横切り、エレベータを利用させてもらう。 平日昼間の広い境内は、とても心地よい。大きな屋根の本堂と青い空が、とても綺麗だなと改めて思った。 砂利を敷き詰めた広い境内を歩いて、本堂でお参りさせていただく。 「ご無沙汰しておりました…」 今の自分の状況をご本尊様に報告。それから、広い敷地内を歩き、いつも行くと決めている場所へもお参りさせてもらう。 本堂のとなりに売店と休憩所・喫茶室があるのだけれど、このお寺さんの売店でしか食べられないアイスクリームがあってね…それがどうしても食べたかったんだ。 売店でひとつ、購入。防寒対策はしっかりしてあるし、この日は幸い、お日さまが当たって陽気もいい。お店の前にある椅子に腰かけて、アイスクリームのカップをまじまじと見る。 「とうふ味」 そう、おとうふ味のアイスクリーム! 飾り気も何もない、シンプルなカップに、た~っぷり入った、真っ白なアイス。バニラじゃないのだ。おとうふ味っていうのが、お寺さんだよね。 抗がん剤治療の副作用が出ている時には、アイスクリームを食べるっていうのを前回、書いたけれど、それと同時に、濃い味がやたらと食べたくなるという副作用もある。これ、ホントに不思議なんだよなぁ… 木の匙でゆっくりゆっくり、食べる。冬場だから、すぐには溶けない。長く楽しめる。 「おねえちゃん、ひさしぶりだね」 と、売店の奥から出てきたおばちゃんが声をかけてくれた。あ、覚えてくれていたのか。すごいな…… 「なんだか、随分、痩せていないかい?」 「あー、あはは……ちょっと病気、しちゃいまして。今、治療で休職しているんですよ」 おばちゃんと話しをして、お礼を言ってから、境内のとなりにある墓地の間の道を歩く。春には、たくさんの桜が咲いて、それは見事なものだというのだが……私、まだ観たことがないのよね。今年は観られるかなぁ? さて、最寄駅から再び電車に乗って……しばらく思案する。 「……」 カバンの中に入れてきたものを思い出す。少し悩んだけれど、やっぱり、行こう。気になるし、会いたい人たちがいる。 京浜東北線に乗り換えて、とある駅で降りる。1か月半ぶりだ。 駅から歩くんだよなぁ……ふだんだったら歩ける距離だけれど、さすがにどうしようかと悩んだ。でも、タクシーに乗るほどでもない……とは言っても、う~ん……無理できないけれど…… 「大丈夫かな…」 自分の体調と相談。時間は13時ちょっと過ぎ。悩んでいる暇があったら歩こう。そう思って、ゆっくり歩く。 向かった先は……勤務している会社だ。 当時、現在の勤務先で、派遣社員として仕事をさせてもらって1年半。 仕事としては他社を含めて6年ほど続けている。専門的な業務ではあるが、決して苦手な部類の仕事ではない(というかむしろ、向いていると自分でも思っている)のだが、今の病気が発覚して、一番忙しい時期に休職せざるを得なかったことが、どうしても気になっていたというのがある。 ビルそのものが勤務先のもの。 正面入口の脇にある、社員専用ドアの前に立ち、手にしたIDカードをかざして中へ入る。正面入口にはお客様の姿がちらほら。ちょっと特殊な業務だから、お客様は頻繁にやってくる。私自身の業務は直接、顔を見て話すわけではないけれど…… ロッカールームの前でしばらく考えてから、中へ。 幸い、誰もいない。ホッとして、自分のロッカーを開けると、12月のままになっていた。そりゃそうだわ。ロッカーのカギは私が持ったままになっているんだから。よほどのことがない限り、扉が開かれることはないはず。 ぱたんと扉を閉じてから、ルームを出ようとしたら、ドアが開いた。あ、誰か来たかな? 「あれ?カナデさん?!」 声をかけてきたのは、同じ部署の、Kさんだった。 「あ、お疲れさまです……おはようございます」 思わず口をついて出てしまう、いつもの言葉。勤務先は24時間365日の仕事なので、どんな時間でも(たとえ深夜でも!)その日、初めて会った人には「おはようございます」というのが、通常だ。 「どうしたのぉ?!しばらく姿、見えないから、すっごい心配していたんだよ!?」 「あは……ははははは……」 目深に被っていた帽子を少しだけあげて、思わず苦笑いするしかない。 どうしたものかと思ったけれど、Kさんは私の顔を見て、やっぱり、こう言った。 「え、痩せた?!すごい痩せてない?なにがあったのよ」 ああ……本当にごまかしようがないんだな。 「うん。実はね、手術したのよ、12月末に」 「は?!えっ、手術…?!」 「体重、15キロくらい減ってるんだよね、その時から」 「ええええええええ?!」 と、声を上げた後、Kさん、慌てて自分で自分の口をふさぐ(笑) 自分の病気を公表しよう…というか、聞かれても隠すことはしない。それを決めていたから、Kさんには小さい声で、今の病気のことを話すと、Nさん、絶句。 「だって…え、じゃ、仕事は?」 「うん。今は休職中。抗がん剤治療、まだ半年ほど続く予定」 「今日は大丈夫なの?」 「うん、おかげさまで今日はだいぶ気分もいいし、来週、また抗がん剤入るから、動けるうちにって思ってさ。今日は(部署に)誰がいる?」 「主任はHさん。SVだとUさんとかMさん、Hさんとか」 「そっか。いってみっかな……忙しい?」 「いや、今日はそうでもないよ。心配している人もいるからさ、顔だけでも出していきなよ。Nさんもいるよ、今日は」 「ありがとう」 Nさんというのは、部署のトップ。正社員で、部署の責任者でもある。私が12月末に、病気を告げてお休みすることを話した時、見送ってくれたふたりのうちのおひとりだ。 そのまま、ロッカールームを出て、階段を上がる。う~む……足を上げるのがしんどいな。 で……部署の前でまた立ち止まってしまった。 目深に被った帽子に、しっかり巻いたストール、マスクという非常にアヤしいいで立ち。そもそも、仕事に入るときは、こんな格好はしない…完全なる私服で、私のふだんの服はエスニック調。コートもそれに沿ったものになっているから、ものすごい違和感があったに違いない。 みんなに会うのは怖かったけれど……でも、IDカードを押し当てて、そ~っと顔を出してみる。 パーテーションの向こうを覗いてみると、あ、SVのUさん、いる。 「Uさーん、Uさーん……」 小さい声で呼んでみると、Uさん、気づいてくれて……二度見(笑) 「え、あれ?どうしたの!?」 ほかの方の邪魔にならないように、Uさんもそばに来てくれた。 「おつかれさまでーす」 「あ、え?痩せた?!」 主任やSVさんたち正社員には、私の休職は知らされていると思う。Uさんもそれを知っているからだろう。でも、詳しいことまでは知らないはず。 と、そこへ同期のSちゃん、先輩のOさんたちも通りがかり、私を見てびっくりしながらも声をかけてくれた。 「病気って聞いたけれど…」 「はい、がんでした」 「え……?!」 「な…え?がん?!」 「マジっすか……」 やっぱり絶句させてしまった…… と、入口のドアが開いて、入ってきたのがNさん。 「あ、Nさん」 「おわ?!カナデさん?!びっくりした!」 会議から戻ってきたのだろう、ノートPCとファイルを抱えていたNさんは、私の姿を見てびっくりしてくれたけれど、でも、 「ああ、よかった。無事だったんですね」 とも。それが、なんとも嬉しくて。 その後、Nさんは少し時間をとってくれて、空いていた研修室で話しを聴いてくれた。 本来であれば、派遣元を通じて話すべきことだけれど、どうしてもお詫びがしたくて、今日、ここに来たこと、今の体調、今後のこと……私が言葉を選んで話しをしているのを、Nさんは聞いてくださった。 常識のある社会人であれば、所属している派遣元に話しをするべきことで、派遣の営業・Tさんがやってくださることなのだが、でも、どうしても耐えられなかった。心配だったということ…… 「話しは、Tさんからも聞いていましたけれど…がんだったって聞いた時は、ちょっとびっくりしましたよ、僕も。だけどね、今は誰でもなるものだからというのもあるからね。抗がん剤、辛いんだってね…僕も、過去に友人をがんで亡くしているから……その時、友人が呟いていたことを思い出しましたよ」 と、Nさんは言ってくれた。 それから、私は背筋を伸ばして、Nさんをまっすぐに見た。 「こんなこと、言う資格はないのかもしれませんが……この仕事、この会社に戻ってきたいんです。また、ここで仕事をさせてもらいたいんです」 私の言葉に、Nさんは笑ってくれた。 「ええ、とってもよくわかっています。カナデさん、ホント、マジメだなって改めて思いましたよ、今日は。大丈夫、仕事のことは何にも心配しなくていいです。あとで派遣元のTさんにも、改めてお話し、させてもらいます。12月にもお話ししたと思うけれど、僕たちは、カナデさんの復帰を待っています。まずは、今の治療をしっかり、続けてください。仕事のことは、何にも心配はいらないです」 穏やかな笑顔で、Nさんは答えてくれて、握手をしてくれた。 本当に、本当に嬉しかった。 「今日は来てくれてありがとう。無理はしないでください。ああ、みんなに少し、会って行けばいいですよ。僕が許可しますから(笑)」 「ありがとうございます……!」 思わず涙声。 その後、さきほどのUさんや、ほかの主任、同僚の人たちにあいさつして、勤務先を後にする。 かなりの距離を歩いていて、足の裏はかなり痺れていたけれど、でも、カラダの痛みを感じないくらいに、私は足取りが軽く感じた。本当に嬉しかったんだよ。本当に。 この後、派遣元のTさんから連絡が入った。 「伺いましたよー。ホント、マジメなカナデさんらしいですねぇ(笑)でも、その気持ち、大事だと思います。それで、Nさんから連絡が来ましてね、契約続行しますって。戻りたいと言ってくれている人から仕事を奪うことはしてはいけない、戻れる場所を作るのも、会社として大事なことだと、Nさんは言ってくれました。もともと、契約続行の方向性で考えていてくれたそうです。治療のモチベーションも上がることにもなりますから…私も派遣会社勤務の者としてはもちろんですが、個人的にもすごく嬉しいです。お仕事は、心配しないでください。あとは、こちらにお任せくださいね。まずは体調です。ゆっくり、焦らず、ご自分のことを優先してください」 電話の向こうのTさんにも、改めてお礼を述べた。 私、運がいい。 人付き合いは決して、うまいわけではない。 だけど、出会う人のほとんどは、こう言ったことに対して、理解をしてくれる方が多いんだなと、改めて感謝した。 派遣社員という、とても不安定な立場にいることには変わりはない。 世間では、派遣切りなどもあるし、正社員でも決して、安心して仕事をできる世の中ではない。 でも、病気を理由に解雇するというのはケースバイケースというのもある。 世の中、そんなに甘くはない。 これらを他人事と笑い飛ばす人もいた。 だけどね、明日は我が身…なんだぜ? だけど、それ以上に、今の状況を理解してくれる方がいることに、本当に感謝。 理解を示してくれた勤務先、派遣元には、本当に感謝している。 とにかく、治療に専念しよう。 それが、NさんやTさん、勤務先や派遣元に対する誠意かな、と。 そして、2回目の抗がん剤治療の日がやってくる。 この時、私の気持ちは随分と軽くなっていたことは……事実だ。                  (続きます)
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