退院の日。

1/1
202人が本棚に入れています
本棚に追加
/120ページ

退院の日。

この章は、少し駆け足で。 年末ということもあり、また、周囲の人たちには入院や手術のことはほとんど、話していなかったので、お見舞いに来てくれたのは、古くからのつきあいのある、年上の友人・Mさんと、その旦那さんだけ。 Mさん(私は「ねーちゃん」と呼んでいる)も旦那さんも、手術前の私を知っているので、ビフォーアフターに驚いていたっけ。 「まったく、あんたって子は……」 と言いながらも、涙ながらに安心したと言ってくれたねーちゃん。それが、本当に嬉しかった。 手術して数日後、洗髪の許可が下りた。 同じ病棟の違うフロアには妊婦さん用のフロアがあって(産婦人科もいっしょだからね)、その奥にあるシャワールームの洗髪台を借りることが出来た。 おなかの傷の痛みはあるけれど、清拭だけじゃ追い付けないのが髪。 もともと、短髪なのでお手入れはそれほど苦にならんが…でも、洗髪できることが嬉しくて。 お気に入りのシャンプーとコンディショナーを小分けにして持って行ったから、それを使って洗髪。あー、気持ちよい。 シャワールームを出ると、すぐにスタッフステーションがあるんだけれど、クラークのIさんが、 「あ、髪、洗ったのね~。待ってて、ドライヤー持ってきますね」 と言って、貸し出し用のドライヤーを持ってきてくれた。病棟とはいっても12月だからね、冷える。ドライヤーでしっかり髪を乾かして…あー、さっぱりしたー! 手術後、初めての血液検査。 ある日の朝、回診時に担当看護師のYさんが採血してくれたんだけれど、これがまた、大変なことになった。 というのは私の血管、もんのすご~い「細い」のだ。さらに、針を入れようとすると、皮膚の下へ「潜ってしまう=逃げてしまう」という、非常にビビりな血管。どの病院で採血しても、これは看護師さんや検査技師さん泣かせ。 「Yさん、ごめんね…」 「いやー、これは確かに大変ですね(笑)でも、時々、いらっしゃるんですよ、なかなか採血できない患者さん。私たち看護師には、やりがいがありますけれど」 ああ、なるほど(笑) 術後4日目、シャワーの許可が下りた。シャワールームが開いている時間は、スタッフルームのところにホワイトボードがあってそれを見て、空いているところを選択、名字だけ記入しておけばOK。 これもねー、ゆっくりゆっくりだけれど、お湯を浴びるっていうのが、本当に気持ちよかったのよー!(涙)こわばっていた身体が、お湯の温かさ、蒸気の暖かさでほぐされていくのが、とってもよくわかった。 病院の中をゆっくり、歩くこともできるようになった。 本当はコーヒー飲みたかった…面会室にはコーヒーメーカーもあったけれど、A先生からは許可が下りていないので、コーヒーはお預け状態。その代わり、酸っぱいものが欲しくて仕方ない。妊婦さんじゃないけれど、甘酸っぱいものが欲しくてねぇ。 小銭とスマホを持って、入院病棟から外来病棟の端っこにある売店へリハビリがてら、歩くようになっていた。この頃には、点滴も外されていて、動きもだいぶ楽になっていた。歩き方も、マシになってきているが、スピードだけは戻らない。とにかく、バカみたいに広い敷地なので、時々、休みながら(廊下のあちこちにベンチがあるので、それらを使わせてもらいながら)、売店と病棟を行き来する。それらも、少しずつ、時間が短くなってきた。 売店で購入していたのは、カゴメの野菜生活シリーズの果実入りジュースとか、レモン味のグミ。 食事制限はないが、でも、食べ過ぎもよくない。が、食べられる量が驚くほど少なくなっていることにも気づいたよ。 手術後7日目、おなかの抜糸。 この日の病棟担当・婦人科のS先生が豪快に抜糸してくれた(笑) 「せんせー、痛いですー」 「一瞬だってば(笑)」 かなり大きな傷だ。でも、自分のおなかの傷が見られるっていうのは、それだけ、おなかの出っ張りがなくなったということ。 術後9日目、A先生の退院前診察。 「うん、いいね。経過良好です。ああ、コーヒーも今日から解禁!ホットコーヒーにしておいてね」 診察を終えてから、A先生はニコッと笑ってくれた。 「よかった~……」 「でも、アルコールは当分ダメだからね」 「あ、はい」 いえいえ、先生、今はコーヒーが飲めるようになっただけで、うれしいです、私。 術後10日目、12月30日。いよいよ退院の日。 朝、食事を終えてから着替える。 「あらら~……」 着替えながら、思わず苦笑いしてしまった。 手術前と手術後の体格の激変ぶりがすごいわかったんだよね(笑) 入院当日に着てきた服…私はエスニックコーデが私服なので、サルエルパンツとチュニックを重ね着してきたのだが、それがモノの見事にガボガボなのだ。特におなか周りとウエストが。ぱっつんぱっつんの状態から、元に戻ったというのが一番、正確な表現だと思うのだが……びっくりした。 「まあ、嬉しいことではあるんだが…」 だけどこれ、ビフォーアフターがすごすぎる。 その後、荷物をゆっくりまとめていると、K看護師長さんとYさん、Iさんが来てくれた。 改めて、お礼を言って、必要書類をいただいていたら、そこへ叔父夫婦が来てくれる。書類を見た叔父が頷いてくれた。 ずっと、手にしていた白いバーコードバンドが外される。 ベッドを整えて、忘れ物がないかチェック。スタッフステーションで、クラークさんやその場にいた看護師さんたちに丁寧にお礼を言って、総合受付へ移動する。おばが荷物を持ってくれた。 「いいのに…」 というと、おばは、 「重いものを持ってはダメって言われなかった?」 と、厳しく言われた。 そういえば、A先生とK看護師長さんに、この先の生活するうえでの注意事項をもらっていたが、その中にも書かれていたっけ。ちなみに、シャワーはOKだが、湯船につかるのはまだ許可が下りていない。ひーん、これは辛い…!ほかにも色々…… で、なぜ、おばがここまでしっかり、私に言ったのか……これはあとで知ることになるのだが、実はおばも、がんの手術を経験したからなのである(箇所は違うけれどね)。これ、本当にびっくりした。 12月30日の病院は、すでに仕事納めされていて、総合受付も閉鎖されている。総合受付、めっちゃ静か。で、入院費などの清算はどうするかというと、休日受付窓口で清算してもらうというカタチになる。 しばらく待つと、名前を呼ばれたので、叔父と一緒に窓口で必要経費をお支払いするのだが、その金額に一瞬、めまいがした。ネットで費用などは調べていたけれど、実際に見てみると……うわあああああぁぁぁぁ…… 「あとで派遣元の保険担当に高額医療費の請求、しないと……」 「ま、本当は、入院前に出来ればよかったけれど、急ぎだったから、そこまで気がまわらなかったのは仕方ないさ」 と、叔父。 部屋代や食費は別として、手術やら投薬やら……うああああ、こんなにかかるものなのか…さらに、後日になるが、社会保険制度のありがたみが、この時、ほんっとに本当に、ほんとおおおおおに身に染みる金額である…… この後、高額医療費や病気療養中の請求関係で、ドタバタするのだが、それはまたのちほど。 ここで、ひとつ注意。 いわゆる「生命保険・がん保険」みたいなもの、私は入っていなかったのよね。 というか、本当は入ろうかと考えていた矢先に、今回の出来事だったもんで……間に合わなかったというのが正しい……というのを、ここに書いておきます。 さて、病院前から、都内にある叔父の家まで帰る。 病院から自宅マンションには寄らず… ……と、書いたところで思い出した。 12月28日の夕方、A先生と看護師長さんの許可をもらって、こっそり、一晩だけ、自宅マンションへ戻ったんだよね、実は。これ、かなり無理を言ったことになる。 というのは、退院したら、そのまま都内の叔父の家に行くことは、この時点ですでに決まっていて、さらに年明けには新幹線に乗って実家に戻ることが決まっていたからだ。 だから、その前にどうしても帰って、確認したいことやらなにやらがあって、無理を言って外泊許可をいただいた。 28日の夕食後、自宅マンションに戻り、しっちゃかめっちゃかになっていた家の中を片付けられるだけ片付け(といっても、限度があるので、必要最低限のことだけをやった)、ポストの中を片付け、その日はそのまま、就寝。 もちろん、痛み止めやらなにやらの薬も持たされていたから、無理だと思ったら、すぐに帰宅すること、翌朝は10時までに病院へ戻ることという条件つき。 PCを開いて、溜まっていたメールなども片づけたり、連絡をしばらくしていない人に、お詫びと今の状況を説明したメール返信も数通。あとは派遣元の担当・Tさんへも連絡(Tさんとはスマホでやり取りすることのほうが多いが)。 今度、ここに戻ってこられるのは、年明け……2017年の1月半ばになるだろうというのもわかっていた。 翌朝、しっかり施錠して、某所に立ち寄り、そのままタクシーで病院へ戻った。クラークのIさんと、看護師のIさんが、ホッとした顔で迎えてくれたのが、今でもよく覚えている。 さて、手術後の長距離移動、きっつい…タクシーの運転手さんがとてもいい人で、叔父とウマがあったみたいで、その会話を聞きながら、おばによりかかって、うとうと…… 「そういえば、お昼…何が食べたい?」 と、おばに聞かれて、咄嗟に答えたのが、 「ラーメン、食べたい」 だったのが、自分としても笑える。 いや、本当に食べたかったのよー!(笑)病院食……今の病院食って、ホント、おいしいんだけれど、私、ご飯(重湯)がダメになっちゃってて…で、どうしても「濃い味」が恋しくなっていたんだろうなって思う。 叔父の家は、都内某所にある、マンションの3階。久しぶりに来たなぁ。 「ほら、着替えて、楽にしていなさい」 「気遣い無用だからな」 あれやこれやと世話を焼いてくれる叔父とおば。ひとり息子のNくん(私にはイトコにあたる)は、今は自分で部屋を借りて、となり町に暮らしている(近いんだけれど、仕事の都合上というのが大きいみたい)ので、Nくんの部屋をそのまま、借りることになった。 と、叔父が、 「おい、スーパーに言ってくるけれど、なにか欲しいもの、あるか?」 と、声をかけてきたので、まず、お願いしたのはミネラルウォーター。が、キッチンにあったのが、最近、よく見かける、ご家庭用ミネラルウォーターサーバー。それも、私が大好きなメーカー。おお、これはすごい。 「これ、自由に飲んでいいぞ」 叔父も過去に、ちょっとした病気をしたことがあり、健康については蘊蓄もあるので、ありがたくいただくことにしたが、叔父がその後、2リットル入りを数本、購入してきてくれて、部屋の入口に置いてくれた。夜中でもキッチンに行かずに飲めるようにという配慮だったみたい。 その他にも、果物が食べたいというと、叔父は、 「わかった」 と言ってくれた。 マンションの前にスーパーがあるんだよね。 この周辺、住宅街。叔父夫婦は、随分前から、ここに暮らしている。芸能人さんやらタレントさん、役者さんも暮らしている街だけれど、決して高級と言うわけではなく、素朴な、昔ながらの都内の住宅地だ。すぐ近くには、大きな公園や某大学もあったりして、にぎやかな地域でもある。 叔父たちが買い物に出かけている間に、実家に電話。 「無事に退院したよ」 というと、母は電話の向こうで、ホッとした声で返事をしてくれる。 父、末弟、祖母にも伝えてねと添えて、電話を切った。 その後、もうひとり、どうしても退院を伝えておきたい人がいたので、その人にもメール送信。 しばらくして、 「よかったね~!まずはおめでとう!」 という内容の返信がきた。ホント、うれしかったな~。 ちょっと時間は過ぎちゃったけれど、お昼をいただく。 料理上手のおばが作ってくれた「ちゃんぽん」。野菜たっぷりで、かまぼこもちゃんと入っていて……あー、ちゃんぽんなんて、ホントに久しぶり(涙) これ……わかってもらえるかなぁ? 「おいしー!」 「あ、よかった~」 病院食はおいしかったけれど、カロリーやらなにやらが計算されていて、薄味がメインだというのは私も理解している。だけど、やっぱり、ジャンキーな食べ物って……ニンゲン、やっぱり食べたくなるものなのよね。 食事制限はなかったので、これは感謝。ただし、山のようにもらってきた処方薬があって……ご飯を食べた後、それらを仕分け作業。この頃は、手術後の痛みだけだったから、まだ指先は動くし、感覚はあった。でも、手術後の痛みって、ホント……痛いのよ…私の場合は、おなかをバッサリ切った=全摘手術だったし、鎮痛剤もあくまでも緩和するだけ。身体を冷やしちゃいけないので、おなかにもカイロを入れておりました。 テレビを見れば、年末年始編成になっている。 さっき、タクシーで戻ってきた時、車内から街を見れば、どこかせわしない雰囲気。門松が出ていたりなんだり…… 「あー、年末なのね」 っていうのが、とてもよくわかった。 でも、とにもかくにも、無事、退院。 まずは、ひと安心。 そして、私は、叔父の家で、年末年始を過ごすことになる。                   (続きます)
/120ページ

最初のコメントを投稿しよう!