※追記あり。番外編「そういう人生なんだろうなぁ。」

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※追記あり。番外編「そういう人生なんだろうなぁ。」

このシリーズの本編中に、ちらほらと書いていたこともありますが…… こうなったら、過去のことも思い出して書いてみようかと思います。 がんの腫瘍摘出手術を受けたその日、ICUで、全身の痛みと戦いながら、不意に思い出したことがありました。 「なんでこんな時に……」 まだ実家暮らしをしていた、ハタチの頃のお話しです。 その日は朝から雨が降っていました。 用事があって、となり町まで出かけるために、クルマで家を出ます。途中でどうしても、当時の勤務先へ立ち寄り、ここでの用事を済ませてから、再びクルマで本来の目的地へ向かう途中のことでした。 自分の目の前、左の端にひっかかる人影と自転車。傘をさしたままの自転車が、自分のクルマに向かって走ってくる!(つまり、自転車は逆走してきたことになります)。 「っ!!!」 目の前には水溜まり、自転車ごと突っ込んでくる……で、咄嗟に私はブレーキを踏まず、ステアリングを右へ切った……と、手が滑り、そのまま対向車線にはみ出し、更に歩道へ。 「うああああああ?!」 そのまま歩道の先にあった電柱へ正面衝突! 目の前に迫りくる電柱、今でもはっきり覚えています。 軽自動車が電柱に正面からぶつかる。 シートベルトが瞬時に外れる、身体がバウンドする、顔面からフロントガラスに突っ込む、さらにバウンドして運転席に戻る、クルマのエンジンが唸り、停止する音が聞こえてきて…… 気を失ってしまったようですが、この間、わずか数十秒だと思います。 気づけば、割れたガラスの間から雨が落ちてきて、顔にあたっている。 「大丈夫?!おねえちゃん!声、聞こえる?!」 右側から誰かが大声で私に声をかけてきます。自分が置かれた状況がわからず、顔を動かして、声がするほうへ顔を向けると、そこには白衣を着た女性がいました。 「今、救急車、呼んだからね!」 何が起こっているのかわからず、でも、目の前がぼんやり……なんも見えん。あ、メガネ、メガネ、どこ?と、顔面に手を当てて……あれ?手が滑る。ぬるぬるする?なんで?なんか気持ち悪いんですけれど? と、手を目の前に翳すと、真っ赤なんです。手が真っ赤。状況がまったく把握できていない。雨が顔にあたってる……なんで?? 「あ……」 左顔面から大量出血している! ここで、ようやく、自分が事故を起こしたということに気づきました。 「お、おかあさんに怒られる……!」 と、パニック状態になった私の悲鳴がコレ。 今だから、「なんでコレだったのかしら?」と、思いますが、これはこれで、のちに家族間での、ちょっとした「たいしたことではない論争」のひとつに発展します(苦笑)。 白衣の女性は、割れたガラスの間から、タオルを差し入れてくれました。 「ほら、これで押さえなさい!意識はあるね?聞こえているね?」 「ご、ご……ごめ……」 救急車の音がして、すぐに救急隊員さんがそばに来てくれましたが、クルマの損傷がかなり激しいらしく、運転席ドアが開かない!そこで、隊員さんの声がします。 「顔を向こうに向けていて!」 なんとか顔を背けると、次の瞬間、バキャン!ガシャン!というものすごい音がして、窓ガラスを割って、なんとか、無理やりにドアを開ける音がして、 「もう、大丈夫だからね」 という声と一緒に、運転席から隊員さんが抱き上げてくれました。 「よし、意識はあるね。しゃべれる?」 「は、はい……」 自分の名前、住所、両親の名前、連絡先、勤務先、どこへ行こうとしていたのかという、基本情報を聞かれるままに話し、その後、そのまま意識を失ってしまったのでありました。 なぜ、白衣の女性がそばにいたのか? これは、事故現場の目の前が、ドラッグストアだったからなのです。のちに、お礼に行くのですが、このドラッグストアに勤務していた薬剤師さんが、私に声をかけてくれていたのでありました。 これも、非常に運がいいというか……すごい「めぐりあわせ」だと思います。 また、逆走してきた自転車は、そのまま現場から走り去った様子で、結局、見つかりませんでした。現場がパニックになっていたというのもあるのですが、当時から自転車の逆走は問題になっていたはずです。今もそうだよねぇ… 私が当時乗っていた軽自動車は、かなりの中古。 今のクルマは、ガラスが完全に割れるということは少なくなっています(蜘蛛の巣状にひびが入ることはありますが、砕けるということはよほどのことがない限りはないと思います)が、なにしろ中古でしたから、フロントガラスが完全に砕けてしまって、それが全身に…という具合。 一番は、左顔面にものすごい勢いで降り注ぎ、左眼にまで影響を及ぼした……これが、のちに「とんでもないこと」になります。 で、次に気づいた時は、救急搬送された病院の手術室の中。 誰かが話している声が聞こえます。 「これは、ウチでは難しいな。日赤に連絡、してもらえるかな」 「わかりました」 なんか、慌ただしいな……アタマ、重いな……どうなっているのかな… 「あ、意識戻った?」 誰かが声をかけてくる……あ、お医者さん? 「カナデさん、おうちに人にも連絡とったからね。あとね、申し訳ないけれど、顔面の損傷がちょっと酷いから、専門の先生がいる病院に移る手続き、とっています」 「……はい」 蚊の鳴くような声で返事。 そのまま、私は救急車に乗せられたのですが、そこで母が隣に来てくれました。 「……ごめん……」 私に様子を見て、母は息を呑んだことを覚えていますが、でも、気丈な母は、 「謝るなって。お母さんも一緒に行くから」 と、言って一緒に救急車に乗って、そのまま、となりの市にある総合病院へ移動することになりました。 アタマの上で、ずっとピーポー音が鳴っているのを、ぼんやり、覚えています。 搬送されたのは、当時、新築・移転した総合病院で、その周辺では最新の医療設備が整ったところでした(日赤=日本赤十字病院ですな。この病院は、のちに父がお世話になり、息を引き取った病院にもなります)。 緊急搬送なので、処置室から、CTやMRIなどへも素早く対応してくれて、幸いにも脳波や脳そのものには影響はないことはすぐにわかりましたけれど、問題は左顔面。この時点で、私は痛みの感覚がマヒしていて、どうなっているかはわかりません。 で、手術室へGo。 この時は、意識もだいぶはっきりしていて、手術してくれる先生や看護師さんともコミュニケーションがとれます。あと、意識があるということで、 「なにか聞きたい曲、ある?」 と、看護師さんから聞かれました。どういう意味なんだろうと思っていたら、手術室でかけてくれる音楽を選択できるというのです(今もやっているのかなぁ?)。 当時からフュージョン・ジャズ系が好きだった私。すると、USENでジャズ・フュージョンのチャンネルを選択してくれて、それが手術室の中に流れ始めました。これには驚いた、マジで。でも、嬉しかったし、パニックになっていた気持ちが少しずつ、落ち着いた感じがしてきました。 一度、縫われた顔面を見ながら、先生がこういったことを今でも覚えています。 「ひでぇ縫い方だな、こりゃ(カルテを見て)……まだハタチだよね。女性だし……よし、縫い直そう!出来る限り、綺麗に縫い直すよ」 その後、先生は丁寧に縫い直しをしてくれました。 ただし、腫れあがった顔面を縫い直すので、どうしても「誤差」は生じます。今でも左眼周辺は、少しだけ違和感が残っていますが、それでも見た目はとても綺麗になっています。日本の医療技術ってすごい! この時点で、左顔面が、完全に損壊していました。骨にひびも入っていたようで、麻酔が切れかかってくると、ものすごい痛みが襲ってきます。 手術室を出て、病室へ移動。 ところが、どうしても違和感が抜けきれない。開かない左眼、なんか変だ。 外科の先生が、小さなライトを当てて、左眼まぶたを押し上げて様子を見てくれますが…… 「これ、なんか変だ。カナデさん、これ、指、何本、たてているかわかるかな?」 と、左眼の前に、先生が手をかざして、何か示していますが、それがわからないのです。 「……わからないです」 「ん、OK、わかった。眼科のK先生、呼んでくるね」 そう言うと、今度は眼科の先生がすぐに来てくれました。左眼をもう一度、確認してから、 「あー、水晶体、なくなっているかなぁ、これ。眼の中も切れてる」 えええええええええええええええええ?!?!(心の中の叫び) そして、再び、手術室へ(涙) この日、3度目の手術室でございます。 局部麻酔をしてもらい、左眼のあたりになにやら機械が…顕微鏡みたいなやつですね。 それで左眼を覗き込みながら、縫うという手術。 「眼の中って縫えるんですねぇ……」 と、私が呟くと、 「それが僕たちの仕事だからねぇ」 という先生の返事。 このK先生も、ユニークな先生だったなぁと、今になっても思います。 見た目が、非常にのんびりした、どこかにいる「おじちゃん」という雰囲気だったことも覚えています(のちに独立・開業されました。今も開業された病院、地元にあります)。 そして、再び病室へ。この日は個室に移動しまして…… えー……あー……もう、この日の夜は、全身の痛み(事故の打ち身も酷かったし、手術後の痛みと熱もすごかったし)との戦いでございましたよ、ええ。 あの日の夜も、長かった……眠れなくて、唸っていて、術後の熱に苦しんでいる私を、母は一晩中、看ていてくれました この時、私は左眼の「モノを形として捉える」という部分を失いました。 モノのカタチを捉えることができません。 完全に見えなくなったわけではないのですが……光だけはわかりますが、水晶体がないので、光の調節ができません。つまり、太陽の光などには弱いんです。あと、LEDも苦手。だから、自分の部屋の灯りは、淡いオレンジ色のLEDにしています。白熱灯がダメってことですね。 サングラスも常時、持ち歩いています。 また、聴力にも影響があったみたいで、今でも左耳が聞こえづらいです。 見た目にはわからないですが、お酒を飲んだ時などに、左顔面の縫合跡がうっすら、浮き上がります。 事故後、日赤病院には2年ほど、通院しました。 また、仕事への復帰は3か月、かかりました。 ある日、仕事をしていて、左眼の眉あたりに違和感があって、なんだろなーっておもっていたら、なんか、白い塊が出てきてる。 「あれ?」 と、それを引っ張ってみたら、なんと、ガラスの破片!!そう、クルマのフロントガラスの破片が出てきたんです。 「うわっ、これはまずい……!」 流血!! 慌ててハンカチで左眼を抑えて、事務室へ行ったら、事務の仕事をしていた同僚が、私の顔をみて悲鳴をあげるということもありました(笑) 今でも、顔面疼痛、あります。これも死ぬまでお付き合いなんだろうな。 「……」 がんの摘出手術後のベッドの上で、過去のことを思い出したのでありました。 なんか、人生のあちこちで、私、ケガとか病気をしている気がする。 駅構内で仕事をしていた時、誤って階段から転げ落ち、両足首捻挫したり、アタマにモノが当たってケガをしたり、インフルエンザで2週間弱、苦しんだり…… 首都圏に暮らしてからも、パワハラやセクハラでココロが完全に壊れてしまったし…… まだまだ、たくさん、あるのですよ、実は。 なんだかなぁ……家族に心配ばっかり、かけてる。 でも、そういう人生なんだろうなぁ……とも、思っているのも事実です。 「人生はショウタイム!」 なんてセリフも思い出したりしましたわ(笑。モトネタ、わかります?) だけど、やはり、卵巣がんを患ったことが、一番の「ハプニング」。 まさか、内科的なことで、ここまで苦しむことになろうとは…と。 人生いろいろ。 まぁ、人それぞれ、いろんな道を歩いているわけです。 人の数だけ、生き方や人生がある。 価値観も様々。 自分が経験してきたこと、経験していること……それによって、価値観って変わってくるものですよね。 この先、私にはどんなことが待っているのやら。 でも、これ以上、できれば、病気やケガはしたくないなぁ…… 【追記】 クルマの運転は、事故から半年後、再開しました。 この事故のおかげで、運転技術を改めてしっかり、見なおしました。クルマ好き・運転好きの父が、徹底的に私につきっきりで色々、教えてくれました。 その後、新車を購入(自分の人生で、初めての大きな買い物)、どこへでもクルマでひとりで、出かけるようになりました。 今も、クルマの運転は大好きで、現在の仕事は、クルマやバイクに関する仕事に就いていたりします。 ええ、懲りていませんよ。 むしろ、大好きになりましたよ。 クルマだって、かわいがってあげれば、自分の手足のように操縦できるようになるし、応えてくれる。機械だって「いきもの」ですからね。 クルマはマニュアルに限る!(笑) あ、ATも運転できますよ~。私はAT限定じゃないですから、両方とも運転できます。                (続きまーす)
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