閑話。時間だけはある&患者としての本音。

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閑話。時間だけはある&患者としての本音。

自分が実際に「がん」という病気に罹患して、今は「がんサバイバー」として生活しているんだけれど、ここ数年、役者さんやタレントさん、スポーツ選手などが、がんや病気のことを公表するようになったな~と思う。 この先は注意して読んでもらいたい。 「がんに負けないでください!」 「頑張ってください!」 という言葉。 これね、私個人としては、 「できれば控えたほうがいい」 もしくは、 「言える人と言えない人がいる」 と思っている。 こういうことを書くと、 「だったら、なんて声をかければいいの?」 「そんなもん、知ったことか」 「良いとか悪いとか、勝手に決めつけるな」 っていう人が必ず出てくるんだけれど……。 タレントさんやスポーツ選手は、メンタル面が違うから、この辺りはまた、一般庶民の私たちとは考え方も違うだろうけれど、この言葉は、場合によっては「」にもなってしまうのだ。 うまく言葉に出来ないのがもどかしいのだけれど、ご存知の方もいるかもしれないが、病院に入院・通院していると、医師や看護師のみなさん、クラークさんやケースワーカーさんたちは、この、 「頑張れ」「頑張ってほしい」 という言葉は、極力、控えていることがわかる。 事実、私も主治医のA先生からは、この3年半の間に、一度しか聞いてない(手術直後だ)。 「病気に負けるな」 という言葉も、私自身は、ほんっとに苦手。 何度も書いているけれど、特にがんという病気など、長期にわたって診て行かないとならない病気は、「戦う」というよりは「長くおつきあいしていくもの」だとも思っている。 戦っちゃダメなのよ。 頑張ってくれているのは、自分のカラダ。 そして、患者自身。 戦うというよりは、長く付き合っていく。 これくらいの気構えでいないと、やっていられないというのも、事実だから。 だから、私は、箇所は違えど、同じ「がん」で治療している知人には、 「のんびり、いきましょう」 と声をかけている。 これで不思議そうな顔をしていた周囲の人がいて、 「あんたは冷たいよね、死ぬくらいの病気なのにさ」 と言われたこともあるけれど、この時は、特に反論しなかったが、後日、これを言い放った人から、お詫びの言葉がやってきた。この人は、私も同じ病気をしているとは知らなかったから、仕方ない。私も、特に怒ることもせず、むしろ、 「気遣い出来なくてすみません」 と、返事をしてしまった……今、考えると嫌味にしかならなかったかもしれない(汗)ごめん……そういうつもりは、まったくないです…… いいんです、いろんな言葉で励まそうとしてくれているんだから。 それは、それでとてもいいこと。 だけど、言葉には気を付けないといけない……ということ、特に病気などでメンタル面がやられている人、弱っている人に対しては、励ましの言葉は、却って逆効果になりかねないということを、アタマのどこかに覚えていて欲しいと思う。 むしろ、見舞い時には、バカ話しをしに来て欲しい、ふだんと変わらない話し…たとえば、ドラマの話しとか、マンガや趣味の話し、入院している人には、外の光景の話しとか……ホント、日常会話をしに行って欲しいかな、とも思う。 それが、患者にとって、一番の「クスリ」。 療養や入院生活という、非日常の中で、日常を求めるのは、ごくふつうの感覚だ。会話に飢えている状態でもある。だからこそ、ふつうの会話を求めている人も、中にはいるはず。 難しい問題だけれど、ちょっとした「考え方を変える」ということが、とても大事なことだと、患者本人としてはつくづく、思っている。 さてさて、ちょっと話しを変えよう。 仕事を長期休養させてもらっているので、病院へ行く以外は、とにかく時間がある。で、地獄の副作用を乗り越えると、少し動けるようになる。 でも、あまり人混みの中に出るわけにはいかないので、平日の昼間、温かい気温の日を選んで外へ行く。気分転換やら買い物やら……以前にも書いたと思うのだけれど、抗がん剤治療中は、精神的なストレスを抱えることはできるだけ避けて欲しいということがある。まぁ、もともと、ストレス発散の下手なニンゲンな部類になるのだが、それでも、自分なりに考えて…… まず、精神的なストレスになりそうだったのがtwitter。これは、抗がん剤投与開始時から、見る回数を意識的に減らして行った。 私が病気療養をしていることを知っている人はごくわずかで、どうしても知らせないといけない人にはメールやDMで知らせておいて、何かあれば、LINE、PC&スマホメールやチャットで知らせてもらうようにした(LINEは顔を知った人やうた仲間だけに知らせてある。それでも、かなり人数は限定されている状態、今も、である)。 Twitterは面白いけれど、余計な情報まで入ってくるし、個人的にも色々、思うところがあって、療養中は意識的に減らすようにした(これは今も続いている)。 ほかのSNSもアカウントをオフ、もしくは退会したが、とあるSNSについては、ブログ部分だけは書いていた。長年書いている個人ブログも持っているので、それも基本的に体調を鑑みながら更新していた。 何かしていないと、どうにかなってしまいそうだったから。 私は同居人がいないので、自宅にこもってしまうとPCやスマホが外部との連絡手段となる。 感染症などに気を付けないといけないので、外へ出るのは極力最小限にしないといけないし、そもそもがそれほど、広範囲を動くことができるわけがない。 勧められたので、Amazonプライムに登録して、それを観ていることが多かったなぁ。 Amazonには、他にも通販関連ではちょこちょこと使わせてもらった。ワッチキャップは自分でサロンで購入したモノ以外でも、Amazonで購入したものも多い。通販って、あまり使ったことがないけれど、この病気をきっかけに、便利だなって改めて思ったことのひとつだ。 あとは、とにかく本を読んだ。もともと、読書好きではあるのだが、日々の生活に追われていて、忙しがっていて本を読む時間が極端に少なくなっていたのは否めない。 散歩がてらに書店へ行って、ふらふらと店内を歩いて、雑誌、コミックス、文芸書、小説、絵本……いろんなコーナーを見て歩く。これだけでも、かなり気分転換になるのよ、実際。 私には、ライトノベルの定義っていうのが今ひとつ理解できていないのだが、でも、毛嫌いしていても仕方ないかな~……と。ライトノベルねぇ……私が若い時からあった、コバルト文庫や朝日ソノラマ文庫が、それに相当するのだろうか?なんて思いもある(そういう世代なんですよ…)。 で、また読むジャンルってのが、かなり偏っていて(笑)、でも、基本的にはハッピーエンドを好む。やらたと伏線張りまくるのはあまり好きではなく(というか、気軽に読みたいという気持ちが大きいんだよね)、この間に読んだジャンルでは、いわゆる「グルメ小説」がダントツに多かった気がする。 長期休養中に読んだ冊数は、文庫とコミックスだけでも80冊は越えていたかもしれない……と、思う。雑誌は出来るだけ購入を控えた。 あとは、元から持っていたコミックスや文芸書・小説を読み返すことも多かった。 それらが、今、別枠で連載している『空から響く声』にも、影響を及ぼしているのは……事実だ。 出かけられる時は、外へ行く。 前回にちょっと登場していただいたTさん、最初の入院時にお見舞いに来てくれた、Mねえちゃん夫妻、次回以降に登場してもらおうと思っている、Cちゃんとか……そういった人たちだけとは顔を合わせていた。もともと、人付き合いはド下手なんだけれど、一番は、療養中の自分を見せたくないなーっていう気持ちが大きかったんだろうと思う。 だから、この病気がきっかけで「外へ行く」ということは、ますます、減ってしまったことも否めない。まぁ、それでいいんだとも思っている部分もあるけれどね……今更、この性格が直せるとも思っていないし。 さみりがりやの、ひとり好き。 めんどくさいな、自分…… 次回以降に書く予定だけれど、療養中に一番遠くへ行ったのは、実家以外だと、鎌倉市かな。同じ県内に暮らしていて、決して遠いわけでもないのだが、なかなか行く機会がなかった鎌倉。 体調と精神的な部分を鑑みて、さらに天気も考えて…ひとりで、ふらっと出かけた、あの日のことは、今も忘れてはいない。 これは、次回以降に書きたいので、今回はここで止めておく。 長期療養している間にも、ほぼ、定期的に連絡をしていた派遣元の担当・Tさん。メールと電話がメインでTさんも、仕事の合間を縫って、メールで色々と報告やら連絡事項を送信してくださった。 その中で、同じ派遣元から勤務先へ行っている人たちから、 「カナデさんはどうしたのか?」 という声が頻繁にあったというのを、後日、聞いた。 プライバシー保護もあって、決してTさんは私のことを、彼ら・彼女たちには詳細を話すことはなかったそうで……(まぁ、当然のことかもしれないのだが)、 「復帰する予定はあるけれど、もう少し先になるよ」 という話しだけはしてくださっていたそうだ。 私は、勤務先の人たちには、自分の連絡先は一切、教えていなかったからねぇ……復帰してから、ようやく、ひとりふたりと交換するようになったくらいかなぁ。 Tさんには、ホントに色々、良くしてくださった。勤務先とのやりとりも、 「それが(派遣元の営業)である私の仕事ですからね~」 と笑って話しをしてくれた。 派遣会社の営業さんって、ホント、仕事が多岐に渡るみたいだし、タフじゃないとやっていけない…というのも、この時、改めて感じたことだった。 地獄の副作用……本当にこれがしんどい。 寝ているだけでもかなりの負担。階段の上り下りをするのもしんどい。 立ち上がるのもしんどいし、関節痛やら筋肉痛やらで悲鳴を上げることもしばしば。 購入した小さな杖がホントに頼りで、投与回数を重ねる毎に薬の蓄積も多くなっていくし、副作用も強くなってくる。最終的には、足の裏の感覚さえ、なくなってしまうし、箸を持つものしんどくなってくる。 筋肉痛、関節痛、麻痺、イライラ、若干の頭痛、めまい、吐き気、食欲不振などなど……ありとあらゆるものが出てくる。それらは、回数を重ねる毎に強くなり、出てくる時間も早くなり、それが「ふつう」になってしまうのだ。 挙句の果てには、処方されている薬を、小分けしている小さな容器から出すことすら、ままならなくなってくる。これはどうしたかというと、実家にいるときには、母にお願いしたり、楊枝をつかって、アルミニウムの部分を裂いて、中から取り出したりということをしていた。指先の感覚がなくなっちゃっているんだよね。キーボードを叩いていても、感触がない。気持ち悪いなぁって思ったなぁ。 前回の話しで登場してくれた、うた仲間のTさんが、 「副作用のデパート」 と、笑ってくれたくらいだけれど、まさにその通りだ。 重いものを持てない、大きな動きが出来ない……これは、意外と大変なことで、ひとりで暮らしていると、どうしても家事全般は自分でやらないとならないわけで……炊事・洗濯はホントに大変だと改めて思った。 それらの負担を減らすために、実家へ戻ることも決めたわけだけれど、それでも、投与2週間後には、再診のために首都圏のマンションに戻らないとならない。そこから一週間はマンションで過ごすのだが、その間は少し動けるので……ご飯を炊いて、小分けにして冷凍庫へ。チルド食品も今はコンビニでもスーパーでも気軽に購入できるものが増えていたから、これらも本当に助かった。 骨髄抑制が働いていると、動くこともできず、食べることすらもしんどい。でも、それらを緩和するためにどうするかというと、お風呂に入ることが、実は少し緩和させることになる、というのは、前回も書いたと思う。 実家にいる間は、母にお願いして、24時間、好きな時に入れるようにしてもらっていた。実家のお風呂はスイッチさえ入れれば、お湯が沸くタイプ。ただ、全身がマヒしているので、温度調整が怖いので、これらについては、母もかなり慎重になってくれていたようだ。 少しぬるめのお湯にしてもらって、手足を伸ばして入るというのが、リラックスタイムになるらしく、確かに、お風呂に入っているとホントに気分も楽になる。ヒトの交感神経ってのは面白いなーとも思ったねぇ。 副作用については、治療を終えて数年経っても、残るモノは残る。 この後も、ちょいちょいと書いていきたいと思う。                   (続きます)
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