抗がん剤投与3回目から4回目と、一時帰省の時のこと。

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抗がん剤投与3回目から4回目と、一時帰省の時のこと。

「う~む……」 その日の朝、手足の痺れはもちろん、アタマが重くて仕方ない。 骨髄抑制の回復期に入っているのだが、目がまわるし、気分的にも優れない。どうやら、私は副作用が強く出るタイプらしくて、とにかくしんどすぎる。うまく言葉にはできないのだが、とにかく「調子が悪すぎる」。おまけに、おなかの調子が悪い。下痢が止まらない。水分補給だけはかかさず(OS-1とポカリは常備してある)、なんとか食べようとするのだが、食べられない。 「ダメだ……」 スマホを手にして、いつもの病院へ。交換台から、婦人科外来へつないでもらうと、クラークさんに申し出る。 A先生からは、調子が悪い、いつもと違うと思ったら、すぐに連絡をください、と言われていたので、ここはそうさせてもらうことにしたのだ。この日は、A先生は外来診察ではなくて、入院病棟勤務の日のはず(手術日)。でも、すぐにおいでと言ってくださったので、やっとの思いで着替えて(防寒対策!)、小さなカバンに必要なものを入れて、タクシー会社に連絡、こちらも幸い、すぐにマンション前に到着してくれたので、そのまま病院へ向かった。 総合受付で申し出ると、クラークさんがすぐにパソコンで確認、そのまま婦人科外来へ。この日は、婦人科外来は、基本的にはほとんど、患者さんがこない日(平日の某曜日は、こういう日が設けられている)。 言われるままに血圧を測ると、ありゃ、かなり低いぞ、これ。 「カナデさん、中央採血室で血液採取、してきてください」 と、クラークさんからお話しがあったので、よれよれと立ち上がり、そのまま中央採血室へ。すぐに採血して猛こともできて、再び婦人科外来へ戻る。長椅子で横になってやすませてもらう。この日、他の患者さんがいなくてよかったわ。 しばらく待っていると、スクラブの上に白衣を着たA先生が来てくれた。 「カナデさん、大丈夫ですか」 「あ、先生……」 しかし、立ち上がれない。身体が重い、目がまわる。 看護師さんの手を借りて、診察室へ入って、問診ともう一度、血圧を測り、採血室からのデータが電子カルテに入っていたので、それを見ていた先生が、 「あー、数値もちょっとこの時期にしては低いかなぁ…」 と言った。 個人差があるとはいうけれど、ほんっとにこんなにしんどいとは思わなかった…… 「どうも、カナデさんは副作用が強く出るタイプみたいですねぇ。来週まで様子を見て、来週の血液検査次第で、3回目(の投与)、考えましょうか」 「はい……」 「それから、下痢止めも出しておくね。院内処方にしておきますね」 「ありがとうございます~……手の痺れと痛みとかゆみもしんどい……」 「うんうん。それも副作用なんですよ。食べられるもの、食べたいものを食べて、水分補給はしっかりしてください。ゆっくり、気を付けて帰って」 「先生、ありがとうございます。手術日でお忙しいのに……」 「いやいや、僕にはお気遣い無用。僕はこれが仕事。ああ、仕事だからっていうことじゃないけれど。でも、こちらこそ、そう言ってもらえるとうれしいです。ありがとう」 そういうと、ちょっとだけ童顔の…A先生は笑ってくれた。 ホントに……いい主治医、いい先生に出会えたなぁ…… 会計を済ませ、薬剤部の窓口でお薬をもらい、タクシーで帰宅する。 あー、処方される薬の数が増えていく…… 冷蔵庫の中にあったアイスクリームでなんとかその場をしのぐことにする。食べたいと思っても、食べる気力がまったく、おきないんだよぉぉ……!! そして、抗がん剤投与3回目の日。 いつものように、外来治療センターで採血したあと、婦人科外来へ行く。 「ん~…ちょっと数値が足りないけれど…でも、これくらいなら大丈夫でしょう。3回目、行きましょう。あと、投与する薬の一部(副作用を抑える薬)を変えます。あとで薬剤師が説明に行きます」 とのこと。新しい薬になると、薬剤師さんからの説明が入るのは「ルール」。 外来治療センターでの投与は2度目。今日は順調に進む。 でも、新しい薬の影響か、ものすごい眠い。 薬剤師さんが来てくれて、説明をしてくれるのだが、その間も眠くて仕方ない。そのうちに、クスリの副作用……手足の痺れがきつくなってきて、看護師さんが保冷剤を持ってきてくれると、少し、手指のマッサージをしてくれる。これがまた、とても気持ち良いのだ。 「すみません……」 思わずお詫びの言葉。すると、Yさん(がん治療剤のスペシャリスト看護師)が、 「謝らなくていいんですよぉ。カナデさん、本当にマジメですねぇ。甘えていいんです、私たちには」 と笑う。 ああ、そうか、こういう時はお詫びじゃなくてお礼を言えばいいのか。 「……ありがとうございます」 「うん」 そのうちに、また眠くなってしまった。 3回目の投与後、地獄の副作用ウィークを乗り越えてから、体調がいい日に、うた仲間のTさんに会った。 Tさんは、少し年上の人で、とにかく「話し上手の聞き上手」。優しいお兄さんみたいな人で、仲間内でも「良心」と呼ばれている。頭もキレる人。 私が体調を崩した時から、心配してくれていて、この時も本当に久しぶりに会ったんだけれど、手術前の私を知っている人なので、体格の変わりようには驚いていたけれど……でも、決して咎めることはせず、むしろ、 「よかったじゃん、ラクになって」 と言ってくれた。 久しぶりに「話し相手」が出来たことで、私が必死にいろんなことを話すことを、ひとつひとつ、聞いてくれた。でも、ろれつが回っていない私。これも、副作用のひとつだ。こういうことに関しては、Tさんは理解があるらしく(彼にもそれなりの過去があることを、随分と経ってから知ることになる)、私が話すことを、頷きながら、時には意見してくれながら聞いてくれる。 「やっぱり、そこは遠慮するところじゃないと思うんだよなぁ、僕も。自分の家族だもん、話してもいいんじゃね?」 「う~ん……」 何を迷っているのかというと、あまりにも副作用がつらく、食事の用意すらままならない…ひとりでいることに限界を感じているのだ。 要するに、実家に戻って静養するということ。 抗がん剤投与をした日は、まだ動けるので、投与が終わったその日に、そのまま実家へ行って、2週間後の再診の日まで実家にいて、再診の日の前日に首都圏に戻り、再診、一週間後の投与まで自宅待機、そして、また投与後に実家へ…ということである。 私にはパートナーと呼べる人がおらず、今の状況を話せる相手もいない。 ま、自分が選択した生き方なのだが、今回ばかりは、さすがに誰かの助けが必要だと、痛感しているのだ。 「あんたが、家庭の事情で遠慮しているのは、話からもわかるけれどさ」 そうなのだ。 実家には超高齢の祖母(98歳)がいる。また、父も体調が決していいわけではなく、母と末弟が実家を守ってくれている。ここに、私が行くというのは、娘としても非常に憚られる…と、思っていたのだ。 これ以上、母たちに負担をかけたくないのだ。 「それは違うと思う」 と、Tさん。 「今は、そんなことを言っている場合じゃないだろう?今は、自分の気持ちと体調を整えないとならないんだよ。がんっていうのは、どれだけの病気なのか…身をもって今、経験しているんだから。甘えられる人には甘える。むしろ、親だからこそ、甘えてもいい。話せるときに話す、体調を見て、動けるようなら実家へ行って、寝ながらでも、ばあちゃんの話し相手にもなれるだろ。ばあちゃんは心配はあるだろうけれど、孫が来てくれることには喜んでくれるだろうし、おふくろさんもそばにいてくれるほうが安心できるんじゃないかなと、僕は思うよ」 「……」 なるほど……と、Tさんの言葉は、すとん、と腑に落ちた。 その日の夜、私は母に電話した。 「今度の抗がん剤投与が終わったら、そっちに帰ってもいい?やっぱり、ひとりでいるのには限界があるわ……」 すると、 「先生がいいって言ってくれるのなら、帰ってきなさい。おかあさんも、そのほうが嬉しいな」 と、母は言ってくれた。 投与から2週間後の再診の日、A先生に相談すると、先生も、そうしたほうがいいでしょう、と。投与した日は動けるから、その日のうちに移動して、再診の日に来てくれれば大丈夫、とのお許しをいただいた。 そして、4回目の投与の日の2日前には、自宅へ必要なものをまとめて宅配便にお願いした。 本当は重いものを持って歩くのは良くないのだが、ノートPCだけは専用のバッグに入れて背中に背負って帰宅することにした。自宅にはPCが弟の部屋にしかないので(離れになっている)、自分が自由に使えるものが欲しいからね。 4回目の投与の日は、ノートPCとスマホ、文庫本2冊とお財布等を入れたバッグを背負い、杖をついて病院へ。 いつものスケジュールをこなすと、時刻は17時ちょっと過ぎ。 荷物を持って、電車を乗り継いで、東京駅へ。指定席が空いていたので、それを購入し、車輛へ行く。ホームに上がる前に、いれたてのホットコーヒーも買った。 地元へ向かう新幹線に乗ったのだが、力が入らないから、荷物を上にあげることが出来ない。座席で少し悩んでいると、サラリーマンらしき青年が、 「お荷物、あげましょうか?」 と、声をかけてくれる。 「あ、お願いできますか?」 と、思わず返事をすると、PCの入ったカバンをあげてくれた。 「降りるときに、また声をかけてください」 「ありがとうございます」 旅慣れた感じがする青年。ネクタイは外していたけれど、きちんとしたスーツに、磨かれた靴が印象的で、カバンはひとつだけ。年齢的には、私よりは確実に若いだろうな。実にスマートな声掛けに、思わず感心してしまった。 安心して、目的の駅まで乗ることが出来たし、気持ちもラクだった。 手足の痺れ、筋肉痛や関節痛はまだ軽い。あったかいコーヒーを飲みながら、人の優しさってありがたいなと思った。 目的の駅が近くなって、車内アナウンスが流れる。 私が立ち上がり、コートを着ると、先ほどの青年がスッと、カバンを下ろしてくれた。 「本当にありがとうございました。助かりました」 「いえ。お気をつけて」 ペコッとアタマを下げて、私は新幹線を降りた。 彼は、たぶん、終点まで乗っていくんだろう。 ホントにホントに……嬉しかった。地元の駅は、とっぷりと日も暮れて、寒かったけれど、でも、気持ちがあたたかかった。 こういうことが出来る人って、男性でも女性でも、若くても壮年でも、ホントに素敵な人なんだろうと思う。 ふだんからも、気遣い、心配りが出来る人なんだろう。 自分もそういう人になりたいなぁ…と、ココロから思った出来事。 改札口へ行くと、末弟が迎えに来てくれていた。 「おう、おかえり」 「ありがとね……ごめんね」 「謝ることなんてねーよ。メシは?」 「食べてないな、そういえば」 すっかり忘れてたよ(笑)今は、まだ、食べられる時。食べられる時に食べたほうがいい。 ぶっきらぼうな末弟は、なんやかんやいいながらも、私の荷物を背中からはずしてくれて、持ってくれた。 「食えるものは?確か、ナマモノはダメなんだよな」 「そうなんだよね……ラーメン食べたいなー」 「またかよ(笑)」 笑いながら、クルマに乗って、私は後部座席で横になった。 ゆっくりゆっくり、クルマが動き出す。 JRの駅から実家までは、クルマで30分もかからない(渋滞していなければ、の話し)。途中で、地元のチェーン店に寄ってくれて、末弟がごちそうしてくれた。 「いいの?」 「いいさぁ。遠慮するなって」 もう、これだけでダメ(笑)涙ボロボロ。 「本当はさ、あんまり今の姿、見られたくなくてさ…」 私が言うことを、末弟はひと通り聞いてくれた。すると、 「大丈夫だってばよ。心配するな。親父もおふくろも、ばあちゃんも待ってるから、帰ろうぜ。親父もだいぶ落ち着いているからさ、今は」 ラーメンを食べて、実家へ戻る。 クルマから降りて、空を見上げると、星がいっぱい。さすが、田舎だ。でも、それがすごい嬉しくて仕方なかったんだよなぁ、この時は。 白い息を吐きながら、玄関を開ける。母が迎えに出てきてくれた。 お仏壇に手を合わせ、奥の部屋ですでに横になっている父に、小さく、声をかけると返事が来た。 実家の茶の間は掘りごたつ。豆炭の入った、昔ながらの「おこた」。 「お母さん、ごめん。お願いします」 「はいよ。わかった。無理はさせないからね、ゆっくりしなよ」 母と少し雑談してから、お風呂に入って、祖母が寝ているところを起こさないように、そ~っと隣のベッドに入り、そのまま就寝。 時刻は22時近かったか。母が、ストーブの火を調整してくれた。 カラダの痛みが少しずつ増してくる。ああ、副作用が出てくる時間も早くなってきているなぁ、4回目だもんなぁ…… しかし、寒い……さすが、田舎。 慌ててアタマに寒さ対策用キャップをかぶりました(笑) だけどね、実家の匂いが嬉しくてさ。 これ、わかってもらえる人、いるかなぁ? 実家を離れて暮らすようになって10数年。 実家を離れてわかる、実家の良さ、田舎のいいところ…… で……この日、私は安心して、寝ることが出来たのだ。 副作用はきつかったけれど。                   (続きます)
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