手術前日。

1/1
202人が本棚に入れています
本棚に追加
/120ページ

手術前日。

12月21日、10:00AM。 総合受付の長椅子に座って待っていてくれた母は、私の姿を見て、キュッと表情を変えた。たぶん、数か月前とはまた違う、私の姿を見て少し驚いたんだろうと思う。 実を言うと、母と顔を合わせるのは、その年の8月以来。電話やメールでのやりとりは頻繁にしているんだけれど。 「ごめん、ありがとう。遠かったでしょ?」 「遠いねぇ」 と、苦笑い。母が、私の暮らす街に来てくれるのは、初めてのことだったからだ。 「大丈夫か?」 と、声をかけてきたのは叔父。母の弟さんだ。となりにいたおばが、 「ほら、荷物は私が持ってあげるから」 と、気遣ってくれた。 顔面蒼白、妙な体型、フラフラした足取り。 それでも、入院手続きをとって、クラークさんに案内された通り、入院病棟へ向かった。 外来病棟から、渡り廊下を歩いて……急に、明るくなる。 入院病棟は、この病院敷地内の一番奥にある。外来病棟は正直、昔ながらの病院のままだが、入院病棟は少し前に新しくなったそうで、近代的な「イマドキの病棟」だった。 入院するのは産科・婦人科病棟。 「こんにちわ……」 と、恐る恐る、スタッフステーションへ声をかけてみると、クラークさんが顔をあげてくれた。このクラークさんの名前はIさん。今後、私はこのIさんとは今に至るまで、ずっとお世話になることになる。 「あ、こんにちわ。カナデさんですね?」 「よろしくお願いします」 その場で、体重を計測。入室する前に注意事項をいくつか受けてから、私、母、叔父夫婦の4人が案内されたのは、個室だった。 実はこれにも訳がある。 手術前検査2日目の終わりに、入院手続きのための説明を受けた時、担当してくれたクラークさんが、 「手術する前日から数日間は、身体を休める意味と、感染症予防などのこともあるから、個室をオススメします」 と話しをしてくれたからだ。A先生にも言われていたことでもあった。 部屋代などもあるけれど、今回は贅沢を言っていられないこともある。自分自身のことだからなぁ…と、思って、最初に手続きをするときに、母に連絡をして話し合い、個室を利用することにしたのだ(個室にもランクがある)。また、婦人科という特性上、個室が多いというのもあった。 スライドドアを開けて、病室の電気をつけると……思いのほか、広い。 荷物をダイヤル式のロッカーに入れて、ベッドにようやく、腰かけた。 母がなんやかんやと世話を焼いてくれる。また、入院に必要な身の回りの物をチェックしてくれて……ホント、手慣れている。でも、これが私にはとてもありがたかった。あとは、提出するための書類もチェック。 「ああ、これとこれとこれね…売店、どこだっけ?」 「えーっと、正面玄関の前にあるんだよ」 「あ、あれが売店なのか。遠いな」 と、叔父。手術時と手術後に必要なもの……着圧タイツとか女性用の下着とか一式、セットにして売店に販売されている……は、さすがに持ってきていない。腹帯とか、ふだん、使うことはないであろうモノ。私がお財布を出していると、母がやんわりとそれを制した。 「え?」 言葉もなく、首を横に振る。 「あんたはそんな心配はしなくていい。今は、とにかくカラダを休めておきなさい」 戸惑う私にそういうと、おばが、 「足りないのはなに?どれとどれが必要?売店に行ってくるわよ」 と、言ってくださったので、お願いすると、叔父とおばは頷いて、廊下へと出て行った。 「あのさ、お母さん…」 「なに?」 「あの…」 私が何を言おうとしているのか、母はすぐにわかったみたい。 「気にしない。そんなことより、今は自分のことだよ」 そう、今回の費用など、金銭的なことはもちろん、実家にいる祖母、父のこととか……でも、母は言った。 「あんたも難儀な性格、してるねぇ」 と、苦笑い。 ええ、ええ。わかっていますよ。でも、その性格を一部、わけてくれたのは誰かしらねぇ……(笑) で、叔父たちと入れ違いに入ってきたのは、担当看護師のYさん。 まずはごあいさつ。とても朗らかな、20代半ばくらいの女性で、ニコニコ笑顔の、柔らかい雰囲気の方だ。 「今回の入院で、カナデさんの担当をさせてもらいます、Yと言います。わからないことや困ったことがあれば、私やほかの看護師、クラークにも気軽に声をかけてくださいね」 彼女が一緒に引っ張ってきたのは、カートに搭載されたノートPC。その下には血圧計など必要なものが一式揃っている。今は、電子カルテだと前回、書いたけれど、入院病棟でもPC大活躍。すっごいなぁ。 血圧計測すると同時に、右手首に白いものが巻かれた。 「退院するまで、これは外さないでください。大事なものですので」 良く見れば、バーコードと名前、生年月日、入院病棟、血液型が書かれている。と、バーコードに読み取り機をあてると、PCの画面が明るくなった。すごいな、すごいな……本当にすごいなぁ。 「あ、それから、これ」 と、2本のペットボトルを可動式テーブルの上に乗せてくれる。 テレビコマーシャルでもおなじみ、経口補水液のOS-1、500mlが2本。 「これ、夕食後から手術までに2本、少なくとも1本は飲んでおいてくださいね」 とのこと。 というのは、21時以降は水分も摂ることができないから。21時から手術後、A先生からの許可が下りるまで、水分すら摂れないのです。 ところが……血圧が少し高い…… 今まで、あまり気にしてこなかったというか、もともと、血圧は低いほう。 ちらっと母を見ると、母も首をかしげていた。 まぁ、慣れない病院生活、明日は手術だし、血圧というのは、その日によって違うというのもあるし……あと、問題は、熱が37℃台なのだ。体温も低いはずの私。おかしいねぇ、カゼをひいているわけじゃないのにね。 なぜに熱がでているのか……これはこれで大問題を背負っていたのですが……のちほど、書きたいと思います。 さて、叔父とおばが病室へ戻ってきて、看護師長のKさんも交えて話しをして、しばらく雑談も。 母曰く、 「ホント、ここ(私が暮らしている街まで)来るの、一人じゃ無理だわ」 とのこと。 叔父は、長く都内で仕事をしていた。都内にある、とある企業にず~っと長く勤務していた人で、仕事柄、色々なことを知っているし、旅慣れているというのもある。叔父夫婦は、東京駅まで母を迎えに行ってくれたみたいだ。そこから、電車を乗り継いで、最寄り駅からタクシーで病院まで来てくれたとか。 こうしている間にも、私は体の痛みと格闘中。 母は実家から着替えやパジャマなどを持ってきてくれた。もちろん、私も自宅マンションから持ってきているんだけれど、枚数があっても困るモノではない。 うん、やっぱり慣れてる。私が戸惑っているのを、母はちゃんと、理解してくれていて……この年齢になり、まさか、こんなことになるとは思っていなくて。親には迷惑、かけてばっかりだ…… ひと通り、必要なものを揃え終えて、必要書類もK看護師長さんにお渡しした。私も着替えて、でも、一番のお気に入りのクンフー着を上着としてパジャマの上に羽織る。 雑談しつつ……気づけば、15時を過ぎている。 夕方、母は叔父夫婦と一緒に、都内の叔父の家に行くことになった。また明日、来てくれる。 「ごめんね…こんなことになるって…思ってもいなかったから」 すると、母は笑って、 「なってしまったことは仕方ないんだよ。それよりも、これから先のことをちゃんと、考えないとね。まずは明日。でしょ?」 ああ、やっぱり、母は強い人だ。私の母だわ。 入院病棟のエレベータホールまで一緒に行くと私が言うと、3人は一斉に、 「無理しない!」 と、声を揃えたのが、なんともおかしくて……笑ってしまった。 個室のドアが閉じられて、部屋の中が静かになってしまった。母が同じ階の面会室で買ってきてくれたテレビ視聴用のカードを使う。 「……」 ベッドの上半身を起こして、テレビを観やすい位置に固定して、持ってきた文庫を可動式のテーブルにセットして…… ぼんやりと、テレビを観ているけれど……痛みにうなされつつ… 18時、夕食は常食。 あ、牛乳がついてる…しまった、忘れていたことがあった。私、乳糖不耐症で牛乳が飲めないのだ。それを看護師さんに事前に伝え忘れていた。あとで知らせておかないと。 食事の味…覚えていないんだよな、この時。 21時、消灯時間。見回りの看護師さんも、夜勤の方が来てくれる。 「何かあったら、遠慮なく知らせてね」 「はい」 室内の電気は消され、カーテンもしっかり、引かれた。 でも、なんとなく怖くなって、サイドテーブルのライトだけは一番、緩い灯りにしておいた。 上着で羽織っていたクンフー着を、上掛け布団の上に広げる。 電動ベッドなので、眠れるくらいまで角度を下げる。 だけど、眠れないよ、眠れるわけがない。 身体は悲鳴を上げている。 でも、もう少しでラクになるはず……と、自分に言い聞かせながら、ボロボロと涙がこぼれてきた。 情けない、怖い、申し訳ない。 どんな言葉を並べても、今の自分には、何も…… 「どうしたの?」 どれくらい経ったのか、見回りにきてくれた看護師さんがカーテンの向こうから顔を出してくれました。昼間の看護師さんよりは少し年上でしょうか、なんとなく私と同世代っぽい雰囲気があります。 「あ……」 慌てて涙を拭いて、メガネをかけ直します。 「なんか、怖くなっちゃって」 すると、看護師さん、ベッドサイドまで来てくれました。 「うん。わかる。怖いよね。でも、カナデさんが受ける手術って、うちの病院では、週に何人も受けているものなのよ」 「はい、A先生からも聞きました」 「でしょ?A先生だから、なおさら、大丈夫」 にっこり笑って話しをしてくれる看護師さん。 「深呼吸して、目を閉じるだけでも随分違うよ」 「はい」 看護師さんは、ふたたび廊下へ。 静かな病棟。 とにかく、すべては明日だ……                    (続きます)
/120ページ

最初のコメントを投稿しよう!