抗がん剤投与「完了後」のあれこれ。

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抗がん剤投与「完了後」のあれこれ。

全6クールの抗がん剤投与が完了してから3週間後、ふたたび病院へ行く。 この日は、手術前検査の時以来のCT検査の日。ようするに、6度の投与がうまくいっているかどうかの、中間検査というところだ。 CT検査とレントゲン、血液検査を終えて、およそ1時間くらい、婦人科外来の中待合室で悶々としていたのを覚えている。 ようやく、呼ばれて診察室へ入ると、A先生がニコニコしながら、書類をプリントアウトしてくれて、データも見せてくださった。 「検査、お疲れさまでした。お待たせしてごめんね。結果からいうとね、問題なく、クリアです。抗がん剤、ちゃんと効いてくれていますよ」 この言葉を聞いて、私、思わず、何とも言えない声を出してしまった。 「うおおぉぉ……」 よかった……ホントによかった……苦しいと思いながらも、抗がん剤を投与した甲斐があったんだ。 CA125(今回は、この数値が私の腫瘍マーカーということになる)の数値が、手術前と今では歴然としており、見事に数値が下がっている。ほかにもいくつか、重要なところを赤ペンで丸をつけてくれながら(なにしろ、英単語で、医学用語の略称が並んでいるから、先生に説明してもらわないとわからんのよ)、A先生も説明してくださった。 「無罪放免…ですかねぇ」 と、私が呟くと、A先生は、 「いやぁ、仮釈放かなぁ」 という返事がきた。それを聞いて、私が思わず声をあげて笑うと、先生も一緒に笑ってくれた。 「やっと笑ってくれましたねぇ」 「え?」 「カナデさんが、やっと、声をあげて笑ってくれたのが、僕には嬉しいんです。患者さんがね、本当の笑顔になる瞬間って、この仕事をしていると、とてもよくわかるんですよ」 何十人、何百人と患者さんを診てきたであろう、A先生。 私が最初に行った、街の開業医・S先生の言葉を、ふっと思い出した。 「A先生は、僕が一番信頼している後輩です。そして、腕のいい医師ですよ。とにかく、紹介状を書いてあげるから、すぐに診てもらってください」 ああ、そうか……そういうこと、か。 医師としての腕だけじゃない、気持ちが……医師としてのプライドと同時に、患者さんに対しての「心配り」「気遣い」が、とても素敵な「医師」なんだ。 それは、この半年の間、ずっと私も抱いていた思いだった。 その後、今後の注意事項と、処方薬の話し、新しい副作用の話しをして、さらに2か月後の予約も取る。また、仕事への復帰は、もう少し見送ってほしいという注意事項があった。うん、わかる。今の状態では、仕事どころの話しではない。 「あとね、無理はしないこと。なにかあったら、いつでも連絡ください。仮釈放の身なんですから(笑)」 「はい(笑)」 本当に面白い先生だなぁ。 お礼と、改めて今後ともよろしくお願いしますと添えてから、総合受付へ移動、会計をしてから書類受付センターで、先月分の書類を受け取る。 病院を出た時、空を見上げると、梅雨の晴れ間。 木々は緑色に萌えつつあり、空気もどことなく、暖かい。 「ああ、そっか…」 あれから半年、経ったのか。半年前は、病気のことをを告げられ、下を向いて、とぼとぼと……歩いていたのだろう、当時の空の色を思い出せないのだ。 半年って…長かったのかな、短かったのか…いや、まだようやく、第一段階を越えたばっかりだからね。 この先、まだまだ…死ぬまで……お付き合いの病気なのだから。 この後、しばらくは実家と、かながわを行ったり来たりの生活が続く。 日によって、体調の調子が違うのは仕方ない。朝、起きて、しばらく様子を見ながら行動して、大丈夫そうであれば、外へ行くことにした。もちろん、天気と相談の上だけれどね。 その日は、天気も良く、体調面も精神的にもよさそうだったので、かねてから考えていたことを実行することにした。軽くご飯を食べて、着替えて、薬と必要最低限のものを小さなカバンに入れて、背負って、杖を持って駅へ向かって歩き出す。 初めて、乗り放題のきっぷを買ったよ。 めざすは、鎌倉市だ。 同じ県内に住んでいるのに、なかなかほかの街へ行くことがない。 ロードバイクに乗っていた頃は、それでも、湘南界隈を走ったし、江ノ島に渡って、おいしいお魚をたべたこともある。 三浦市にもちょっとだけ行った。宮ケ瀬とかヤビツとか行ったなぁ。もう、体力と握力が戻らない限りはロードには乗れないかも… でも、実は鎌倉って、通り過ぎただけなのだ。一度は行ってみたい、というか、行かないとね。 藤沢駅で江ノ電に乗る。 江ノ電は、今までは見ているだけ。乗ったのは初めてだ。 トコトコと走る江ノ電。かわいい。 平日昼間だけれど、観光客や外国人観光客もちらほら。 でも、私はまどの外をずっと、みていた。窓の外、人の生活が見えてくる。 地元の人にとっては、日常の足でもある江ノ電。 テレビとかでも、ちらほらと見たことがある風景が流れていく。 「………」 もともと、あまり外へ出ていくタイプのニンゲンではない。 人との付き合いは、ド下手で、距離感が図れず…生きることが、下手だと自分でも思うよ。 「あ、長谷…」 どうしても行ってみたいところがあった。 電車を降りて、駅前の地図で確認。 「歩けるかしら…ダメだったら諦めるか…」 今の私には、ここ、大事なところ。無理はできない。でも、決して余裕があるわけじゃない…それでも、小さな杖をついて、歩き出す。 鎌倉の大仏様にお会いしたいのだ。 ゆっくりゆっくり、時々、休みながら、大仏様の鎮座されている高徳院へ。 ご存知の方もいるかと思うが、鎌倉の大仏様、そして高徳院の開祖などは詳細が不明だという。謎だらけ。 てくてくと歩いて、立派な門構えをくぐり、境内へ。 「おお……」 こぢんまりした敷地に、大きな大仏様。 正面には立てない。 ちょっとだけ、端に寄って、私は大仏様を見上げた。 やっと、お会いできたなー。いつも、テレビとかネットでしか見たことがないからなぁ。 きちんと手を合わせ、しばらく、境内で休ませてもらう。 やっぱり、鎌倉って観光地なんだなぁとも思った。とにかく、人が多い。 でも、よ~く言葉を聞いていると、日本語よりも外国語が…特に、中国系の人が多いみたい。かなり賑やかなんだよね。ううむ……お寺の境内では、もう少し、落ち着いてお話しをしていただきたいなとも思ったりもする。 その後、どうしたものかと思ったんだけれど、駅へ戻る道すがら、個人商店とかを覗いたりしていたら……長谷寺の看板。 「……」 自分の身体に聞いてみる。まだ、大丈夫?歩ける? でも、足は自然と、長谷寺のほうへ向かっていた。まるで、何かに惹かれるようにして、歩いた。 山門に大きな赤い提灯。 境内へ入ると、低い階段が続いてる。綺麗に手入れされた木々の間に、平日のためか、庭師さんたちがお庭の手入れをしているのが見えた。 入口でもらったパンフレットを見ると、境内はかなり広い。でも、せっかく来たのだから、一番上にある観音堂へは行かないと。綺麗にお手入れされた境内を、ひとりで、ゆっくりと歩く。緑の木々が、本当に綺麗。 弁天窟の前に立った時、スッとなにかが自分の前を通って行った……気がした。小さい時から、こういった「第六感」みたいなものがあって(前にも書いたけれど、私自身には宗教的な観念は一切、ない。無宗教だからね)、時々、ふと感じる「なにか」というのがある。 そして……弁天窟の中へは入ることが出来ない。足が前に進まない。怖い。 (これは、今は入るべきじゃないんだろうな……) そう納得して、両手を合わせて、別の場所へ。 かきがら稲荷、鐘楼……そうして、ようやく、頂上へ。 阿弥陀如来様にお参りして、観音堂へ入った時、思わず言葉を失った。 大きな観音菩薩様が、静かに佇んでいらっしゃる。そう、「長谷観音様」だ。 すごい大きな立像で、しばらくお顔を見たまま、私、その場に固まってしまった。とにかく、大きな観音様だ。 もちろん、きちんとお参りをして、観音堂を出ると、そこは見晴台。 長谷寺は、山の上にあるので、鎌倉の街と太平洋が見渡せる。少し風があったけれど、海からの風なので、ちょっと湿度があるかな、などと思ったり。水分補給と休憩をしながら海を眺めていると、さっきから気になる音が聞こえてくる。とても心地よい音が聞こえてくる。 振り向けば、境内の真ん中あたりに大きな桜の木があって、そこに大きめのウインドベルがいくつか下がっていて、それが風に揺られて、音を奏でていたのだ。 「わぁ……」 そのまま、桜の木の下へ歩いて行く。 いろんな大きさのウインドベル。それらが、風に揺られるたびに、荘厳で、でも優しい音を奏でている。まるで、ココロを包み込んでくれるみたいな、とても穏やかな、優しい、でも、荘厳で……なんだろう、これって。 その音は、私のココロの中に……響いてきた。 桜の木の下には、祈祷された札(散華)が用意されていて、それに願い事を書いて奉納するのだという。 私も、とある「願い」を書いて、木の下へ納めさせてもらった。 いつか、願い事が叶いますように、と。 それまで、堪えていた感情が溢れてしまった。 自然と涙があふれてきて、ウインドベルの音をずっと、聞いていた。じわじわと、でも、とても優しく、音が私を包み込んでくれる。ずっとずっと、聞いていてもいいかな……それくらい、とても優しい音色。 優しい音色と、鎌倉の風。 観音様のいらっしゃる空の向こうへ、私の祈りと願い事を届けてもらえたらいいな…… あとで長谷寺のサイトを読んでみたら、これは「かんのんね」というもので、夏の限定ものらしい。「天から差し込む光」を表現すると言われる、雅楽の楽器「笙」の音からインスピレーションを得たものだとか。 なるほど、それで……あんなに優しい音がするのか。 本当に優しい音色だったんだよ。 私のPN「カナデ」……うたい手としてのステージネームは「碧風 奏」(りょくふう・かなで)というのだが、実は、この時に思いついた名前だったりする。ま、ほかにも理由はあるのだが、まぁ、それはまたいつか。 「あ、ちょっとさすがにやばいかな~…」 手足の痺れがきつくなってきた。 長谷寺を後にして、長谷駅へ戻る。本当は、八幡宮様まで行きたかったけれど、体力的にアウト。無理しないと決めたからには、ここで時間切れ。 江ノ電に乗って、窓際のシートから、湘南の海と、江ノ島を眺めながら片瀬江ノ島へ戻った。 帰りの電車の中で、ちょっとだけ、うたたね。手足の痺れ、徐々にきつくなってくる。大丈夫かしら……と、ようやく、自分の降りる駅に到着。駅前のコーヒーショップでようやく、固形物を口にする。食べる気力はあまりなかったが、食べないわけにもいかないからね。 「……また、行きたいなぁ…」 ぽつりと、声に出して呟いたのは、覚えている。 その日の夜は、身体の痛みも少し増してしまったが、あの「かんのんね」の音が、ココロの中でずっと、優しい音色を奏でてくれていた。 穏やかな気持ちで、眠れた夜でもありました…… あれから数年経っているけれど、実は、未だに鎌倉へ再訪、できていません……(涙)                  (続きます!)
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