抗がん剤投与5回目と、心理カウンセリング。

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抗がん剤投与5回目と、心理カウンセリング。

4回目の投与から2週間が経ち、一旦、マンションに戻り、4回目の投与後の再診日、ぐったりしたままいつもの病院へ行く。 毎度おなじみ、中央採血室で採血してもらってから、婦人科外来の中待合室に戻るが、どうもぐったり感が抜けきらない。抗がん剤投与の回数を重ねる毎に、関節痛や筋肉痛などの副作用が強く出てくるから、体調がいいということは……まず、ない。 ようやく、名前を呼ばれる=血液検査が終わって、先生のPCにデータが届いたということなんだけれど… 「今回はちょっと…あんまり数値が上がっていないんだよねぇ…」 と、A先生。診察室の椅子にぐったりと腰かけたまま……なんか、前回もこんなことになっていなかったか? 「しんどいです…」 この言葉を言うのが精一杯だ。 「う~ん……」 先生もデータを読みながら、めずらしく唸っている。 ただ、こういうことは抗がん剤投与の時には、良く起こることだそうで、それほど心配することはないらしい。とにかく、だるいんだよ。 「これ、来週まで様子を見て、5回目の投与、決めましょうか」 順調にいけば、来週末には5回目の投与が入る予定だ。一応、外来治療センターへの予約も入れてもらう。 「ああ、カナデさん。うちの病院でやっているものなんだけれど……」 と、先生がさしだしてくれたのは、がん患者の集い、みたいなものだ。同じ病院で、がん治療をしている患者やご家族が参加できるものだそうで、1時間弱の雑談みたいな…いわゆる、お茶会みたいなものを設けてくれているという。 こういうことは、病院でも主催されているけれど、ふつうに、民間でも行われているというのは、後日、知ることになる。 これをきっかけにお会いするうになった人に、同じ病院の神経内科に勤務する医療カウンセラー(心療カウンセラー)の、Kさんという女性がいる。 後日、私はこのイベントに参加したのだが、私はそれが終わってからも、椅子から立ち上がらず、ぼんやりとしていたところを、Kさんが声をかけてくださったのだ。 それまで、何も言わずに座って、周囲の人たちの話しを聞いていただけの私を、Kさんはずっと気にしてくださっていたらしい。 うまく話ができなくて、黙っていた…でも、何か話したくて仕方なかったのは事実なのだけれど…… 「…疲れちゃった……」 私が、ぼそっと呟いたのを、Kさんは聞き逃さなかったようだ。スッと私の前に腰を下ろして、私の膝の上に手を置いてくれて、さらに目線を合わせてくれた。 「しんどいですよね。体力的にも、精神的にもつらいって、言いますよ。私もこのイベントには顔を出すようにしているんだけれど…」 「……」 「遠慮なんていらないんですよ。私たちには」 Kさんの言葉に、ハッとさせられる。 外来治療センターのYさんたちも言ってくれる言葉だ。 「…っ!」 ボロボロ……涙が出てきた。ずっと、我慢していたけれど、やっぱり耐えられなくなった。 「もう、疲れちゃった……なんで、こんな思いをしてまで治療しなきゃならないんだろうって……」 「うん」 「でも、自分が決めたことだから…だけど、こんなに辛いとは思わなかった。A先生にもお話し、したけれど……」 そのまま、私は声を出して泣き出してしまった。 Kさんは、私が泣き止むまで、ずっと、膝の上に手を置いて、辛抱強く話しを聞いてくれた。それがホントに嬉しかったんだよ。 自分が選択した生き方、パートナーがいないこと。 でも、病気をした今は、それがちょっとしたネックになっていること。 だけど、今更、生き方を変えようとは思わない。でも、意地を張っているのにも限界がある。 しんどい、辛い、なんにもしたくない。 勤務先の人にも申し訳ない、派遣元の担当にも申し訳ない。 でも、家の事情もあるから、家族には本音は言えない、数少ない友人にも、言えるわけがない。 でも、限界だ、もう、限界。吐き出したい。愚痴りたい。 Kさんは、私が泣きじゃくりながら、とぎれとぎれに話すことを聞いてくださった。ようやく、落ち着いたころ、Kさんは言ってくれた。 「ね、口に出しちゃいましょう。ラクになったでしょう?」 「はい……」 ボロボロになったまま、私はKさんの顔を見た。 「すみません、みっともないところ…」 「いいんですよ。カナデさんだけじゃないんです。私は、この病院でいろんな病気の、いろんな患者さんにお会いしてお話しを聞いたり、相談を受ける仕事をしているのですけれど、たぶん、カナデさんははっきり、口に出して話したほうがいいと思うんですよ」 Kさんは、そう言って、連絡方法をメモしてくれた。 この後から、私は時々、Kさんに連絡をして、お時間をいただいて話しをするようになった。 実を言うと、だいぶ前にモラハラ・パワハラを受けたことがあって、仕事を失くした経験がある。それが影響して眠れなくなって、完全にココロがぶっ壊れてしまい、とある心療内科にも通院していたこともある。がんが発覚してからは、それまで通院していた病院ではなく、この総合病院のKさんのところに通うようになった。 それは、3年半経った、今でも続いている。 さてさて……一週間後、5回目の抗がん剤治療の日。 だいぶ気持ち的には、ラク。体調も、良くはないけれど、ぐったり感はだいぶ軽減されている。 外来治療センターで採血してもらって、看護師のYさんとの問診という名の雑談のあと、婦人科外来へ行き、A先生の診察。 「ん、これなら大丈夫でしょう」 というわけで、そのまま外来治療センターへ戻って、5回目の投与。 すでに、痺れや痛みは全身を駆け巡っているから、投与しているうちに、また痛みやだるさが増してくる。わかっていることだけれど、しんどいんだよ…… 抗がん剤の中に入っている薬の影響で、うとうと…看護師さんたちが時々、様子を見に来てくれているのはわかるのだけれど……うとうと……その合間に、本を読んだりテレビを観たり。 いつものパターン。 18時近くになってようやく、投与終了。動けるうちに、電車と新幹線を乗り継いで実家へ戻る。この夜も、駅には末弟が迎えに来てくれた。 後部座席に横になると、弟は慎重にクルマを発進させてくれる。 「生きてるかー?姉貴」 「大丈夫~…」 「大丈夫じゃねーだろ、今日はこのまま戻るぞ」 「うん、お願いね」 まっすぐ、実家へ戻る。よれよれした私を見かねて、弟が手を貸してくれた。 「あれ?」 茶の間に行ったら、母と、めずらしく父がいる。この時間帯(21時くらい)には、寝ているはずなのに、掘りごたつ(我が家は父のこだわりで、掘りごたつ。豆炭の掘りごたつだ)の、定位置に座っていた。 「ただいま…」 「おう。おかえり」 私の顔を見て、父、ぼそっと返事をしてくれる。愛想も何もないが、まぁ、父だからね~。着替えている間に、母がうどんを出してくれた。見た目、汁が真っ黒。こいくち醤油。地元の醤油屋さんが作っているもので、我が家ではず~っと、このお店の醤油しか使っていない。 あ~、これこれ。この味よ。実家の味。きのこたっぷりのうどん。 野沢菜とたくあんも自家製。母の味。 実家を離れて10年以上。でも、離れたからこそ、実家の味、母の味がすごいありがたい。そう、特に今は。 「父ちゃん、体調は?」 「まぁまぁだな」 そう言いながら、父はリンゴを剥いてくれる。ああ、これも実家の光景なんだよ。じんわり……してきた。 母は、何も言わず、私と父の会話を聞いている。 大したことを話しているわけではない。でも、それがいい。 うどんを食べて、りんごを食べて、お茶を飲んで、クスリを飲んで。 父はそのまま、自分の部屋へ行ってしまった。 「ホントに大丈夫なの?」 と、私は小さい声で母に聞いてみた。 「おまえが心配で待っていたんだよ」 と、母が笑った。ちょっとだけ、私は肩を竦めてしまった。 言葉は決して多くはない父。余計なことは言わないから、わかりづらいというか、なんというか……無理しないでいいのにな。 翌日は、父と弟は仕事へ。祖母は、デイサービスへ。 さて、どうしようかな…と思っていたら、母が、 「カナデ、まだ動けるか?」 と言った。たぶん、今日の夕方くらいから動けなくなるというのは、読めていたので、 「今だったら大丈夫」 というと、クルマに乗りなさいとのこと。 母が連れて行ってくれたのは、クルマで30分くらいのところにある、某所。 天気もいい日で、そこは、ようやく咲いたさくらと、菜の花と、そして雪を頂いたままの山々が連なる場所だ。 遅い春の到来。首都圏から比べると、1か月くらい、遅い春なのだ。 ちょうど、地元の人たちが露店を出してくれていて、おやつとして購入したのは、やっぱり地元の味。 「綺麗だなー」 スマホで風景を撮ろうとするけれど、指先の感覚がなくなっているので、うまく撮影できない。それでも、何枚かは撮影したよ。 「あれ?」 土手の上を、なんだか見覚えのある車両が通り過ぎていく。ああ、勤務先の関係車両だ。私の仕事は、全国に渡るものなので、こうしている時もちらほらと、街で見かけることも多いのだ。 「まだまだ……だなぁ」 小さく呟く。 母に言われて、また車に乗って、今度は親戚の家に立ち寄る。父の妹さんのおうち…つまり、叔母のところ。 叔母の家には、にゃんことわんこがいて、わんこは、私のことを警戒しつつ、かまってくれオーラを全開にしているので(笑)、一緒に遊んだりなんだり。 久しぶりに、わんこと遊んだわ。 その日の夜、やっぱり地獄の副作用がやってきた。 これでしばらくは、また身動きできない状態。 朝ごはんも茶の間に移動することすらできず、ベッドからは降りられないので、母が部屋まで運んできてくれる。 食事の時ごとに、祖母が私に声をかけるが、 「ばあちゃん、茶の間に行って。カナデは動けないからさ」 と、ベッドに横になったままで返事をする。それでも心配なのか、まだその場にいようとすると、母が迎えに来てくれる。 「かあちゃん、カナデのことはそっとしておいて。大丈夫だから」 「ほうか(そうか)」 これも恒例になっていたなー。 副作用の影響で、全身が痛くて痛くて、足もかったるくて……夜、寝る前に、母が足をマッサージしてくれるのが、恒例になっていた。泣いて唸るくらいに辛くて苦しい。 「ごめんね……」 と、私が泣きながら私は言った。 「ホントはさ、こういう(苦しんでいる)ところを、見せたくなくてさ……だから、うちに戻るのも、すごい悩んだんだけどさ……」 すると、母、 「なーに。遠慮なんかいらん。お母さんのほうこそ、申し訳なくてさ。かあちゃん(祖母)もいるし、家のこともあるし……お父さんも調子が悪いから、なかなかお前さんのところに行けなかったのが、申し訳なくてね」 という返事をしてくれる。 娘が苦しんでいる姿を見て、母はどう思っているだろう……と、いつもいつも、気になっていた。 「おまえさんは、えらいよ。病気になってから、ひとりで全部、やってきたんだから。だから、今はうちで甘えてもいい。無理はするな」 ボロボロに泣きながら、私は謝るしかなかった。 ホント……申し訳なくて…… これまた別の日、ある日の夜。ちょっと面白いことがあった。 地獄の副作用のピークがようやくすぎて、少し楽になった夜のこと。 この頃には、ほぼスキンヘッドになっておりまして……それでも、寝るときはワッチキャップは邪魔だと思って、はずして、寝ていたんだけれど、誰かが私のアタマを、ぺちぺち、叩いてる。 「ん~?なんだなんだ?」 と、目をあけてみたら、祖母がいる。 「なによ、ばあちゃん。どうかしたの?」 「ああ、カナデ、いたんだね」 「いるわよ(笑)まだ帰ってないよ。どしたの?どっか痛いのか?」 「おまえが帰ったかと思ってさ」 「ばあちゃんに断りもなく帰らないってばー(笑)ほらほら、お布団に入って。寒いからちゃんと、おふとん、かけてよ」 遅い春だから、夜は寒い。 「そか。まだ帰らないか、よかった」 「うん。大丈夫だから」 祖母がベッドに横になったのを確認して、肩までしっかり、おふとんをかけて、電気あんかの様子を見てやる。 「となりにいるから、心配するなって」 「そうか」 しばらくすると、祖母、安心したのか、寝息をたて始めた。 さすがに、超高齢だから、少しだけ、ボケもあるけれど、でも、基本的には自分の意思をはっきり、持っているので……この当時は、介護ランクも一番下のほうじゃなかったかな…… スキンヘッドになったアタマを見るたびに、 「髪、生えてくるんか?」 と聞く祖母に、 「だーいじょうぶだ。心配するな」 という会話を帰宅するたびに繰り返していたのを、フッと、今になって思い返す。 翌朝、このことを話すと、父も母も、弟まで大笑いした。 そして、祖母なりに、私の心配をしてくれているんだろうと言ってくれた。 スキンヘッドになったアタマを撫でながら、私も笑った。 ちなみに、当の本人……祖母は、自分がそんなことをしたのかどうかは、すでに忘れている状態である(^_^;) 祖母には、あまり詳しい病気のことは言ってなかったけれど、がんだということは母が話しをしたようで、それがずっと、祖母の中に残っていたようだ。 いつもと違う日常だけれど、だからこそ、気づくこともあったし、気づかせてもらえたことも多い。 うちの家族って、ホント……どこか、暢気だなぁなどと思ったのも確かだ。 でも、それが却ってありがたかったりもする。                   (続きます)
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