抗がん剤投与6回目と療養と…【画像追加】

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抗がん剤投与6回目と療養と…【画像追加】

【ちょっと宣伝】 現代ファンタジージャンルで連載しております、『空から響く声』第一話として、完結しております(今後もシリーズ化していきます)。 よろしければ、ぜひ、そちらもお時間があるときに読んでもらえると嬉しいです。もともとは、そっちを連載させたくて、こちらのサイトに登録したというのが真相だったりする…(苦笑) でも、『明るいがんサバイバーのひとりごと』が、思いのほか、たくさんの方に読んでいただいていることにびっくりしております。ホントにありがたいです。 では、『明るいがんサバイバーのひとりごと』、続きです。 5回目の投与が終わり、自宅療養を経てから再びかながわへ戻る。 この時は、地元の私鉄の駅から新幹線の駅へ向かうことにした。 私鉄の駅周辺も、本当にさみしくなった。かつては、私も駅前にある書店に勤務していたのだが、その書店は残っていても、本当に小さくなったなぁと思う。 そして、駅。実はこの駅と駅職員さん、2019年秋~2020年冬の、某ファストファッションのテレビコマーシャルでちょっとだけ登場している。ホントに、田舎の小さな駅なんだけれど、操車場も兼ねているので、寂れている割には、どっかで見たことのある車両があったりするんだよね。この鉄道会社で走っている車輛は、都内で引退した車輛が走っている。通勤用も特急も、都内では見なくなった車輛だ。 トコトコとのんびり、田舎の風景の中を走る、各停のワンマン運転の電車。 それでも、私が暮らしていた頃よりは、随分と路線周辺の風景も変わってきている。お店の入れ替わり、農地だったところが住宅地になり、その逆も少しだけあったりもする。 『終着駅……です』 という、車内アナウンス。そう、この鉄道会社のアナウンスでは「終点」ではなく「終着駅」っていうんだよね。これ、改めて気づいたよ。 JRの駅。ここも本当に変わった。これまた、この駅は私の「もと職場」。長年、キヨスク(NEWDAYS)で仕事をしていた。私がいたころよりも「おまけ」が増えているし、駅ビルともアクセスがよくなっている。だいぶ変わったな。 みどりの窓口へ行く。往復の新幹線は、基本、指定席。今の新幹線の駅が終点でなくなった時点で、自由席はなかなか座れないし、今の体調は無理だというのもある。平日ということもあって、きっぷの販売機前もそれほど人はおらず、みどりの窓口も混雑していない。駅構内も、静か。 東京駅までのきっぷを購入。まだ時間はある。 「あれ?」 すっかり綺麗になった、キヨスク……NEWDAYS。ちらっと店内をのぞいたら、あらぁ?見覚えのある人がいる。 「あれ?カナデかい?」 「わー、マネージャー!」 そう、私が仕事をしていた当時…その前からずっと、勤務しているベテランのSさん! 「ひさしぶりじゃねーか。どうしたぃ?(どうしたんだ?の意味)」 こっちの方言で、Mさんが声をかけてくれた。本当に久しぶりだ。 今の自分のことを少し話してやっぱり、驚かれていると、奥からやっぱり見覚えのある人が来た。 「おおおおお!ひさしぶりじゃーん!」 「Mちゃん!」 今は、Mちゃんがマネージャーとなり、Sさんは一度、退職されたそうなのだが、今は再雇用ということで仕事を続けているとか。Mちゃんは正社員になったということか。まぁ、あれから10年以上経っているからなぁ。 自分の今の状況を説明すると、ふたりともびっくりしながらも、身体を大事にしてねと言って見送ってくれた。 新幹線に乗って、首都圏へ戻る。 翌日には、5回目の再診。 無事に今回も、骨髄抑制の時期を乗り越えたらしい。でも、全身の痺れと痛みと倦怠感はとれない。ここまでくると、抗がん剤が全身に蓄積され、ずっと身体が悲鳴をあげている状態だ。 あと1回、あと1回の予定。 この日は、自分への励ましのつもりで、夕食は、地元でも評判のステーキ屋さんへ足を運んだ。ずっと、食べたかったお店なんだよね。オーダーしたのは、一番軽いランクのお肉。 都内の著名な鉄板焼きのお店で修業され、その後、ご両親からお店を継いだという店主さん。手先は痺れて動かないし、噛む力も少し弱くなっていたので、理由をお話しすると、快諾してくれて食べやすくカットしてくれた。 初めてのお店だったんだけれど、ひとりだったからカウンターの前に座って食べていたら、 「これ、おまけ」 と、店主さんが差し出してくれたのは、半熟たまご!少し味付けが濃いステーキ肉に、これを和えて食べると栄養的にもいいだろうし、火も通っているから安全、それに味も柔らかくなるよと。 すごい嬉しかった。お礼を言って、ありがたくいただく。濃い味が欲しくなっていたのは確かだけれど、この半熟たまごのおいしさといったら! このお店は、今も時々、通っている。ランチタイムはかなりお得なのだ。 そして……6回目の抗がん剤投与の日。 66b6ed72-4e6f-44a0-bd8c-2797030bbe27 正直に言おう。 「めちゃくちゃつらい、しんどい、逃げたい」 顔面、特に口まわりにも痺れが出てきている。さらに、副作用のひとつとして、全身に 「慢性蕁麻疹」の気配も出てきている。両手は指先の感覚がほとんどないに等しいし、足の裏の感覚もほとんど麻痺していて、歩いていても、ふわふわしていて気持ち悪い。歩き方もよれよれしていて、手にしている小さなステッキがたより。 総合受付⇒外来治療センター⇒婦人科外来⇒外来治療センターへの徒歩も、かなり時間がかかるようになっていた。 ようやく、ベッドに横になって、かゆみ止めと吐き気止めの錠剤を飲んでから、抗がん剤投与のラストに入った。 「う~…」 うつらうつら……最初から副作用があったし、抗がん剤を入れていると、それらがますます、強くなってくる。看護師さんたちが頻繁に様子を見に来てくれて、アタマの下や腕に乗せている保温材(保冷剤ではない)を交換してくれる。 「しんどいですー……つらい……」 指を動かすのもつらい。足を動かすのも嫌だ。身体が強張ってくるのもわかる。枕元にあるペットボトルを開けるのもつらくて(握力がなくなってる)、看護師さんが来てくれるたびに、開けてもらい、それを口にするのだけれど、口にペットボトルがあたっているかどうかもわからなくなっているという……怖い状態になっていた。ペットボトルは両手で支えるしかない。 「これが終われば……」 ボロボロと泣いてしまった私に、がん治療薬スペシャリスト看護師のYさんが、指先をマッサージをしてくれながら、笑顔で優しく、言ってくれた。 「もう少し、もう少しだよ」 「はい……」 「最後がつらいんだよね。患者さん、みんなそう言うの。でも、この最後の投与を終えてからの副作用が、またしんどいっていいます。カナデさんだけじゃないから。あなたも乗り越えてくれるって、私たちは思ってるよ」 「はい」 「ここまで来たんだもん。立派だよ。挫折もせずに、真面目に通ってくれたのは、本当にえらい!」 「…ありがとうございます…」 そこへ、A先生がひょこっと顔を出してくださった。午後の時間だから、すでに外来は終了しているはず。 「どう?やっぱりつらい?」 「はい~…しんどいです~……」 もう、泣きっ面にハチどころの話しではない。寝ているのもしんどいんだから。 A先生は、ゆっくりと言ってくれた。 「カナデさんは正直に話しをしてくれるから、僕としても、とてもありがたい患者さんなんです。入院している時から、入院病棟のみんなや、ここにいるYさんたちからもお話しを聞いていたけれど、真面目に通ってきてくれたのが、僕は本当に嬉しいです。もう少しですからね。まずは、投与、乗り切りましょう」 優しすぎる……優しすぎるよ、A先生。 ボロボロに泣いてしまう私。 「ありがとうございます。これからも、よろしくお願いします」 A先生は少し笑ってくれてから、外来治療センターを出て行った。 大きな病院だからこそ、こういったことについて、徹底されているのか、それともほかの理由からなのか。 でも、私は…この病院でよかったと、心の底から、改めて思った。 少しずつ入って行く抗がん剤。化学療法用の点滴マシンを見つめて、私はグッと唇をかみしめた。 ゆっくりゆっくり、身体の中に浸透していく抗がん剤。 私の身体の中で、細胞が動いている。 自分が、ここで根負けしてはいけない。いや、勝ち負けではないけれど、でも、今だけは自分自身に言ってもいいだろう。 頑張ろうぜ。ここまで来たんだ。乗り切ろうよ。 まずは無事に投与、終わらせようよ。 17時30分過ぎ、ようやく投与、終了。 「終わった……」 点滴用の針を抜いてもらいながら、私が呟く。 「無事に予定回数、終わりましたよ~。まずは、メインの抗がん剤投与、これで終わりです。本当にお疲れさまでした!」 看護師のHさんがそう言って、起き上がる私を支えてくれた。 「投与は終わりだけれど、私たちのところには、いつでも来てください。遠慮なんていりませんよ。何かあれば、いつでも相談にのりますから!」 「まだまだ、先は長いんです。無理は絶対にしないでくださいね」 HさんとIさん、そして、クラークのSさん、看護助手のTさんが見送ってくれる。 院内処方で出してもらっていた処方薬を受け取って、中待合室のロッカーの荷物を持って、私は改めて、アタマを下げた。 「本当にお世話になりました。ありがとうございました」 「お大事に」 ゆっくりゆっくり、外来治療センターをあとにする。 夕暮れ…というより、ほぼ、日が暮れかかっている廊下を、ゆっくり歩いて、時間外窓口で清算。最寄駅までタクシーで移動して、電車を乗り継いで、東京駅へ移動。ホット豆乳ラテを購入してから、新幹線に乗る。 季節は5月中旬だが、カラダの体温調節機能が安定しないので、肌寒く感じる。ホット豆乳ラテは温かくてありがたい。が、投与された薬には眠気を催す薬も入っていたので、眠くて仕方ない。でも、寝てしまったら降りる駅を逃してしまう可能性が高い。必死に眠らないようにして、ようやく降りる駅へ。 事前に母に連絡しておいたので、今回も末弟が迎えに来てくれた。 「お疲れさん。無事に終わったか」 「うん……ありがとうね。でも、しんどい…ごめん」 「うっす。帰るぞ」 よれよれしながらクルマに乗って、途中でコンビニに立ち寄って、欲しかったものを買って帰宅。 いつものように、お仏壇に帰宅を報告して、夕食もそこそこに、お風呂に入ってから、そのまま眠ってしまった。 翌朝から、地獄の副作用。たぶん、今までで一番、しんどい。 イライラ、倦怠感、吐き気、若干の頭痛、筋肉痛、関節痛、麻痺、眠気、貧血……特にしんどいのは、ひざ下から足のつま先の倦怠感と筋肉痛だ。寝返りを打つのもつらい。その他諸々、副作用のデパート状態。ベッドから動けず、起き上がれず、唸るしかない。 デイサービスに行く祖母も見送れず、お迎えに来てくれる介護士さんには申し訳なかったけれど、この当時は祖母は自分の足で歩けたので、そのあたりは本当にありがたかった。介護士さんも、 「無理はなさらないでくださいね。おばあちゃんのことはこっちに任せて」 と、お声をかけてくれて、祖母を連れて行ってくれる。 夜になると、睡眠導入剤を飲んでも眠れず、唸り続ける私を、母が足のマッサージをしてくれる。 ごはん、食べたくても食べられない…でも、無理にでも少し食べて、クスリを飲んで、水分補給は欠かさないようにする。ごはんが食べられない時は、ゼリー飲料を口にする。 最後の抗がん剤投与が一番つらいという……ああ、ホントにその通りだわ。 ようやく、身動き取れるようになったのは、最後の抗がん剤投与から6日目のこと。 この日は、祖母はデイサービスへ出かけ、父と末弟は仕事の打ち合わせでおでかけして、母もお昼まで留守。 いつでもお風呂に入れるようにしてもらっていたので(前にも書いたけれど、副作用を緩和するには、ぬるめのお風呂に入るのもひとつの対処療法)、お風呂に入ってからベッドに横になって、ぼんやりと、部屋にある大型テレビで番組を観ていた。 実家にいる間は、とにかく、ずーっとBSを見ていた。特にNHK-BS1と、BSプレミアムがお気に入り。具体的な番組名を出しちゃうけれど、特によく見ていたのは、以下の通り。 『岩合光昭の世界ネコ歩き』 『世界ふれあい街歩き』 『にっぽん縦断こころ旅』 『旅は二度目が面白い!』 『コズミックフロント☆NEXT』 『美の壷』シリーズ 『新日本風土記』 『グレートトラバース』シリーズ あとは、突発的な番組もあったけれど、どうやら、ドキュメント系や紀行番組が好きみたいだな、こうしてみると。 特に『世界ネコ歩き』については、実を言うと6回目の抗がん剤投与前に、日本橋三越で行われていた、岩合光昭さんの写真展に足を運んで、岩合さんのトークショーとサイン会に参加させてもらった。今でも、その時の本は宝物。 「いい子だねぇ」 という、番組中でもよく岩合さんが言っているワード、ナマで聞けましたよ(笑) 『にっぽん縦断こころ旅』は、私もロードバイクに乗っていたので(今は休止…というか、もう乗れない)、これも楽しくてね。火野正平さんの、いつまでも少年みたいなやんちゃな面と、照れ屋さんなところ、そして博識ぶりも好きだ。正平さんがかぶっているワッチキャップのブランドの値段の高さを知った時にはぶっ飛んだけれど(笑)でも、ひとつだけ、実店舗へ足を運んで、同じ柄を買っちゃった。主題歌も、スマホにDLして覚えちゃったし(これは、いつかライブステージでうたいたいなーって思ってる)。 お昼に、母が帰ってきた。 軽くごはんを食べられるくらいにはなっているので、食べていると、母が、私のアタマを見て、 「残りの髪、切ってやろうか?」 と言った。 ほぼ、スキンヘッドとはいっても、まだちょいちょいと髪が残っている。それが妙に気になっていたんだよね。母に髪を切ってもらうなんて、何十年ぶりのことだろう。 髪を切ってもらいながら、ちらっと母の横顔を見る。 (ああ、歳、喰ったなぁ…) 自分とそっくりの横顔。いや、私が母に似ているんだよね。 髪は真っ白だし、しわも随分増えた気がする。 私、なんにもしてやれない。娘として、孫を見せることもできず、それ以前に大事なものをすべて摘出した(年齢は考慮しない)。花嫁姿を見せることもできず、挙句の果てには、自分が病気になってしまった。 「…ごめんね…」 私の呟きが、母には聞こえていたのだろう。 「なーに、謝ることじゃないって、何度も言ってるでしょ」 「でもさ……私…」 「なんにも言わなくてもいいよ」 ボロボロ……やっぱり泣いてしまう。泣き虫なのは子供のころから。だけど、この時の気持ちは、今になっても忘れていないし、忘れてはいけないことだと思っている。そして、こればかりは……私にしかわからない…気持ちだろうと……思っている。 ようやく、地獄の副作用から脱したと思っていたのに、この翌日、再びベッドの中で身動きが取れず、唸り続けて、祖母にむちゃくちゃ心配されたのでありました……                 (続きまーす)
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