抗がん剤投与「完了後」のあれこれ、その2。

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抗がん剤投与「完了後」のあれこれ、その2。

実家とかながわを往復する生活の間の、あれこれ、その2です。 実家での療養中のある日、どうしても郵便局へ行かなければならない用事があった。 この日は、祖母は家にいて、母は、午前中からご近所の農家さんへお手伝いへ。父と末弟も仕事で出かけていて留守。 祖母とふたりでのお留守番は、苦にならないし、祖母にも生活リズムがあって、その流れはわかっていたので、母が用意してくれていたお昼を食べてから、ふたりでお茶を飲んで雑談。 「やっぱり郵便局、行くか…」 着替え始めたら、祖母が心配そうに、 「おまえ、いいのか?外へ出かけてもいいのか?」 と、言ってくる。この日は体調も良く、気分もよかったし、天気もよかった。むしろ、暑いくらいだ。 「うん。お医者さんも、歩けるときは少し歩けって言ってくれているし。郵便局までは歩けると思うからさ。ばあちゃん、お留守番、お願いね」 ちらと時計を見ると、祖母のお昼寝の時間になろうとしている。この間に出かけても大丈夫のはずだ。 着替えて、ショルダーバッグにお財布と必要なものを入れて、杖をついて出発。 郵便局は、同じ町内にあるのだが、ちょっと離れている。クルマだったら10分もしないところにあるのだが、歩くとなるとまた違う。かといって、ハンドルをとる握力もないし、アクセルを踏み込むチカラもない。手足の痺れや筋力の衰えは免れないことなので、逆に歩こうと思った。町内もだいぶかわってきているけれど……あ、考えてみたら、郵便局への道中って、小学生の時の通学路じゃん。えー、何十年ぶりに歩くんだ(笑) 自分の視力の関係で、スポーツ用サングラス(度つき)を常時持ち歩いているので、サングラスもかけた。 自分の服装……エスニックファッション。これ、やっぱり、こっちじゃ目立つわなぁ……ま、でも、これが今の自分だ。 歩き出して、気づいたことがいくつもある。 ちらほらと今までも書いているけれど、とにかく、人の姿が少ない。平日の日中ということを差し引いても、人の姿が確実に少ないのだ。 今までお店だったところがなくなっていて、ふつうの住宅に建て替えられていたり……メインストリートだったはずのその道は、今の私から見ると、単なる通過点にしかならないという、典型的な「地方過疎」あるある状態。 仕方ないとは言えども、やはり、さみしい。 「あ、よかった、まだあった」 閉店した個人商店の前には自販機があったので、そこでペットボトル1本と缶コーヒーを1本、購入。缶コーヒーは、プルトップを、なんとか開けて(チカラがない)、その場で飲み干してしまった。のど、渇いていたんだよね。PETはショルダーバッグに入れる。 郵便局も小さなもので、ATMが1台と窓口がふたつだけ。 とりあえず、用事を済ませてから、外へ出ると、なんだか暑いなーと思った。気温、そこそこに高くなっている。 このまま、来た道を戻るのもいいのだが…… 「そういえば、母が手伝いに行っている、Jおばちゃんのビニールハウス、この近くだったよな……」 自分の身体に調子を伺ってから、歩き出す。 実家のある町は、小さな町なのだが、緑豊かで、リンゴ、桃、ぶどう畑がたくさんある地域。フルーツ王国だ。 同じ町内のはずれには、高速道路のインターチェンジもあったりするから、クルマの通りはそこそこ、ある。 さきほどの、もともとはメインストリートだった道は、今ではいわゆる「裏道」にあたる。知っている人は、広い道路を使わず、このメインストリートを通っていく人も多い。 時代は変わる、確実に自分自身も歳を重ねていく…それは理解しているつもりなんだけれど…… てくてくと、畑の中の道を歩いて行くと、いきなり石でできた鳥居があって、それを通り過ぎてしばらく行くと、目の前に大きな木々が見えてくる。 「となりのトトロ」に出てきそうな、鬱蒼とした大きな木々が、木造のお社を囲んでいる。 私たちは「おみやさん」と呼んでいる町の神社。 さきほどの鳥居は、この神社のもの。神社そのものの創建時代は不詳。のちに清和源氏の流れを組む人々がこの地にやってきて、今の祭神を祀ったとか。神社の境内へ入ると、ちょっとだけ…周辺の空気とは違うものを感じる。 子どもの頃は、この神社が遊び場のひとつだった。 夏とか秋の祭りなんかは本当に賑やかだったし、年越しの時も、消防団の人たちが焚いてくれる焚火に当たりながら、すぐ目の前にあるお寺さん(このお寺もかなり由緒が古い。徳川氏の流れを組んでいるらしく、葵の御紋を使うことを赦されている。ちなみに実家のお墓があるお寺)の、除夜の鐘を聞きながら過ごしたこともある。 でも、今は静まり返っていて、誰もいない。子どもたちの声すら、聞こえてこない。 木造の鳥居(これがまた、古いのだ)をくぐり、本殿にお参りをしてから、あたりを見回してみる。 「……」 大きな幹が倒れていて、それが腰かけるのにちょうどよい。ちょっとだけ休ませていただくことにした。買ってあったペットボトルを、なんとか開けて(掴んで、ひねるという動作がすごい難しくなっている)、それを口にする。 病気にならなければ、このおみやさんに、今の時期、来ることもなかっただろうな。 少し休んでから、また歩き出す。そろそろ、足の裏とか……限界に近いかも。でも、母たちがいるビニールハウスまでは、なんとか歩かないと。ここからすぐ近くのはず。 ようやく、目的地の場所付近について、周囲を見回してみると……あ、母のクルマ、見つけた! ビニールハウスの奥に、数人の姿。ぶどうのハウス栽培。摘果時期の真っ最中だ。 「こんにちわー」 と、声をかけると、母が気づいて、こっちにやってきた。 「あれ?おまえ、どうしたの、歩いてきたの?」 「うん。郵便局に行ってきたから、こっちにまわってきた」 「大丈夫か?」 「さすがにちょっと、ギブかな……足、痛い」 お世話になっている、母の友人でもあり、畑の持ち主・Jおばちゃんが、私を見て、 「まー、久しぶりだね。身体の調子はいいのかい?」 と、言ってくれる。 「はい、おかげさまでなんとか」 「まーた、おしゃれな服、着ているねぇ」 「みーさん(母のこと)にそっくりだわ(笑)」 「ほれ、こっちに座ったぃ(座れ、の意味)」 畑にいた人たちは、みんな、母の友人。Jおばちゃんのご親戚の方もいる。 その場にあった、プラスチックのリンゴ箱をひっくり返して、そこに座らせてもらう。ああ、これこれ。もう、子どもの頃から、当たり前のようにやっていたこと(子供の頃は、木でできた箱だったけれどさ)。懐かしい。 ふぅっと息を吐いて、やっと落ち着いた。 綺麗な緑の葉っぱが萌えているぶどう。このハウスには、巨峰その他があって、となりには、シャインマスカットの畑もある。リンゴ畑も持っている、この辺りでは、そこそこ、名の知れたおうちの畑なのだ。 母たちが仕事をしているのを、しばらく眺めている。 ひとつひとつ、丁寧に摘果していく……全部、手作業だ。ぶどう棚を見上げながらの作業は、かなりの重労働。こういうところを、都会の子どもたちに、ぜひ見て欲しいなぁと思ったりなんだり…… 農家さんたちは、一年を通して丹精込めて育てている。 だからこそ、盗難事件などが頻発する昨今、ホントに許せないんだよね…(2020年にも大きな盗難事件が発生して、新聞沙汰にもなった)。 実は自分、農業高校の出身。だから、作業の大変さは身に染みているし、実家に暮らしていた若いころは、お手伝いもしたから、その苦労や大変さは本当にすごいものがあると、実感できている。 「カナデちゃん、これ、食べるかい?」 と、Jおばちゃんが出してくださったのは、草餅。わー、うれしい!それも、おばちゃん手作りの草餅だ。よもぎは、もちろん、摘んできたもの。ありがたくいただくことにする。こういうのって、田舎ならではだよねぇ。すごいうれしい。 食べながら、畑仕事を眺めていたら。 「ありゃ?」 それまで晴れていたのに、急に雲行きがあやしくなってきた。遠くから雷の音も聞こえてきた。これは……ひと雨、くるぞ。 時間も時間だったし、ちょうどいいということで、この日の作業はおしまい。 車に乗ろうとした私に、おばちゃんが、早生のぶどうを3房、持ってきてくれた。 「これ、持ってけ。東京じゃ高いだろうから、こっちでしっかり、食べてけ」 「よかったねー、あんた」 と、母が笑う。今の時期じゃ、東京だと、かなりのお値段で販売されているものだ。丁寧にお礼を言ってから、母と一緒に家に戻る。クルマを降りると、むわっとした空気、地面から上がってくるにおい。あ、これは確実に雨の前兆だ。と、その直後に土砂降りの雨になった。雷もすごい。 「帰ってきて正解だったね」 祖母はずっと、寝ているらしく、私たちが帰った時も、すやすやと寝ていた。おばちゃんからもらった、早生のシャインマスカット。母が洗ってくれたので、ひとつぶ、口に放り込む。 「あっまーい!」 とっても甘いくてジューシー。ぱつんぱつんに張った皮が、また歯ごたえが良くて、中の果肉は柔らかくて、みずみずしいんだよ。 こっちの生まれでよかった。そして、自然の恵みというか、自然豊かな田舎に感謝。 また別の日には、庭に自生している、赤シソの葉っぱを枝から採る作業をする。座ったままでもできるから、ちょっとした時間潰しにもなるし、母がこれで梅を漬けたり、しそジュースを作ってくれたりする手間も、お手伝いできる。手の痛みを気にしながらだけれど、私にもリハビリになるからね。 「わー、手が黒い」 しその香り、いい香りだ~。 これも、祖母と一緒に作業するのだが、祖母にとっては、こういう作業は面白いらしく、また生来の性格なのか、きっちりとこなしていくんだよね。指先が器用な祖母で、特に編み物が得意だったから、98歳になっても、細かい作業は苦にならないらしい。だから、完全にボケていないというのもあるだろう。ただし、むちゃくちゃ耳が遠いので、会話するのもひと苦労だけれど(笑)、でも、それもまた、楽しい時間。 「ばーちゃん、終わった?」 「んー、終わった」 大きなかごにいっぱいになった。 これを徹底的に水で洗って、細かいごみや虫を洗い流して、その後、使う。 母屋のとなりには、父ご自慢の畑があって、そこではそろそろ、夏野菜が収穫できる時期。白菜、キャベツ、ネギ、タマネギ、ししとう、キュウリやトマト、さやえんどう、モロッコ……ほかにも、いろんな野菜が植えられている。子どもの頃から、泥だらけになって畑で遊んでいたからね。それが「ふつう」だったのだ。 病気にならなければ、田舎の良さを改めて知ることもなかっただろうと、今でも強く思っている。 話しは前後するが、書き忘れたことがあった。 5月アタマの、ある日の夕方、実家に戻っていた日。数少ない、地元仲間から連絡が来た。 「体調がよければ、お昼、食べに行きませんか?」 と、いうものだった。 母に相談して、自分自身の体調とも相談してから、その週の真ん中の日に、会うことになった。                     (続きます)
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