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衝撃の事実と、術後の苦しみと…
え、はっ、はい?!
「左の卵巣、破裂していたのよ」
母が言った言葉に、目を丸くする私。
いや、それ……何?私、なんにもわかっていないんですけれど。
「知らなかった……」
「ええ?!」
私はこの時、まだ手術して摘出した実物を見てないのだが(写真で後日、見ることになる)、母と叔父夫婦は、手術後の摘出したものをしっかり、見ている(実物を見ながら、A先生が説明をしてくれたのです)。
後日、私は写真で見たのだが……まぁ、保健体育の教科書に載っている通りのカタチをしているんだよね、卵巣と子宮と、その周囲。
ところが、左側の卵巣が見事に破れていたのだ。
で、記憶を手繰り寄せて考えた。
話しは、入院する3日前に遡る。
2回目の手術前検査を前にした日だったか。
近所のコンビニへ買い物に行ったのだが、その帰りに足元をふらつかせ、そのまま派手に転倒したのだ。
「うげっ!!!!」
その時、膨らみ過ぎたお腹をそのまま、道路にたたきつけて、呼吸が出来ないくらいに痛みに苦しんだ。よれよれになりながら、起き上がり、必死にマンションの階段をあがって、部屋に戻って、お風呂に入って……痛みがすごかったのは覚えてる。
で、お風呂から上がった直後に、気を失ってしまったらしい。
「らしい」というのは、ふっと気づいた時、ミニキッチンで倒れていたからだ。気を失って倒れるっていうのは、記憶がある限り、生まれて二度目(中学生の時、一度やってる)。
「……あ、生きてる……」
どれくらい気を失っていたかはわからない。
でも、必死に着替えて、そのままおふとんに転がって……
そのことを思い出した。
ちょうど、そこへ着替えたA先生とICU専属の看護師さんがやってきて、この話を途中から聞いていたのだが……
「それよ!」
と看護師さんが叫んだ。
「どうしてその時、病院に連絡しなかったの?!」
「へ…?」
「卵巣が破れるっていうのはね、女性にとっては「死ぬこともある」くらいの、大変なことなんですよ」
A先生も、静かに、でも、しっかり私の顔を見て話しを続けてくれた。
「よく生きてたと思う、本当に……あと、熱が下がらなかったのは、そのせいですねぇ」
しみじみ、少しだけため息をついたA先生。
「過ぎてしまったことは仕方ないです。でも、ホントに……よくまぁ…それじゃあ、全身の痛みは尋常じゃなかったはずですよ。よく我慢していたと思います。ふつうの痛み止めじゃ効かないはずですし」
と。
母も、少しあきれ顔ながらも、でも、泣き笑い状態。
私も、初めて知ったことで……
「す、すみま、せん……」
酸素マスクを取り付けられているのと、麻酔が切れかかってきて、別の痛みが全身に押し寄せてくるので、私は混乱しつつ、謝る言葉しか出てこなかった。
「でも、もう大丈夫ですよ。それらも含めて、悪いところは、全部除去したから。今夜は、看護師の話しを聞いて、身体を休めてください」
A先生がICUを出ていく。
「ありがとう、ございま、す…」
アタマの上に心電図があって、それらを見ていた母が言った。
「やっぱり、血圧、高いわねぇ」
私からは心電図が見えていないけれど、母が言うのだから間違いはないだろう。
その後、叔父夫婦も顔を出してくれて、母と一緒に再び、都内へ帰っていった。
ICUの中では、消灯時間の21時になるまで、Fm-yokohamaがかかっていたのを覚えている。ジングルで、エフ横だとわかった。ラジオは時間を知るのに一番、的確だからね。私も一時、地元ではFMを聞いていたから。
そ、それにしても……
術後の痛みと熱が全身を襲ってくる。
背中に入れられた麻酔は、15分ごとに看護師さんがボタンを押してくれるのだが、そのうちに私が押してもいいことになった。というのは、1回押すと、どんなに痛くなっても15分間はボタンが押せないようにセッティングされているからだ。
今回の手術。
私の場合は、おへその少し上あたりから、尿道の少し上くらいまで、バッサリと切開した。かなりの大きな跡だと思う。卵巣・子宮の全摘手術ってすごいよね。これだけの傷になっちゃうんだもん。
「うう……」
水すら飲めない。
でも、口には酸素マスクが取り付けられているので、否応なしに酸素が強制的に送り込まれてくる。のどはもちろんだが、唇も、口の中も乾いてしまう。必死に唾液で補おうとするけれど、追い付かない。
さらに、術後の熱がすごいことになり、看護師さんが定期的に回ってきて熱を冷ますための保冷バッグなどを入れ替えてくれたりする。
そして、麻酔が切れた後の痛み。
合成麻薬(痛み止めね)を入れても、効きゃしねぇ!
15分ごとの痛み止めなんぞ、気休めにしかならないんじゃないかと泣き叫びたくなるくらい。でも、声も出ない。唸ることしかできない。
想像できるだろうか?これ、ホントに凄まじい痛みだよ。
ところで、この日……2016年12月22日の夜、大きな事件があったのだが、覚えている人、いるでしょうか?
私は翌朝に知るのですが、新潟県糸魚川市の大火があったのですよ。
私が入院していた病院は関東地方に所在しているけれど、確かにものすごい風が強くて、病院の敷地内にある大きな木々……ざわざわと木々がざわめく音、風が起こす音がすごかったのも、覚えています。
敷地内には、欅の大木がたくさん、あるのです。
でも、私の場合はそれどころではなくて、自分の中の「火事」と格闘することで必死。
もう、この日の夜が長かったこと長かったこと。
若い時に、事故で入院したその日の夜も、全身打撲で、さらに顔面縫合して、熱が出てとんでもない痛みで苦しんだんだけれど、それよりもずっとずっと…しんどい。
痛い、苦しい、しんどい……
痛い、苦しい、しんどい、のど渇く……
文章になんて表現しきれない。
麻酔を入れるスイッチを押す15分間がもどかしい。
寝返りなんて打てないし、痛い、のど渇いた、苦しい、痛い……
夜が明けない、風が強いのは聞こえてくる。
途中でうとうとするんだけれど、完全には眠れない。
……これ、絶対に経験しないとわかってもらえないと思う……
ようやく、外が明るくなってきた。
カーテン越しに、光が少し差し込んでくる。風は相変わらず強いけれど、段々と明るくなってきて、ICUの中も電気が点けられて、Fm-yokohamaが再び、流れてきた。
気づけば、酸素マスクの音がしてこない。呼吸がラクだ。でも、全身の痛みはまだある。でも、口の中と唇、かっさかさ……乾いてる。
「おはようございます、カナデさん」
ICU専属の看護師さんが、カーテン越しに顔を出してくれる。
「おはよう、ござい、ます…いたいよー……痛いですー」
「ん、だいぶ血圧、戻ってるね。酸素量も大丈夫、落ち着いてますよ。痛みだけはねー」
と、心電図の画面を見て、看護師さんが笑ってくれた。枕の横にあった麻酔の入った瓶の中は、まだ少し残っているので、そのまま継続。額に乗せていた冷たいタオルや、カラダの横に入れてくれていた体温を下げるための枕などを交換してくれながら、看護師さんが、
「もう少ししたら、肺のレントゲン撮りますね。それでOKが出たら、お水飲めるから、もう少し待っていてくださいね」
と、言ってくれる。
あうー、まだダメなのか。
「はーい……」
声だけは元気。私の声は、かなり発音もよく(趣味柄・仕事柄というのもあるだろうなぁ)、さらに「通る声」をしているので、ICUの一番奥にいるのに、入口まで聞こえたらしい(笑)
エフ横の放送を聞きながら、うとうと…少し安心したのかもしれない。身体のほてりはあるけれど、だいぶ落ち着いたのかなぁ……うとうと……
と、ガラガラガラ…という重い音が聞こえてきた。
みれば、大きな機械を転がして、看護師さんふたりと男性がひとり、やってきた。レントゲン技師さんだ。転がしてきたのは、移動式のレントゲン撮影の機器。うわ、今はこういうのもあるんだ!
で、看護師さんとレントゲン技師さんたちが色々手助けしてくれて、肺のレントゲンを撮影。撮影が終わった後に、
「はい、終了。しばらく待っていてくださいね」
と、技師さんも笑顔で対応。ホッとしたなぁ、これにも。
かなり規模の大きい総合病院、もっとがさつというか事務的だと思っていたのに、そんなことは全然、感じられない。忙しいはずなのに……もちろん、そういう方針なのだろうが、それが入院患者にとっては、ものすごい嬉しく、安心できるものなんだよね…ホッとするんだよね。
ここ、大事なところだよなぁ。医療従事者の方々って、本当に「よくできた人」が多いなぁと、改めて思った。
「いてぇ……」
落ち着いたとはいえ、まだ痛いことには変わりない。
外はすっかり、明るくなっていて、ICUの中も、看護師さんたちが交代するための準備をしたりなんだりしている様子がなんとなくわかる。様子を見に来てくれる看護師さんたちと、少しずつ会話をしながら、どれくらい待ったかな……最初に来てくれた看護師さんが来て、
「カナデさん、先生から許可出たよ。肺の中も大丈夫。お水、飲んでいいですって」
と言ってくれた。
「やったー……!ばんざーい!お水飲める~……!」
張りはないけれど、声だけは元気(笑)両手をゆっくり挙げてしまった。
吸い口の容器にお水を入れて、看護師さんが持ってきてくれた。酸素マスクをようやく外してもらう。ああ、やっと楽になった。
「持てる?ゆっくりでいいからね、身体がびっくりしちゃうから、ゆっくり飲んでね」
「はい……」
両手でなんとかそれを持って、ゆっくり口に含む。常温だったけれど、すっごく冷たく感じた……単なるお水が、こんなにおいしいなんて思わなかった。
口に含んで、口の中で転がして、ゆっくりと飲みこむと、じわじわ~っと喉を伝って、胃に落ちていく感覚がわかる……
単なるお水が、こんなにおいしいなんて……思わなかったわ。
「あ~……おいしい…!」
「そりゃよかった」
しばらく、吸い口を胸の上に置いていたら、看護師さんが、
「あ、しっかり持ってるし(笑)」
と、笑ってくれた。
と、そこへ白衣を着たI先生が来た。今日はA先生はお休みの日だそうで、I先生が様子を見に来てくださったのだ。
「お、思っているより元気だなぁ」
「声だけです……(笑)」
縫合した部分をチェックしてくれて、心電図やほかのデータなどをチェックしてくれてから、
「うん、大丈夫ですね。じゃあ、病室に戻ろうか。そのほうが、ゆっくり、休めるでしょうから」
ということで、ベッドに横になったまま、ICUを出ることになった。
吸い口をお返ししながら、色々、お世話をしてくれた看護師さんにお礼。と、担当看護師のYさんが迎えに来てくれた。
「あー、Yさん……」
「おはようございます、カナデさん。迎えにきたよ~」
と、少しおどけてくれる。私の様子を見て、
「わー、見事におなか、綺麗にへこみましたねー。よかったですねぇ!」
「うん、おなかの張りがなくなっただけで、すごい楽になりました……」
ICUを出て、病室まで移動。スライドドアを大きく開けて、そのまま部屋の奥へセッティングしてくれた。
カーテンも開けられて、綺麗な室内。
お気に入りのクンフー着は、きちんとハンガーにかけられていて、それをYさんが拡げてくれた。一緒に持ってきていたストールも。
「Yさん、ありがとうございます…」
「いえいえ、無事に終わってよかったですよぉ。あ、お手洗いに行くとき、お声掛けてください。ちょっとやってもらうこともあるので…」
あ、それって最初にもらったプリント用紙に書かれていた件だ。
ベッドの角度を少し上げてもらってから、着替える。おなかに巻いた腹帯に体液がにじんでいたので、それも新しいものに交換。前開きのパジャマは母が持ってきてくれた。
メガネもかけ直して、ようやく落ち着いたころ、母と叔父が顔を出してくれる。おばは別件の用事でお出かけしたそうだ。
「グッドタイミングだったね。よかったねぇ、病室に戻ってきたんだ」
「うん。お水も飲めるって。というか、水分、摂ってくださいって言われた」
「そう思って、ミネラルウォーター、買ってきたぞ。冷蔵庫に入れておくからな」
「ありがと……」
テレビなどが備え付けられたテーブルの下に、小さな冷蔵庫があるので、そこに入れてくれた。
K看護師長さんがやってきて、今の状況を母たちに説明してくれる。
少し雑談して、必要なものの購入と、母に洗濯してもらいたいものをお願いした。欲しいものは売店にお願いすると、配達もしてもらえるのだが、さすがにそこまでは…という遠慮もあった。
一緒にいた叔父にも、あらためてお礼を言うと、
「いいんだよ。かわいい姪っ子なんだからさ、おまえさんは。遠慮なんていらん」
と。辛口の叔父だけれど、ホント、この時ばかりは嬉しかった。
でも、叔父が笑った。
「婦人科の病棟ってのは、男にとっては、気恥ずかしいものだなぁ」
あー、なるほど(笑)なんか、わかる気がする。
という話しをしている間も、まだ痛い。手術した後が痛い。
合成麻薬も完全に底をついたので、また別のものを繋いでもらっている。身体にはドレーンが数本、入ったままだ。点滴もあるし。
それでも、会話していても呼吸がラクだし、スムーズに話ができる。これが、どれだけありがたかったか。
夕方、母と叔父が帰っていったあとに、スマホを取り出す。
来ていたメールに返事をして、派遣元の担当・Tさんにも無事に手術が終わったことを報告。
そして、とある方へも報告をする。
「無事に終わりました。ICUから病室に戻りました…」
しばらくすると、その方からDMで返事が来た。その文章を読んで、本当に嬉しかった。ありがたかった。うれしかった……本当に。
ちなみに、その日の夕方から、食事が解禁されたのだが、内容的にはほぼ、すりおろされたり細かく刻まれたりした食事。お味噌汁も具なし。重湯。
でも、ほとんど、口にできなかったけれど…それでも、少しずつ、口の中に入れた。ほんのわずかな味付けでも、わかるというのは、大事なことで、お味噌汁の味が、本当にありがたかった。
食事の後に、処方薬を口にする。ああ、やっと……人心地、ついた。
テレビをつけて、それを見ながら、ゆっくり過ごす。
糸魚川市大火も、この時に初めて知った。
夜の回診後、Yさんとも話しをして、消灯時間まで過ごす。
持ってきていた文庫を、手にしていたりしたけれど、うとうと……ようやく、うとうと……
痛いのは相変わらずだけれど、やっと、少しは眠れそうだ……
(続きます)
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