年末年始から1月中旬まで。

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年末年始から1月中旬まで。

12月31日の夕方、イトコのNくんが帰ってきた。 実に10年近く会ってないので、めっちゃくちゃ久しぶりに顔を見ることになる。ああ、叔父さんにそっくりだ(笑) 「ねえさん、ひさしぶり。話しは聞いたよ。体調はどう?」 「おかえりー。ありがとうね。今回はホントにお騒がせしております…」 「いやいや、気にしてないよ。むしろ大変だったろ?あ、これ、おみやげ。母さん、これも一緒にメシに出して」 Nくんは販売の仕事をしている。今回の年末年始も、元日のみのお休みだそうだ。しかし、こんなに身長高かったか、こいつ…180センチ近くあるのよ。思わず見上げちゃった。 年末の食事は4人で。 私は仕事柄、年末年始はほとんど、実家に戻れない。また、戻っても、実家も冬の仕事で誰もいないことも多かったんだよね。ここ数年は、そういうことも少なくなってきたけれど。 お手伝いしようとしたら、おばにたしなめられた。 「余計な気遣いは無用だって(笑)ほら、座ってなさい。N、手伝って」 「へーい」 叔父は、日本酒が大好きで銘柄も決まっている。でも、叔父も病気をしてからは、それほど無理な飲み方はしなくなったと笑う。現役時代は仕事柄、接待や付き合いなどが多かったはずだからなぁ。今も、月に一度か二度、仲間と飲むのが楽しみだと言っている。 「酒飲みの遺伝子は、絶対に母方だな、うちは」 と私が笑うと、おばも大笑いしてくれた。 この日の夕飯は、あったか鍋物。これが嬉しかったんだ、本当に。 鍋物って、3~5人くらいで一緒に食べるの、楽しいよね。首都圏暮らしを始めてから、なかなか鍋物を食べなかったけれど…でも、この日は嬉しくて嬉しくて。 無理をしない程度に、ゆっくり食べる。目では「食べられるかな」って思っても、実はなかなか多くは食べられない。 「おいしい…」 「おう、そう思えるのは、幸せだよな」 と、叔父が笑ってくれた。 話しをしているうちに、除夜の鐘がかすかに聞こえてきた。 「おまえさんは寝なさい」 「はーい」 コドモ扱いされている気がしないでもないが(笑)、でも、こういうやりとりは本当に本当に久しぶりで、嬉しかったんだよ。 明けて、2017年1月1日。 新年のご挨拶をしてから、おばが用意してくれたお正月の朝ごはん。 「カナデちゃん、お餅、ひとつでいい?」 「あー、ひとつで大丈夫です、はい」 お刺身。大好きなお刺身……うう、食べたいけれど、まだナマモノは出来れば避けないとならないので、ぐっと我慢……していたら、叔父が、 「ほれ、少し食え。正月だからな。少しくらいは食べても許されるさ」 と、ちょっとだけ小皿に盛ってくれたのが、マグロ!マグロとタコ!サーモン!茹でたわかめ♪ あと、叔父の飲んでいるお酒も、ちょっとだけ……ホントに舐める程度に。うん、おいしい。お正月だよな…うん。 その後、4人で、叔父のマンションのすぐそばにある小さな神社へ行くことにした。着替えてから、ゆっくりと階段を下りていると、Nくんが、 「ねえさん、掴まっていいよ」 と。あちゃー、こんなこと、言えるくらいになったのか、こいつ(笑) 外は晴れていたけれど、気温が低い。ご近所の小さな神社へ向かうと、あら、けっこう人がいるわね。お正月…都内の住宅街でも、お正月らしさが感じられる。 叔父やおばは、ご近所さんと新年のごあいさつ。 ちょっと歩くのがしんどいけれど(痛いんだよ……)、でも、Nくんや叔父たちが気を遣ってくれて、ゆっくり歩いてくれる。 んで、初詣のあとに、おみくじをひいた。小さくたたまれた紙を拡げてみたら、 「あ、大吉だ」 「え、マジで?ねえさん、すごいじゃん」 本当に大吉だったんだよ、これが。 「いいことあるぞ」 「年末は散々だったんだからねぇ」 確かに…… で、この日の夕方、Nくんは自分のアパートへ戻っていった。 1月3日のお昼ごろ、叔父のマンションを出て、東京駅へ向かう。 新幹線の切符は、叔父がネットで購入してくれた。 「まぁ、3日の下り新幹線だからな、それほど混んでいるとは思わんが、カラダのことを考えれば、指定席だな」 新年の東京駅は、意外と静か。まぁ、それでもにぎやかなことは変わりはないんだけれど。 新幹線に乗り込んで、荷物を置いてから、ホームへ出ようとしたら、 「いいから乗っていなさい」 と、叔父。丁寧にお礼を言って、アタマを下げる。 「気を付けて帰るんだよ」 新幹線が出発するまで、叔父とおばは見送ってくれた。 「入院時から今日まで、ホント、ありがとうございました」 聞こえていないだろうけれど、きちんと小さく呟いて、もう一度、アタマを下げた。 新幹線の中で、カラダの痛みと格闘しながら。おばが買ってくれたホットコーヒーを飲みながら、窓の外を見る。 しかし、お正月に実家に帰るなんて何年振りだよ…… 目的の駅へ降りると。 「あ、寒い」 やっぱり寒いわ、うちの地元。 改札口に、母の姿。私を見つけてくれて、手を振ってくれた。よれよれと歩いて改札口を出ると、母はすぐに荷物を持ってくれた。 「おかえり」 「うん……ただいま」 駅裏の駐車場のクルマ…運転席に父がいる。え、運転して大丈夫? 「今日は気分もいいんだ。ダメだったら、お前が運転しろ」 だってさ(笑)まぁ、ジョークなんだけれど。聞けば、弟は今日は町の用事があって、帰宅が夜になるそうだ。まぁ、田舎なので……年末年始だと、アレだな、消防団の見回りかな? お昼を食べていなかったので、途中で地元のラーメン屋に寄って、食べてから、自宅へ戻る。父はそのまま、自室へ入って休んでしまった。やっぱり無理してるじゃねーか…… お仏壇にお参りしてから、立ち上って荷物をほどいていると、母が祖母を茶の間に呼んでくれた。 「ばーちゃん、ただいま!カナデ、帰ってきたよ」 出来る限り、元気な声と笑顔で祖母に声をかける。 祖母、この年のお正月に98歳を迎えたばっかりだ。ボケずに元気で、自分の足でゆっくりゆっくり、歩くけれど、驚くほど「耳が遠い」。 「おお、けーってきたか(帰ってきたか)。よかったなぁ」 涙ながらに私のアタマを撫でてくれる。祖母にとって、私は「初孫」でもあるので、とにかくかわいがってくれるんだよね。祖母には、私の病気のことは簡単に説明してある。あまり難しいことを言ってもわからないだろうからということと、「がん」という病気は、祖母の世代にはとんでもない「重病」というものに当てはまるから、あまり詳しいことは話していないみたい。私も、そのほうがいいと思った。 「ばあちゃんね、カナデを迎えに一緒に駅に行くって言って、きかなかったんだから(笑)年寄りはおとなしく家にいろって、お父さんにいわれちゃったんだよねぇ(笑)」 と、母が笑った。ああ、なんかわかるわー。元気過ぎるのも困りものだけれど、まー、ばあちゃんらしいわ。 「身体はいいのか?大丈夫なのか?」 「うん。お医者さんに手術してもらったからね。今日から、ちょっとの間、おうちにいるからね。ばあちゃん、お願いね」 「そーかそーか」 実家にいる間は、祖母が寝ている部屋で一緒に寝ることになった。 もとの私の部屋は、今では父と末弟の仕事デスクがあったり、物置になっちゃっているので……使えないし、おまけに意外と冷えるので、祖母がいる部屋で一緒に過ごすことになった。ストーブもあるし、大型テレビもあるし、祖母の様子も私が見ていられるので、まぁ、何かとラクでもあるからね。 実家は、平屋の戸建。もともとは父方の祖父の土地でリンゴ畑だったので、無駄に広い……田舎あるある。 で、ここから1月中旬までは、特に書くことが……ないのだ。 三が日が明けてから、何をしていたかと言うと、父は体調を鑑みながら弟と仕事へ、母も何かと用事に出かけ、祖母は二日に一回はデイサービスへでかけていたので……その間、私が出来ることは「お留守番」である。 お皿などの洗い物くらいはできたし、洗濯物も重いもの以外は干すことが出来る。ただし、重いものを持ったり、運んだりというのは病院からもらっている禁止事項。なので、出来ない時は無理しないという約束つき。ほとんどは、ベッドの上で、テレビを見ながら過ごしていた。 また、実家は自営業ということもあり、電話も多いし、お客様やご近所さんなどが頻繁にやってくる。だから、私も無理をしない程度に電話に出たり(自分の仕事柄、このあたりは得意だ)、お客様の対応をしたり…こういうのは、私は子どもの頃から「ふつうのこと」だったから、まったく苦にならんのだ。 ただし、今回は手術してまだ1か月も経っていないので……ダメだと思ったら電話には出ない、インターホンが鳴っても出ない…というふうにしていた。 むしろ、私が実家にいることのほうがめずらしいので驚かれてしまったくらいだ(笑)病気のことは特に何も話さず、ごまかしていたのだが、何人かの人は気づいたみたいだ。 そうそう、三が日が明けてから、すぐに派遣元のTさんへはメール連絡を入れておいた。 だけど、辛かったのは、未だ許可が下りていなかったので、お風呂に入ることが出来ないこと。シャワーだけはOKだったけれど……風呂に入れないのは、けっこう辛かったなぁ…… そして、1月11日。 翌12日には、再診の関係上、どうしても、かながわに戻らないとならない。13日に再診の予約が入っている。 家にいる間、何も言わなかった父が、夕食の席でぼそっと切り出した。 「この先、おまえが決めたことに、俺は何も言わん。でもな、ひとつだけ、約束してくれ。絶対に無理はするな。身体のことが一番だ。ダメだと思ったら、家に帰ってこい。いいな?」 12月に病院で話しをしたことを、父は忘れていなかった。 私が、この先も、A先生に診てもらいたいということを、父は忘れていなかったのだ。 「わかった…父ちゃんも無理は絶対にしないでよ。お互いに約束だよ」 「俺は無理をしてもしなくても先は短い。でも、お前はこの先、まだ長い。生きていかにゃならん」 なんてこと言ってくれるんだ、うちの父は! 思わず声を荒げそうになったが、グッとこらえる。ここで言い争いになっても仕方ないし、父は私のことを思っての言葉だというのは、痛いほどわかっているつもりだったから。 「気をつけろよ。いいな?」 「うん」 その日の夕食は、すき焼き。身体の調子も悪くはなかったので…久しぶりに食べたよ、すき焼き。量は食べられなかったけれど、でも、すっごい久しぶりで、おいしかった。 一方で、私が一旦、かながわに帰るというと、祖母がすごい肩を落とした。 また少ししたら帰ってくるよ、病院に行かないとお医者さんに怒られちゃうからね、と言うと、頷いてはくれるのだが、子供みたいに落ち込んでいる。これがちょっと辛かったなぁ。ホント、マンガみたいにがっかりするんだもの。 帰りの荷物をまとめていたら、母が来た。 帰宅するための旅費のほかに、少しの間の生活費と診察代、そして、祖母からも、 「おらの気持ちだ、持ってけ」 と、封筒を渡してくれた。 いらないと言うのも失礼になる。むしろ、これは喜んで受け取るべきだろう。 派遣元への書類作成が間に合っていないので、これらに関しては非常にありがたかった。 母から渡してもらったものと、祖母からいただいたもの。大事にカバンの奥にしまい込んだ。 高額医療費など、金銭的なことは、のちほど、ちょこっと書きたいと思う。 12日のお昼、父は体調が優れず、お留守番。 その代わりといっては何だが、弟が運転する車に乗って、新幹線の駅まで……母と祖母も一緒だ。祖母、ご機嫌である(笑) 新幹線の切符は指定席にした。 「じゃあね」 改札口の中へ入ると……あ、祖母がすごいがっかりしてる…(^_^;) 「ちゃんと、帰ってくるよ」 ……それが、いつになるか、わからんけれど… 終点の東京駅から乗り換えて、自宅マンションの最寄り駅まで戻るんだが、これが意外と重労働。ああ、ホントに…身体が重い、痛い。体重激減の影響はまだまだ続いている。 最寄駅からも、マンションまでは歩くんだよね。体調がいいときにはかまわないのだが、今の状態じゃ無理だ……ということで、乗り換え駅で駅構内を出て、タクシーでマンションまで戻った。 12日の夕方、帰宅。 12月21日から留守にしていた(途中、一晩だけ戻ってきたが)から、かなり長い間、留守にしていたことになるなぁ。 荷物をほどき、着替えて、部屋の空気を入れ換えて、ポストの中のものを持ってきて……などとやっていたら、時間があっという間に過ぎてしまった。 夕飯は近所のコンビニへ行くことにした。冷蔵庫の中、なんにもないから。それに、作るにしてもヒットポイントがゼロ(笑)体力なんて残ってないに等しい。長距離移動が、如何に体力を使うかというのも実感。 近所のコンビニのスタッフさんたちも、久々の再会で、私がしばらく顔を出さなかったことに不思議に思っていたらしく、久しぶりに顔を出した私を見て、びっくりしていた。 「え、どうしたの?!痩せたどころのはなしじゃないじゃん!」 如何にビフォーアフターがすごいのか、改めて痛感したよ(^_^;) 「いや、実は病気しちゃって……あははははは……」 「あはは、じゃないってば!」 「いくらなんでも、短期間で変わり過ぎだって」 で、正直に話しをしたら、その場にいたスタッフさん、店長さん、絶句してた……びっくりしただろうな…… コンビニで購入したのは、おにぎりふたつと、カップのお味噌汁ひとつ。無糖炭酸水、キレートレモン1本。 あんまり片付いていない部屋の中……年末のお掃除なんてできなかった。できるわけがない。今でも、おなかの傷跡は生々しい状態だし、全身だるいし……とりあえず、おにぎり、ひとつだけ食べて、PCを立ち上げ、メール整理などをして、やっと落ち着いた。 この頃から、睡眠導入剤を処方してもらっている。神経がやたらととがっていて、なかなか眠れない(寝付けない)ことが増えていたからね(A先生のところへ行く以前に、某心療内科に通っていたことを、ここに書いておく)。 「寝るか……」 薬を飲んで、横になって……しばらくして、そのまま、寝てしまった。 この先、どうなるんだろう…… そんなことを思いながら、眠ったことを思い出すなぁ……                (続きます)
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