事態は急展開。

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事態は急展開。

S先生から念を押された2日後、私は紹介状を持って、総合病院へ足を運びました。 この病院も、自宅から徒歩とバスを使っても30分圏内という、本当にありがたい場所にあります。そして、歴史が長い。なにしろ、第二次世界大戦前からあるといいます。病院の入口には、昭和天皇行幸記念碑なんてものもあるくらいです。 また、日本国内でも有数の「スギ花粉症」「リウマチ」などの治療に力を入れている病院でもあり、全国から患者さんがやってくるとか。ほかにも、がん・精神医療にも力を入れているという、規模はかなり大きな病院でもあります。 総合病院なんて、何十年ぶりか……二十歳になったばかりのころ、事故で入院して以来じゃないかなぁ(この事故で、私は顔面の左側と左眼を潰しました。左眼の視力、ありません。左耳の聴力もちょっとだけ低い)。 身体中が痛い……歩くのにも苦労するけれど、なにせ、この病院、敷地が広い…そりゃ、戦前からあるくらいで建物も増築されていき、上空から見ると、つぎはぎだらけに見えるかも。病院内も、決して新しいとは言えません。造りが、まさに「昔ながらの病院」。もちろん、綺麗にお手入れはされているのですが、なんとなく「怖い」イメージが残っています。 でも、正面からは見えませんが、一番奥には入院病棟が新設されています。 総合受付で婦人科外来への取次ぎをお願いして、診察カードを作るために、基本データを記入、その後、婦人科外来へ。 午後2時くらいだったか…外来の診察時間は、午前中で終わりになる病院なのですが、紹介状を持った人などのために午後の診察時間は設けてあるようですね。 中待合室の受付で、名前を言うと、医療事務の方(病院内ではクラークさんと呼ばれているので、今後はこのように表記します)から、ちょっとした説明を受け、手にしていた紹介状をお渡ししました。 ペールグリーンの優しい壁、淡いピンク色の長椅子…中待合室。産婦人科と一緒になっているので、そういう作りなんでしょう。 名前を呼ばれたので、診察室のドアを軽くノックして、入ります。 「失礼します……」 そこに座っていたのは、小柄で少し童顔の男性医師。 「こんにちは。初めまして。お話しはS先生から少しお伺いしています、僕はAと言います」 とても優しい……ちょっと失礼な言い方をしてしまうと、すごく「かわいい」笑顔の先生だなぁというのが最初の印象でした。 「よろしくお願いします」 あたまを小さく下げて顔をあげると、A先生はニコッと笑ってくださいました。 それから、紹介状を読みつつ、目の前にあったPCにデータを打ち込みながら話しを進めてくれます。 びっくりしたのが、今はカルテは全部、電子化されているということ。 当たり前のことなのかもしれませんが、総合病院なんて久しぶりのことでしたから、びっくりですよ、ええ。 で、A先生、穏やかにお話しを始めてくれました。 「これね、確実に手術、必要です。実際の進行具合は、手術(して、病理検査にかけないと)わからないですけれど、その体型や経過、カラダの痛みとか、S先生からのお手紙を読んでいると、卵巣がんで間違いないと思います」 卵巣がん。 まさか、自分が……いや、でも、なんで?なんで? 健康診断の時にわからなかったの?なんで??? アタマの中が混乱。不安な気持ちが、そのまま、顔に出ていたのでしょう。 「がん……ですか…」 「ええ。カナデさんくらいの年代の方が発症しやすいものなんですよ」 A先生いわく。 卵巣がんというのは、健康診断でもわかりづらい「がん」のひとつなんだそうです。そして、ある程度、病気が進行してから判明するものでもあるそう。 私の場合は、体重増加とおなかの膨れ具合が異様に速いスピードで進んでいるとか。そういう患者も多いんだそうです。 「……どうして…」 涙が出てくる直前に、グッとこらえようとするのですが、やっぱりダメでした。足は震えるし、手も震えてくる。でも、その間も身体が痛い。身体が悲鳴を上げている…… 「カナデさん。一緒に治療していきましょう」 A先生の声に顔を上げると、先生は頷いてくれました。 「この病気は、早めの対応が大事です。今だからですよ。でも、なんです」 私はこの言葉に、ハッとなりました。 上手におつきあいしていく病気。 まさか、お医者様から、この言葉を直接、聞くとは思ってもみなかった。 泣き顔のまま、私は先生の顔を見て、小さく頷きました。 「まずは手術です。この病院でも、週に複数の人たちが受けている手術です。それ自体は難しいことではありませんが、でも、ひとつ、覚悟してもらわないとならないんですよ」 「え?」 覚悟って? この後に、A先生が言った言葉はこれでした。 「進行具合にもよりますが、確実に言えるのは、卵巣は摘出します。あとは子宮の摘出。これが、この病気の代表的な手術です」 いわゆる「全摘手術」。A先生が言うには、私の場合は、全摘手術になる、ということでした。 全身への転移を防ぐためでもあります(実際は開腹してみないと、転移しているかどうかはわかりません)。 女性としての機能を失うこと。 ……まぁ、年齢を考えれば……全摘手術してもいいのかもしれません。 ですが、さすがに……急展開過ぎて、頭の中が混乱していて…… 俯いて、手を膝の上に置いたまま、少し考えこみました。 その間、A先生も、そばにいた看護師さんも、じっと待っていてくれました。 (……) 自分がこの場で決めないとならない。 覚悟を決めるというのは、そういうことなんだろうな、と。 過去の事故で失った左眼は、有無を言わせず、聞かれることもなく…視力の機能を失いました。でも、今回は、考える時間が少し、あっただけでも幸せ。 グッと両手を握りしめ、涙を拭いて、私は顔を上げました。 「わかりました。よろしくお願いします」 そして、もう一度、丁寧にアタマを下げ……また顔を上げると、A先生は優しく頷いてくださいました。 なんというのか、A先生の話し方や説明、そして、笑顔を見ていて、 「この先生にお願いしよう」 と、すぐにカンが働きました。 こういう時の「直観」、私には小さいころから時々、あります。そして、大抵、ハズレないのです。 穏やかですが、でも、しっかり、包み隠さず、わかりやすくお話ししてくれるところも、私はとてもうれしかったのです。 その後、手術前検査と手術日をその場で決定。 私も、いつも持ち歩いている「ほぼ日手帳」に、それらを書き込み、A先生からの注意事項をメモ、手渡された注意事項の用紙もファイルに入れてもらって、立ち上がりました。 診察室を出る前に、もう一度、頭を下げます。 「先生、よろしくお願いします」 「はい。一緒に治療していきましょうね」 中待合室に戻り、奥にある別室で、看護師さんが問診をしてくれて、手術・入院するための必要書類や手術前検査、入院時に必要なものなどの説明、最後に全スケジュールを印刷してくれました。 総合受付で、支払いを済ませると同時に、プラスチックの診察カードを受け取りました。しっかり、名前が刻印されたカード。裏面を見ると、婦人科のところに印がついていました。 正面玄関を出てから、振り返ります。 「お願いします」 小さく呟いて、その日は病院をあとにしました。 すぐに実家に連絡して、手術日のことなどを伝えました。 「やっぱりね、手術したほうがいいってことになった」 「そっか。わかった。お医者様とあんたが決めたことなんだから、まずはちゃんと準備、していきなさいね。書き込む書類はこっちに送ってきなさい」 母がなぜ、こんなに落ち着いているのかと言うと、この人、若い時から病人や怪我人、痴ほう症の家族の面倒をずっと、みているから(あとは生来の「面倒見の良さ」っていうのもある。後日、母は、「私の人生、病人なんかの面倒をみてることがほとんどよ。そういう運命なんだと思ってるわ」と、笑いながら話しをしてくれました。芯の強い人なんです…自分の母ながら、すごい人だと思います。この話は、また機会があればお話ししたいと思います)。 母は、ある程度は覚悟していたみたいですが……当時、実家には超高齢の祖母(母の母。この時、御年98歳。でも、ボケていなくて、100歳で亡くなるまで、とても元気な祖母でございました)がいて、父も体調を崩し始めていた時であり、自分も年齢的なことを考えれば、入院・手術などはひとりでもいいだろうとは思っていましたが、 「手術の日はそっちに行くよ」 と。実家と、私が暮らしている市は遠いのですけれど… 都内に、母の弟…叔父夫婦が暮らしていて、母はちょっとした考えがあったみたいですが、この時はまだ、話がまとまっていなかった。 母との電話を終えてから、今度は所属している派遣元の担当営業のTさんに連絡。このTさんと言う方も、とにかく「できる営業さん」でありまして……私が今の勤務先で仕事を始めた時から、とてもお世話になっている方です。 話しの内容に、Tさん、電話の向こうで絶句。 「すみません…」 「いえ、カナデさん、謝ることじゃないですよ!病気のことがわかったことはいいことなんです。勤務先の担当さんには、まず、私がお話ししますね。今度の出勤日は?」 「明日です」 「わかりました。今から勤務先に連絡しますね。そのほうが、お話しがスムーズに進むでしょうし。明日、出勤してから、NさんとAさんにお話ししてください」 「すみません、急に…」 「大丈夫、お仕事関連の細かいことはこちらに任せてください。まずは、ご自分のことを一番に考えてくださいね。わからないことは、いつでも連絡ください。遠慮なんていりませんよ」 Tさんの優しく、力強い言葉に、また涙が出てきました。 コトは急を要する。 事態は急展開。 翌日、鎮痛剤を飲んで、痛みが少ないうちに勤務先へ出向くと、Aさんがすぐに声をかけてくれました。 この時、初めて知ることになるのですが、実は勤務先の仲間の中には、私のように大きな病気で、入院・手術・長期療養などを経験している人がたくさん、いるとのこと。正社員さんの中にも、現場での仕事が出来ず、今の部署へやってきた方もいるそうなのです。 「一番忙しくなる時に……本当にすみません」 「気にしない、気にしない。まずは、ご自分のことを最優先にしましょう。派遣元さんや私たちも、きちんと連絡を取ります。心配しないでくださいね」 「ありがとうございます」 その日は仕事をせず、Aさんと部署のトップ・Nさんに、今後のことと休職についての話しをして、ロッカーの中を見てから、鍵を渡そうとしたら、Aさんが、 「鍵とIDカードは持っていていいですよ。いつでも、戻ってきてもいいように。みんなで待っていますから」 一度お渡しした鍵を、Aさんは私の手に戻してくれました。 「行ってらっしゃい。仕事の心配はいらないからね。しっかり、治療してきてください」 Nさんもそう言って、部署のドア前で見送ってくれました。 長く派遣社員をしていますが、一介の派遣社員に、ここまでしてくれるなんてのは、初めてのこと。契約解除を覚悟していたのに。 その後、この話はまた別の意味で「いい方向へ」転がって行くことになります。 翌日から、入院と手術のために少しずつ、行動開始。 カラダの痛みは相変わらずですが、準備するものを揃え、必要書類を書いたりなんだり…… 都内に住む叔父からも電話で連絡が入りました。叔父夫婦も協力してくれることになりました。ホントに…ありがたい。 でも、この時は、私、カラダの痛みとのバトルで必死でございました。ほかのことを考えている余裕はなかったんです…… 手術前検査は、2日間に分けて行います。 すべて、最初のA先生との話し合いで予約済。 1日目は、心肺機能や超音波検査、レントゲン、CTなど複数。 2日目は、MRI。 とにかく、大掛かりな手術になるので、手術前検査もかなりの数にのぼります。 1日目の検査は、その日の午後、広い病院内をあちこち、歩いて移動。 ひーこらいいながら…でも、この苦しみも、来月には楽になるはず、と自分に言い聞かせながら、移動します。 1日目の検査がすべて終わった後、入院のための説明と手続きも済ませます。この時にもいろんな書類が手元にやってきました。なくさないようにと、専用のファイルを作っておいて正解。 印鑑押さなきゃならんとかなんとか…ホント、すごい数です。 一番の難関はCT、そして2日目のMRIでした。 おなかの膨れ具合が尋常ではなく、撮影するのも大変なことになってしまいました。 2日目のMRIが特に大変で、終わった後にぐったりして、しばらく長椅子から立ち上がれない状態。手術前検査2日間ともに、往復はタクシーを利用。 この時に、タクシー会社の方から、 「何かあった時のために、すぐにカナデさんとわかるように、登録しておきましょうか?」 というアドバイスをいただきました。 電話番号と名前で登録、電話をかけると、自宅まで来てくれるというもの。最近は、ひとり暮らしのお年寄りの方などにおすすめしているサービスなんだそうです。 たぶん、今後も利用することになるはず…と考えて、登録させてもらいました。実際、こちらのタクシー会社の方には何度も、お世話になることになります。 そして、12月21日、入院当日の午前10時。 荷物と必要書類を抱え、タクシーで病院まで移動。 総合受付に行くと、実家から来てくれた母と、叔父夫婦が待っていてくれました。                     (続きます)
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