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ある夜、ベランダで涙を流しながら母は言った。
「空に流れる星は、神様が恋を自覚し、焦がれて流した涙。その涙は恋した相手へと届き、問答無用で連れていかれるんですって」
うらやましくて、ロマンチックよね。神様に愛されるなんて。
そう笑って呟いた母の言葉に、私は頷けなかった。
その数ヶ月後、母が死んだ。自殺だった。
今思えばあの時の話は、消えたいという願望だったのだろうか。
母子家庭で未成年の私をどうするか、話し合っている親族に興味もない。
ただ、あの時の母と同じように夜の空を見上げた。
「私のところにも降ってこないかしら」
母が呟いていた台詞が勝手に口から溢れる。信じているわけではないのに、こうもすがり付きたくなる時だけ都合がいい自分に笑ってしまう。
母は本気で神様に愛されたかったのだろうか。それとも誰でも良かったのだろうか。ならば。
「愛していると、私はなぜ何度も伝えなかったの」
私には母しか居なかった。母しか居なかったのに。当たり前に一緒に笑って生きていけると思ったのに。
「私は母を、誰よりも理解している」
生まれることは、自分で決められないから。自分の命を終らせることは悪い事じゃない。そう、辛いならば。逃げていい。
「でも……」
視界が滲むから、顔を上げる。
「でも」
今日は、いい天気だったね。
「残されたら、悲しいよ。一緒にいきたかったよ」
泣くのは母の意思を否定しているようで嫌だ。それでもとめられないものは仕方がない。
「あ」
滲む空に、光が走った。初めて見た光景に思わず目を擦った。
それだけじゃない。その光がこちらに落ちてくる。
「どうもどうも!初めまして。ワタシは天の遣いの者でありまして。……ありゃ?視えてますか?」
突然凄まじい光が目の前に落ちたと思えば、軽快な声と共に白い光が喋っている。
「ふーむ?こちらがわに傾いていると言う話でしたが、果てさせ。どういたしましょう……」
「あの」
「おお!視えているのですね!?聴こえてもいるのでしょうか?」
喜んだのだろうか。光がふわりと揺れる。
「視えている……と思うわ。光が浮いているだけだけど。声ははっきりと聴こえてる」
「おやおや、ワタシとしたことが失礼しました。形を定めるのを忘れておりました。なにか希望の形があればなんなりと。その方が話しやすいかと思われますので」
形……?と呟けば、動物でも人間でも、魚でもなんなりと!と弾んだ声が返ってきた。
私が狐と答えると、光は白く光る狐へと変化する。狐に化かされているとでも思えば少しは気が紛れそうな気がした。
「ではでは、改めまして。貴方をお迎えに参りました」
「お迎え……?」
「ええ、ええ!貴方の涙と、こちらがわへの傾きに応じて派遣されたのでございます」
狐は言う。
死を望む涙があること。死へと傾いている人間を導きに来たのだと。
母の話が本当かと思ったが、聞けば聞くほどロマンチックでもなんでもない。
「貴方は死神なの?」
「ああ~そんな風に呼ばれる方もおいでですねぇ。しかし、我々は天の遣いの一部でありますので、選ばれた人間の元にしか行かないのですよ」
こんがらがることもなく、私の思考は穏やかだった。そうなのか、とすぐに納得した。
「選ばれたって、天に選ばれたのかしら?」
「その通りでございます。選ばれるとはなんなのか、についてはお答え出来ませんが」
「私は付いていったらどうなるの?」
「基本的に死んで頂く事になりますね。ああ、心配は無用でございます!痛みなどなくすんなりと逝けますし、ご遺体も突然死という形になりますので」
なんの心配もございません。と、くるくる私の周りを回る狐。
「天に着けばちゃんとご説明もあります。今は花雫の時期でとても瑞々しい景色をご覧いただけますよ~」
「天国って事なの?なんで私がそんな素敵な所へ行けるのかしら」
「ええ、ええ!貴方様の清らかさは天にふさわしいのであります。もちろん詐欺等ではございませんよ。お視せ致しましょう!」
ふわりと光に包まれれば、辺りは水に沈んだ草原が広がり、花が雫を溢す姿がこの世の物とは思えない美しさだった。
「いかがですか~花雫の時期は美しいでしょう?」
「ええ、そうね」
ひとつ聞いていいかと問えば、また狐に姿を変えてくるくると嬉しそうに周り出す。
「私の母は、そこにいる?」
「あーなんと申し上げればよいか……この地を離れた際、貴方様の記憶は消去されてしまうんですよ……ですので、お逢いしても分からないかと。お母様に付いては何も言えませんが、清らかな人間なら大抵行けるとこでありますので」
天って結構おおざっぱなんだなと思いつつ、もうひとつ訪ねてみる。
「自殺した人間は地獄にいく、なんて言うけど、どうなのかしら」
「それは間違いでございます!そもそも、長く生きるから偉い、短いから悲しい、自殺するのはもってのほかというのは全て人間の決めた価値観なのです。本人がどうだったのかで、こちらは判断致します。ですので、自殺だから地獄に、などということはございませんのでご安心ください」
涙が溢れた。そう、そうなのね。そう繰り返す事しか出来なかった。
「私、母と同じように死にたいの。それでも連れていってもらえる?」
「お任せください!貴方様の今生との別れは貴方様のご髄に」
ふと、気がつけばどこかのビルの上に来ていた。私は狐と話ながら無意識にふらふらと来てしまったのだろうか。
私は目の前の手すりに手をかける。真下は……。
「何してる!」
「…………!」
突然、ぐわりと視界が揺れた。狐の姿も声も聴こえない。ただ、目の前の人に手を捕まれている。
「もう1度聞くよ。何してるのかな」
「何って、飛び降りるに決まっているでしょう?貴方こそ何を言っているの?」
「…………話なら聞くよ。だから、手すりから手を放して。深呼吸して、ね?」
何を言っているのかと手を振りほどこうとして、さっきまでのふわふわした感覚が無くなり、身体が重くなるのを感じる。
「狐……天の遣いは?私はお母さんに逢いに……」
「きっと混乱しているんだよ。少しこちらで話を聞かせてくれないか?さあ」
手を引かれて、私が現実に戻るのに数日かかった。
総評として、私の人生は苦しい事の方が多かった。けれど、あの時の人と結婚し、家庭も築き上げ、子供の居ない私達夫婦は穏やかに過ごした。
先に彼を見送り、私はあの日の星が降った夜を思い出す。
「あの時のは幻だったのかしら」
「いえいえ!幻などではございません!」
布団で寝ている私の目の前に、あの時の狐が現れる。
「くぅー!縁結び様の気紛れは毎度毎度……!いくら人の一生が一瞬とは言え困ったものです!」
「あらあら、よく分からないけれど怒っているのね」
「ええ、ええ!失礼ながら、こんな時しか吐けぬものでして!」
ぷんぷんと鼻を鳴らし、畳をてしてし叩く姿は愛らしく感じた。
「さてさて、再度ご説明は必要でしょうか?」
「お迎えの話、まだ有効だったのね」
「もちろんですとも!」
私は身体を起こそうとしたけれど、無理だと分かり、そのまま告げる。
「このままお願いするわ。母もあの人も清らかな人だから、逢いにいきたいの」
「お任せください!少々道はありますが、あっという間ですのでご安心を」
目をつむれば、きっと何者かも分からなくなるのだろう。そういうものなのだ。おそらく。
「巡りめぐって、また花雫の時期でございます。どうぞ楽しみになさって」
いってらっしゃいませ。
その言葉に、口元に自然と笑みが溢れた。
終
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